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片思いの恋に落ちた日
ほのかが企画したパーティーに人数が足りないからと呼び出された。
「ねっお願いっ!!!顔を出して、すぐに帰っても良いから。」
ほのかは、個性の強いモデルたちの中でも
いつも朗らかで、派手なことが好きだった。
友達がいなかった私を事あるごとに遊びに誘い、
それは私がモデルを辞めてかなり経った今もずっと続いてた。
...バイトがあるってことにして断れば良かった。
男性の年齢は様々だったが、女性はモデルばかりで男女50名以上が集まった。煌びやかで美しく着飾った女性たちは、グループで男性の周りを泳ぎ回っていた。
男性に朗らかに笑い、自然に会話する彼女達に気後れし
“壁の花”に徹していた。
ほのかは、そうなることを判っているのに私を誘う。
…パーティや合コンは苦手なのに。
ほのかは私と目が合うと手招きをしたが、遠慮した。
…そっと抜け出せば判らないから、少し休んで帰ろう。
ロビー横に立派なバーがあったのを思い出した。
バーには、L字に曲がった大きなカウンターがあり、数人の客が座っていた。薄暗く、客の顔は良く見えないが、スーツ姿の男性とカップルのようだ。
カウンターの開いた隅の方に座り、グラスワインを頼んだ。
スマホで時間を確認すると妹からメッセージが来ていた。
(カツァリスが日本に来るんだって!お姉ちゃんコンサート行くんだったら、私の分もお願い~。)
ただのおねだりメール。返信を打つが、
普段はしないネイルチップがその度にカチカチと画面に当たって音を立てた。
…ネイルなんて私には無理なのよ。
いつもより長い自分の指…正しくは爪を持て余し苛立った。
隣りに5つほど空席があり、その先にひとりの男が座っていた。
私は男と目があった様な気がしたので、慌ててスマホに目を戻した。
ほのかににもう帰るからとメッセージを送った。
ワインがナッツと一緒に私の前にそっと置かれたので、
クレジットカードを渡し、チェックをお願いした。
スマホが震えた。
(やったー。ありがとう。私もお母さんも元気だよ。)
妹からの返信は、絵文字がびっしりと並び、
どきつい色は落ち着いた薄暗いバーで、目を刺すように派手で強烈だった。
母から逃げた私とは違い、妹は今も母と一緒に暮らしている。
真正面から衝突する私に比べ、妹は母の小言ものらりくらりと上手にかわす。
隣に気配を感じ、スマホからふと顔をあげた。
先ほど奥の席に座っていた男が、隣の席に座っていたので驚いた。
「どうも。」
男は、50代ぐらいに見えた。挨拶をされた私は会釈し、カードが戻ってくるのを待った。バーテンは直ぐに戻って来てカードとレシートを置き、奥へと消えていった。
「想像していたよりも、若くて素晴らしく綺麗だ。」
その太い指でルームキーを私にそっと手渡した。
「あの…これは?」
ぎょっとした。
「後で…もうちょっと上乗せしてあげても良いよ。」
その男は囁きながら、私の膝をそっと触った。
分厚いゴツゴツとした手は燃えるようにあつく、しっとりと湿っていた。
「人違いです…。」
慌ててその手を振り払った。
私のネイルが男に当たりカツンと音を立てた。
「黒いドレスで長い髪…ってあんたのことだろ?」
男は手を握ろうとした。
「だから…人違いです。」
他の客に聞こえないように小さな声で強い口調ではっきりと答えた。
背中と椅子の間に置いたハンドバックを後ろ手に持つと席を立った。
「金は払うんだし、何を今さら…。」
男はハンドバックを持った私の腕を強く掴んだ。
男の皺の多いその手の中で腕は軋んだ。
「やめて下さい。」
私が言った直後だった。
「どうもお待たせましたね。」
背のとても高い男性が立っていて、私に話しかけた。
「あなたの知合いですか?」
その男性は、男を見ながら私に聞いた。
男は慌てて私の腕を離した。
「いえ…この方が、何か勘違いをされているようで…。」
バーテンが今頃になって、のこのこと戻って来て、やり取りを聞いていた。
「どうやらそのようですね。彼女は、僕の知り合いです。あなたは人違いをされていらっしゃいます。では…僕たちは失礼します。」
そう男に言って、背の高い男性は私の肩にそっと触れ、お腹が空いだでしょう?何を食べましょうかと言いながら、バーから私を連れだした。
広く明るいホテルのロビーまで来ると、男性は私の肩を離し並んで歩いた。
話には聞いたことがあったが、今起こった事が信じられなかった。
「綺麗な若い女性が、バーでひとりで飲むなんて、
訳ありだと思われてしまいます。」
言葉は丁寧だったが、厳しい口調だった。
「助…けて…頂いて…本当に…あ…りがとうございま…した。」
声は震え、指先が凍り付いたように強張っていた。
「大丈夫ですか。」
私の顔をちょっと覗き込み、今度は優しく聞いた。
「ハイ…今頃になって怖くなってしまって。」
私は初めて男性の顔をしっかりと見上げた。
男性は私と目が合うと少し微笑んた。
スーツは着ているが会社員では無いようだった。着こなしに品があり、低く深みがあるその話し方もゆっくりと丁寧だった。年齢は私と同じくらいか少し上。大きすぎない切れ長で形の良い目と長い睫毛が印象的だった。
…とっ…ても素敵な人。
私は思わず息を飲んだ。
この男性の優しくて穏やかな顔にくぎ付けになり、
心臓の鼓動はゆっくりと強く私の中で存在を主張し始めた。
…何か…話を…しなきゃ。
このままお別れしたく無かった。
この瞬間に一目ぼれをしたのかも知れない。
ものすごい速さで頭を巡らせた。
どちらにお勤めですか?お名前は?お礼に今度ご馳走させて下さい。少しお茶でも付き合っていただけますか?
色々な言葉が風のように頭の中を過ぎ去っていくけど、口から一つとして出てくることは無かった。
「もし宜しければ…お時間があれば…。」
男性は私の眼をじっと見ながらゆっくりと続けた。
「これから…食事でも一緒に如何ですか?」
飛び上がる程嬉しかった。けれど、喉が緊張し声が出にくかった。
「はい…ぜひ。」
もっと愛想の良い返事をしたかったのに、これが精いっぱいだった。
食事の前に、少し事務所に寄っても良いですか?と男性は私に聞いた。
…事務所?
事務所は、ホテルから歩いて5分程のところにあった。
ビルの1階が、全て大きな絵画のギャラリーになっていた。
装飾を施されたマホガニー色大きなドアを開け中に入ると、
机に座っていたアルバイトのような青年が、顔をあげて男性に聞いた。
「先生 おかえりなさい。その綺麗な方は?」
「とても綺麗な方だったので、つい…僕としたことが、
声を掛けてしまったんです。」
男性は笑うと目の端に優しい皺が寄った。
「えっ…先生がナンパ…?」
青年はとても驚いた表情をして、私と男性の顔を交互に見た。男性は、まさか…冗談ですよと言いながら、ひときわ大きな机の引き出しから書類を彼に手渡した。
「ちょっと僕は、食事に行ってきます。」
そう言って、ギャラリーを後にした。
“先生”は、私が魚介類が好きだと伝えると、では刺身も揚げ物も煮物も美味しい店を知っているので行ってみましょうか?と
私を近くの小料理屋へと連れて行ってくれた。
「あら珍しい…若い女の方と一緒なんて…お座敷にどうぞ」
しっとりとした着物姿に割烹着をつけた女将さんが言い、座敷に案内された。店はあまいみりん醤油と魚の香りが漂っていた。
「先生はいつもお一人だから…。どうぞごゆっくりね。」
女将はお茶とメニューを私の前にそっと置き去った。
「先生?」
私は静かに聞いた。
「ええ。みんな僕の事をそう呼びます。変ですよね?」
僕はここに来ると食べるものは決まっていますから、
あなたはお好きなものをどうぞと微笑んだ。
イトヨリの味噌漬けの定食、先生はいつものでお願いしますと女将さんに言った。可愛い方ねぇ…どうぞごゆっくりね…と、
私の顔と先生の顔を交互に見てカウンターの中へと戻って行った。
今日はユメカサゴの煮つけですよ…先生の前に女将さんは置いた。
お酒を召し上がるときは、お刺身が多いですけれど、ご飯とお味噌汁に煮つけが先生はお好きなのよ~と女将が教えてくれた。
コートを脱いだ時に気がついた。ネイルが欠けていた。
洋服や、ストッキングに引っかかってしまいそうだった。
中指のそれは、箸を使うたびに、気になった。
私の爪を見るたびにモデルの友達は色気が無いと笑った。
長すぎず指の腹から数ミリでた爪は女性の指を美しく細く長く見せるとは思うが、濃いマネキュアは無機質に思えてしまう。
…男の人は どちらの手が好きなんだろう。
先生の指は大きくてとても優雅だった。
その大きな手で、器用に煮魚の形を崩さず身を剥がしていった。
素敵な男性の指を見るたびに、この手はどのように女性の顔に触れたり、愛するのだろうと想像をしてしまう。そして今も、先生のその指を眺めながら私は甘い想像をしていた。
共通の趣味や話題を聞きだせるまでの会話までには至らなかったが、沈黙が続いても、それが苦痛ではなく、少なくとも私には心地がよかった。
とりあえずは、左手に指輪が無い…それだけでほっとした。
長くて短い食事は済んだ。
「最寄りの駅まで送りましょう…。」
先生は店からすぐの地下鉄の駅まで送ってくれた。
…どうしよう。
駅の改札が見えてきた。
ではここで…と先生がお別れを切り出したので私は慌てて丁寧にお礼を述べた。
「あのぅ…またお会いできますか?素敵な方に助けて頂いて、ご飯まで御馳走になってしまって申し訳無いので…。」
先生の目がちょっと驚き、そして少し戸惑った表情を一瞬浮かべた。
「ご…ご迷惑で無かったら…名刺…頂けませんか?」
…精一杯の勇気。
先生は微笑んだ。
…見間違いだったのかな?
「…いつでも寄って下さい。」
先生は胸元から名刺を出し、くれた。
「では…どうぞ…お気をつけて。」
振り返りもせず、もと来た道を先生は戻って行った。
これが私と先生との出会い。
先生からの電話は待てど暮らせど来ない。
自分から勇気を持ってデートに誘ったのは初めてだっただけに、連絡が無いのはショックだった。
バイト中も時々携帯の着信を確認してしまう。
「レナちゃん ちょっと良い~?」
ママから呼ばれたので、慌てて返事をした。
「ヘルプ入ってくれる?癖のあるお客さんなんだけど…」
テーブルを見ると、客はかなり酒に酔っていて、新人に酒を強要していた結局、客は居座り続け1時間が経過した。
ママはこちらを気にしながらも次々に来る客の対応に追われていた。
「あら~社長さん。この間はどうも~。先生もお久しぶりですねぇ。お元気でした?」
ママが入ってきた客に声を掛けた。客は泥酔状態で、まだ飲めると怒り出し、結局ウェイターたちにつまみ出され、家族の迎えを外で待たせることになった。
気が抜けたからか、急に酔いが回り始めた。
…かなり飲まされちゃった。
フラフラとしながら化粧室へ向かった。
「レナちゃん顔色が悪いわ…大丈夫?」
ママがそっと囁いた。壁に手をついて、
大丈夫ですと言ったものの、天井がぐるぐると回りだしていた。
「あ…君は。」
背後から声が聞こえたので、ふらふらと振り返ると先生が立っていた。
「先生…どうもぉ。」
呂律が回っていないのが分かったがどうしようもなかった。
ゆっくりと壁を伝いながらトイレへと向かった。
「あら先生レナちゃんとお知り合いだったの?」
「ええ…まあ。」
先生は私を気にしながら答えた。
さっさとトイレへ行く筈だったが、
イブニングに足を取られふらりと大きくよろけた。
「あらららっ!ちょっとセナちゃん!」
「ちょっと…気持ちが悪い…です。」
小柄なママは私を支えたが一緒によろめき、
先生がふたりを、その大きな体で纏めて支えた。
「ママ。ここは任せて下さい。僕が連れていきますから。」
大きな手で私の肩を支えた。
「大丈夫ですか?」
先生が他の客に聞こえないように静かに聞いた。
「逆にお聞きしますけど、これで大丈夫に見えますかね?」
気分は最悪で、どろどろとしたものが出口を探しながら胃の中で蠢いていた。冷や汗が出て、じわじわと口の中に苦みが広がっていた。
先生は悪態をついた私を殆ど抱えるようにして歩き、一緒に化粧室へ入った。
「ううう…気持ちが悪い…。」
便器の蓋を開けた瞬間に嘔吐。先生はさっと長い髪を汚れないように手で束ねてくれた。時々その冷たい指は私の紅潮した首筋に触れ気持ちが良かった。
「どうしてこんなに…飲んだのですか。」
先生は呆れるように言った。
私は答える余裕が無く立て続けに嘔吐を繰り返した。
「レナちゃん大丈夫?先生すみません。代わります。」
ママがトイレにおしぼりとコップに水を入れて持ってきた。
「彼女は僕が見てますから大丈夫ですよ。」
先生はおしぼりと水をママから受け取った。
胃からすべてのものが出たのか、少し落ち着いた…と思った瞬間、まだむかむかが、ぶり返した。
「はい…お水。少しでも飲んだ方が良いですよ。」
先生は私の手にコップを持たせた。それを一気に飲むと再び嘔吐した。
躊躇いがちに私の背中を先生の冷たい手がそっと擦ってくれた。
「せんせ…の手…気持がいい。」
何度か吐くと気分が落ち着いた。
「レナちゃんタクシー呼んだから、今日はもう帰りなさい。」
ママがトイレを覗いた。
「では僕が一緒に付き添いましょう。」
先生は私をゆっくりと立たせ、手を洗う間身体をしっかりと支えてくれた。
「ひとりで帰れますから大丈夫でぇ…す。」
声はガラガラと喉から掠れて出たが、
話すと途端にむかむかと胃液があがってくるようだった。
「いや…付き添った方が良いと思うので僕が…。」
先生は、ママから貰ったおしぼりを私にくれた。
「じゃあ先生…本当に申し訳無いんですが、付き添って下さる?」
「ええ。大丈夫ですよ。」
「ねっ?レナちゃん。そうして頂戴。先生だったらあなたのこと安心して任せられる人だから。お願い。」
先生はママから渡された私の小さなバックを持ち、背中を支えながら、
ノースリーブの私の肩を包み込むようにしてゆっくりと歩かせた。
エレベーターにふたりで乗り掛けたところで、ママが先生のコートを手渡し、すみませんがよろしくお願いしますと頭を下げた。
「どうぞご心配なく。送り届けたら連絡します。」
エレベーターのドアが静かにしまった。
睡魔が私の頭に一気に鉛を注ぎ込み始めた。
先生の胸によろよろと頭をもられかけた。
「せんせ…とてもいい匂い。」
シャツからは、コロンのような香りがした。体温がシャツから伝わり、先生の鼓動が静かに私の耳に響き心地が良かった。先生は何も話さず、必要以上に私に触れることも無かった。
「…温かい。」
外のベンチでタクシーが来るのをふたりで座って待った。
「ねぇ…せんせ?」
周りから見たら恋人同士の様に見えたに違いない。
「…。」
「ちょっとせんせぇ!聞いてますかっ?」
「ええ…聞いてますよ。」
私はぐったりと先生の胸に寄り掛かっていた。
「私…せんせぇからの電話をずっと待っていたんですよ?どうして連絡を下さらないんですか?」
先生は考えあぐねているようだった。
「あなたは美しい…僕よりも、もっと若くて素敵な男性が、
あなたにはお似合いですよ。」
先生の腕に自分の腕を絡めて、しっかりと手を繋いだ。
「せんせぇは、どなたかに一目ぼれをしたことはありますか?」
先生は少し驚いて、慌てて離そうとしたが、
ほぼ無理やり手を繋いだので、苦笑し、私のしつこさに諦めたようだった。
「…ありません。」
私がしっかりと握っているだけで、先生はそっとその大きな手の上に、
私の手を乗せるようにしているだけだった。
「デートしてくれないのなら、手ぐらい繋いでくれても良いでしょう?ちゃんと握り返してくれないと、繋いだことになりませんっ!」
私は逃げられないようにしっかりと両手でその大きな手を握っていた。
「はいっ。ちゃんと私の手をしっかり握るっ!」
酔っていても誰かに手繋ぎを強要したことは、
今まで一度も無かった…と思う。
「酔ったあなたには、困りましたね。」
先生は半ば呆れて笑った。
「困ったついでに、私とデートして下さい。」
先生がクスクスと笑った。
「ちょっと…何で笑うんですか?素面でお誘いしても、断られたんですから、残された方法は、こういう時にお誘いするしか無いでしょう?」
「そうですか…。」
先生は通りの車を眺めていた。
…早くタクシーが来ないかと思っているだ。
「幾ら美しいって言われても、好きな人に好きになって貰えなくっちゃ意味が無い…よ。お似合いどうかなんて…第三者が決めることでしょう?」
先生は初めて私の顔をまじまじと見つめた。
この時の先生の答えを私は覚えていない。
「レナさん。起きて下さい。さあ…タクシーが来ましたよ。」
自分が寝て居たことに気が付いた。先生にほぼ抱きあげて貰うようにしてタクシーに乗った。何度か先生に話しかけられたような覚えはあったが、記憶が曖昧だった。
マンションにつき、エレベーターのボタンは自分で押した気がする。
玄関でまた吐き気が襲ってきた。
「バックから鍵を出しますよ…。」
先生は部屋の鍵を急いでを開けた。
玄関から廊下を通り、右側にキッチン、左側にトイレ。
突き当りは、リビングへと続いている。
急な吐き気に、靴も脱がず距離が近いキッチンのシンクに縋る様にしてもう一度嘔吐したが、水分だけが吐き出された。
リビングはキッチンと、廊下の突き当りにあるドアから行き来出来るようになっていて、お客が来たときには、キッチンを見せずにリビングへと案内が出来た。
先生は後からキッチンに入って電気をつけると、
私の靴をそっと脱がせそれを玄関へと運んだ。
私はナメクジのように重い体とドレスを引きずりながら、
壁を伝ってリビングを抜け、寝室へと向かった。
「お水飲みますか?」
先生は私の背中に向かって声を掛けた。
私が頷くと、持っていきますからもう休んでくださいと言い、
ゴソゴソとミネラルウォーターをキッチンで探していた。
「あ…ミネラルウォーターの買い置き…キッチンの下の戸棚…でぇす。」
寝室に入ると後ろ手でチャックを下し、肩をひとつずつ抜くと黒いドレスは衣ずれの音を立てて、ぐるりと私の周りで輪になって落ちた。
不要になった黒い窮屈なブラも外す。
私は総レースの黒のTバックだけになった。
洗面所へ向かい、顔を洗って厚い化粧を落とした。
…後はベットにダイブするだけ。
戸棚を開ける音と鍵のチャラチャラという音が聞こえた。
「僕が出たら、戸締り忘れずに。」
先生は寝室の私に向って声を掛けた。
…部屋の鍵 閉めなきゃ。
「はぁい…今いきまぁす。」
2LDKの部屋は、ひとりで住むのには少々大きすぎたが快適だった。
油の沁み一つないキッチンに、小さなテーブル、椅子2脚だけのダイニング…を抜けると、リビングには私のグランドピアノが置いてある。
父が買ってくれた、スタインウェイ、ミジェット。Oシリーズの次に小さいミニチュアグランド。
部屋探しをした時の、唯一の条件
グランドピアノ可。
大屋根には楽譜や楽曲がいつも山積みだ。ピアノは部屋の中央に、壁際には除湿加湿が置いてあり、丁度椅子に座ると背中側に楽譜棚があった。
防音の効果はあまり無いが、床は厚いカーペットを敷き、窓は2重枠。
客から貰ったボトルツリーと高校時代のピアノコンクールの時の写真が飾られているだけの部屋でも居心地は良かった。
私の脳は完全にアルコールに漬かっていた。
トップレスの私がドアを開けると、先生がリビングに立っていた。
…あれ 先生 鍵閉めてって。
先生は声なき声をあげた。
「パジャマ…部屋着は…」
大きく見開かれた眼で、私の顔そして全身を見て…そして再び私が微笑む顔を見てから、慌てて目を逸らした。
「寝る時は何も…。」
壁に寄り掛かる様にして、玄関へと向かう先生の傍までふらふらと歩いた。
先生は、表情を変えず素早く脱いだ自分のコートで私の身体を包んだ。
大きな靴を私に背中を向けて履く先生の後ろ姿を壁に寄り掛かりながら眺めていた。
「お店には後で電話をしておきますから…。」
先生は玄関のドアを開け、そのまま閉めようとする先生を止めた。
「待って!」
思わず立ち止まり振り返った先生に、
私は裸足で近づいて大きな胸にしっかりと抱き付いた。
…あ。
先生が息を飲んだ。
「先生…ありがとう。」
抱き付いた私の身体を自分からそっと剥がす様にして先生は離れた。
「では…おやすみなさい…。」
私と目を合わせようともせずに、そのまま振り返らず再びドアを開けて先生は出て行った。ゆっくりと閉まる重いドアを私は暫く眺めていた。
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