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幼馴染
飽きもせずほのかは私をパーティーに誘った。
…医者…医者は…嫌だな。
雰囲気には馴染めないし、数合わせとしても余り意味がない。私を誘っても無駄な気がするが、ほのかは毎回私を誘う。
「お願い~。」
諦めて時間と日にちを聞いた。
当日は、イタリアンレストランで待ち合わせだった。知っている顔が何人か来ていて、その子たちの近況を聞けるのは楽しかった。
続々と男性陣が現れた。見た目も性格もバラエティーに富んでいた。医者でも雇いは駄目だとか、美容整形で開業している医者が金持ちなど、話が弾んた。
他の子たちが良くしゃべるので,
聞いている振りをして笑っているだけで良かった。
ほのかは、目が合うと私を指さした。
「そうそうあの子。レナはモデルやっていたけれど、看護師してるのよ。」
…また余計なことを。
男性陣の視線が一斉に私に注がれた。勤め先はどこか、何科で働いているのかと矢継ぎ早に聞かれた。
「夜勤だけのパートですけど。」
ほのかの顔が笑っているのが見えた。
「じゃあさ、●●先生って知ってる?」
とても真面目で患者さんにも丁寧で、看護師にも患者にも人気の先生ですよねと答えた。
「そうそう!あいつ真面目な顔してるけれど、気を付けた方が良いよ。」
まるで秘密の話をするかのように
その医者の話は大げさだった。
…気を付けたほうが良いのは、あなただと思うの。
そして少しづつ話題は逸れていき、ほっとした。
(あと30分ぐらいしたら帰る。)
テーブルの下から、ほのかへこっそりメールをした。返って来たのは、怒った絵文字だけだった。
(じゃあ、1次会終わったら…帰る。)
ほのかは、私を見て頷いた。
「君もこういうところ苦手みたいだね。」
私はあわててスマホから顔をあげた。縁なし眼鏡をかけた、真面目そうな医者が一部始終を見ていた。
「いぇ…そんなことはありませんけれ…ど…。」
慌てて誤魔化した。
「大丈夫です僕も苦手でから…落ち着きませんよね。」
汗を拭きながら、医者は小さい声で言った。
「学会で数日こちらに来たんですけれど、普段は熱海で実家の産婦人科で働いてます。今日は突然誘われて…しかも…誘ったヤツがまだ来ていないし…。」
この中で一番真面目で誠実そうだった。
ぽつぽつとお互いの事を話した。くれた名刺をみると副院長 悠木 隆と書かれていた。肩書は偉そうですけれど、僕は雇われている身ですと言って笑った。
「他の科だったら、病気をしたらぜひ僕の所へ気軽に受診してくださいねと言えるのでしょうけれど…流石に一般の若い女性に産婦人科はちょっと…ですよね。」
医者はにっこり笑って優しい笑顔をみせた。
「温泉もあって良いところなので、お友達にでも紹介してください。それに看護師さんも常時募集してますので、お願いします。」
またぽっちゃりとした顔の汗をハンカチで拭いた。
私はクラブの名刺を渡した。
遅れてきた医者がひとつだけ空いた向かい側の席に座った。他の医者と社交辞令を交わし、暫く女の子達には気にも留めなかった。
…なんか 嫌な感じの人。
スマホで時間をちらっと確認した。
「お前…レナ?」
日に焼け、整った顔立ちをしていたイケメン医者は私に突然声を掛けたので驚いて顔をあげた。
「…え?」
私は困惑した。
「俺だよ…新井…新井瑛二。昔 近所に住んでた。」
…昔?
「お前の2個上でさ、時々一緒に学校から帰ってた…時々って程でも無いか。」
…思い出した!
「瑛二…君?」
「お前変わったなぁ…色が白くて髪が長いのは変わんないけど。」
…お前って呼ぶな。
「すげー懐かしい。」
瑛二は自分の前に来たばかりのビールを飲んだ。
「瑛二とレナさんお友達だったんですか?」
悠木は私に聞いた。
「うん…俺たち幼馴染み。」
瑛二が口を挟んだ。
えーっそうなの!!ほのかが遠くから聞いた。
「ご近所だったんですよね。この人のうちと私の家が…」
私は瑛二を無視して悠木とほのかに言った。
「でも…なんで?今日可愛いモデルの子たちと合コンって聞いてたんだけど?なんでお前いるの?」
…相変わらず、超絶失礼だ。
「レナ..モデルやってたんですよ~今は看護師やったりクラブで働いてたりするけど」
…もう…ほのか…余計な情報与えないで。
「えーマジで?どこの病院?」
私は無視した
「◇◇病院だって」
悠木が私の代わりに答えた。
「俺の働いている病院から近けーじゃん。あ…お前もしかして●●病棟?そこにさ、□◇っていう冴えない医者いない?」
…こいつ…あくまでも話を続ける気だな。
「知ってるけど?それが?」
私は不快感をあらわにし眉をひそめた。
「あいつこの間あった時、背が高くって色が白くってかわいい子がいるんだよって言ってたけど、まさかお前のことじゃねーよな?」
…知らんよ。
「食事に誘われたことあったか…な。勿論お断りしたけれど。」
「そーかそーか、俺てっきり音大にでも行ったのかと思ってたんだよねぇ。あのデカいピアノどーした?まだ持ってんの?」
…もう…帰りたい。
「で…クラブってどこの店?」
瑛二は良くしゃべった。
「掛け持ちでバイトしてるから、毎日居るわけじゃないし…」
…絶対来てほしくない。
「名刺とかある?今持ってる?」
瑛二は手を出した。
「無い….。」
悠木は何も言わなかったので私はほっとした。
「何だよ。あ…じゃあさ、番号教えとくから、
電話頂戴?」
瑛二は自分の名刺の裏に携帯の番号をくれた。
あー私も欲しい~と女の子の誰かが言った。
「あ…良いよ~ちょっと待ってね…」
瑛二は何枚か他の女の子に連絡先を書いていた。
私はほのかに帰ることを伝え席を立った。
店を出る前に化粧室へ寄り、
ついでに瑛二の名刺を捨てた。
瑛二はお調子者だったので、女の子から人気があったが、嫌いだった。会えば、私に悪態ばかりついた。お父さんも医者で、近所で見かける事は無かった。ただ、お母さんはとても物腰の柔らかな人で、手作りのクッキーやケーキを焼いてもてなしてくれた。美人で優しいお母さんで瑛二が羨ましかった。
私はよく瑛二がいない時を見計らって、遊びに行った。
「レナちゃんまたピアノを聞かせて頂戴」
瑛二のお母さんは、いつも褒めてくれるので嬉しかった。立派なベーゼンドルファーが瑛二の家にはあった。
父の会社経営が失敗し、私たち家族は逃げるように引っ越した。父が死んだあと、お嬢様育ちの母は、外で働いたことも無いのにパートに出てたが、結局、実家から援助をして貰っていた。
「あなたはピアニストになるのよ。」
母は事あるごとに繰り返し言った。私が大きくなるにつれ、母の干渉は酷くなり、音大のピアノ科に入ったものの、一年足らずで辞め、私は家を出た。
そして、看護大学に入り直し、学費や生活費などは、コンパニオンをしながら自分で稼いだ。
暫くして、悠木はクラブに手土産を持って現れた。
「来て下さってありがとうございます。」
私は笑顔で迎えた。悠木はママに手土産を渡すとあら…モンブランのモカロール ありがとう~と言ってウェイターに手渡した。
悠木は瑛二のことを色々教えてくれた。母親が癌で亡くなったこと、消化器外科を選んだのもそれが理由だったのかも…と。
「ええ…何でも胃がんだったそうです。」
…そうだったんだ。
「親父さんとの確執とか、苦労したみたいです。瑛二はカッコつけて、あんまり弱音とか吐かないから…。」
悠木が持ってきてくれた手土産のケーキを食べた。熱海の名物ケーキなんですよと悠木は教えてくれた。
上品な甘さで、とても柔らかかった。
「しんみりさせてしまってすいません…。」
…瑛二君も色々苦労していたのか。
「そうそう…この間の3次会で酔っぱらって瑛二が言ってたんですけれど、レナさんが初恋の相手だったって。」
それを聞いてウーロン茶を噴き出しそうになった。
「ありえない…だっていつも電信柱~とかブス~とか言われて、瑛二君に泣かされていたんですよ。」
好きな子には優しくできずに、意地悪しちゃうって子供の典型だったんですねと悠木は笑った。
瑛二も店にひょっこり姿を現した。
私が居ない時に何度か来ていたようで
ちょっとご挨拶行ってきたら?と
ママに言われ、渋々テーブルに着いた。
「よお。レナ お前さ…悠木には教えたのにどうして俺には教えてくれなかったの?」
…こーなるからでしょ。
「何回かここに来たんだけどさ、お前いなかったんだよね。だからここの女の子に来る日分かったら教えてーって聞いといたの。」
…一体誰が教えたんだ?
「水割り作って…濃い目でいいや。」
相変わらず瑛二は横柄な態度だった。
「病院は?当直や細かい仕事で使われるでしょ?」
水割りを作り、瑛二の前にコースターをそっと置いた。
「要領が良いからそれは大丈夫。」
大きなソファに大げさに足を組んで座る姿も少し憎らしい気がした。
「ねぇ…おばさん亡くなったんだって?」
私が灰皿を出すと、何も言わずすぐに横に避けた。
「...。」
瑛二は何も答えず、水割りを半分ほど飲んだ。
「いつ亡くなったの?」
瑛二の口は一気に重くなった。
「俺が高校出るちょっと前だったかな。」
余り関心の無いように瑛二は言ったが、
お母さんが大好きだったことは、態度で良く判った。
「じゃあ…私が引っ越して暫くしてからだ。」
いつから具合悪かったの?全然知らなかった。昔から体が弱いって聞いてたけど。私は矢継ぎ早に聞いた。
瑛二はそれにも答えなかった。
「お前…これちょっとこれ濃すぎるよ。」
全て飲みほしてから、私にグラスを渡した。
「…お前って呼ぶのやめてよ。」
2杯目を薄めに作って瑛二に渡した。
「今さらお前の事名前で呼ぶのも何か、メンドクサイんだよね。」
暫く沈黙が流れた。
「おばさん優しかったよね…私あんなお母さんが欲しいといつも思ってた。」
瑛二は目を少し細めて笑った気がした。
「…おばさんが庇ってくれたことがあったの。」
テーブルの上の水滴をそっと拭いた。瑛二は何も言わずに聞いていた。
母と練習のことで喧嘩をし、ピアノのレッスンを、初めてサボった。私は行くあてもなく、夕方の公園のベンチでひとりで座っていた。瑛二の母が通りかかって私に声を掛けた。私は正直に話した。
「そうだ。瑛二も丁度居ないし、ここじゃ寒いから、うちに寄って行かない?」
私の肩を優しく抱いて話をしながら
瑛二の家へと向かった。
ここまで話すと、瑛二は携帯に目を落としながら笑った。
「おい…俺が丁度居ないから…ってなんだよ。」
「…瑛二君は、憎まれ口ばっかり言うから。でもおばさんのことは大好きだった。」
…良く話を聞いてくれた。
「母は、絶対に褒めなかったけれど、おばさんはいつも褒めてくれて、ピアニストになったら、レナちゃんのコンサート見に行くわねって。」
目の前のウーロン茶のグラスが、
少し滲んだ気がした。
そしてピアノの先生から私がレッスンに来ないと連絡が入った。瑛二の母は、母親に電話をすると。物凄い剣幕で瑛二の家に迎えに来た。そんな母親に瑛二の母は、
「レナちゃんが、ピアノのレッスンへ行くって言ってたのを私が引き留めてしまって…」
最後まで私を庇ってくれた。帰り際に、妹の分のお菓子を持たせてくれた。
それからも私は辛いことがあると、遊びに行っては、瑛二の母とピアノを弾いたり雑談をしたりお菓子を食べたりしていた。
ピアノを嫌いにならなかったのは、瑛二の母の影響があったからだ。
いつの間にか目から涙が零れた。
瑛二はそれをちらっと見ていた。
「あの人…らしいな。」
瑛二が呟いた。
「あと…いつも私の事いじめるばっかりだった、瑛二君が、隣の中学の子に私がいじめられて一度だけ守ってくれたことがあったよね。相手が複数だったのに、瑛二君がみんなやっつけちゃったの。」
突然あの頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「あーそんなことあったねぇ。俺…口の中、切っちゃってさ痛てーし、お前は帰る途中ビービーずっと泣いてるしさ。」
瑛二が懐かしそうに笑った。
「確か、一緒に帰ったのあれが最初だったよね。」
私は笑った。
「でもさ…一緒って言っても2mぐらい離れて瑛二君が先に歩いてた。歩くの早いから一生懸命付いてったの。」
会えば憎まれ口、いつもぶっきらぼうで、優しい言葉なんて聞いたことが無かった。だから覚えていたのかも知れない。
「ちげーよ…あれはお前が歩くの遅かったからだよ。」
…またお前って。
「…それで、瑛二君の家でおばさんの作ったお菓子食べた。」
私の言葉を瑛二が遮った。
「ちげーよ。その前に…家に帰ったら、珍しく親父がいてさ、お前はまた喧嘩なんかしてきてって頭ごなしに叱ったらさ、それまで泣いてたお前が、おじさん!瑛二君は私を助けてくれたんですっ。私、瑛二君のこと意地悪で大嫌いだけど、人を理由なく殴ったり喧嘩をするような人じゃありませんっ!!って物凄い勢いで親父に食ってかかったんだよね。」
「そうだったっけ?」
「親父はお前が大人しいの知ってるからさ、ちょっと驚いた顔して、もう喧嘩なんてするなよ…ってボソッと言って部屋に入っていったんだよね。助けてやったのに、意地悪とかそりゃねーぜって思ったし、大嫌いって言葉に傷ついた少年だった頃の俺。」
「うーん。そこは思い出せない。」
私はお菓子を貰ったこと以外の記憶が欠落していた。
「それにしてもお前…本当に良く俺んちで菓子ばっか食ってたんだな。」
ふたりで笑った。
「なんかさ…懐かしいな。」
瑛二はしみじみと言ってウィスキーのグラスを半分程空けた。その頃のことが一番思い出に残っている。近所や友人達には何も告げず、逃げるように引っ越してしまったので、私の子供の頃の楽しい記憶はそこで一度途切れていた。
「ねぇ…瑛二君。」
瑛二にあってその頃の思い出が一気に溢れ出した。
優しかった瑛二の母親。
「今度…おばさんのお墓にお参りに行っても良い?」
「うん…そうだな。」
瑛二はグラスを持ち少しうつむいた。ウイスキーの色が、あの日一緒に見た夕焼けのように見えた。
知り合いが個展を開くので、来ないかと先生からの電話は突然だった。
その後食事でも一緒にと誘われた。絵画などには疎く全くの素人だったが、それでも誘われて、まるで遠足を指折り数えて待つ小学生のようにワクワクしていた。
当日の朝はとても寒かったが、目覚ましが鳴る前に起きた。ジョギングをして、朝ご飯を食べ、いつものようにピアノを弾いていた。
携帯が鳴っていることに気が付いた。見知らぬ番号からの着信だった。もしもしと言う前に相手は話し出した。
「おぅ…レナ?俺。瑛二」
一瞬誰だか分からなかった。
…瑛二?なんで私の番号知ってるの?
瑛二は悠木から番号を聞いたと言い、今から瑛二の母親の墓参りに一緒に行かないかと言った。
「当直明けなんだけどさ、夜が暇でさぁ、結構寝れたんだよね。どうせ暇だろ お前?」
子供の頃の瑛二と全く変わらず強引だった。時計をみると、10時を少し過ぎていた。
夜は予定が入っていると言って断った…のにも関わらず、話を続けた。
「男とデートか?」
瑛二は女性との会話が上手だと悠木は言ったが、明け透けな物言いばかりで絶対疑わしいと思った。
「…知り合いに個展に誘われているの。」
「場所どこ?」
「えっと…何だったけな…ギャラリーなんとかって…ちょっと待って…。」
バッグから先生の名刺を取り出した。
「ちげーよ…お前んち。」
瑛二は乱暴に言った。
「えっ?私のマンションのことを言ってるの?」
「今から車で迎えに行く…場所どこよ?」
電話越しに車のエンジンの音が聞こえた。
「八王子にあるんだ…お袋の墓。だからそんなに時間掛かんねーと思う。住所はよ…ナビるから。」
ナビるって…初めて聞いた。仕方なくマンションの住所を伝えた。
「あ…近いんだ...何となく分かるかも。40分ぐらいで行く。準備しといて。近くなったら電話するから。じゃあね。」
あっという間に電話が切れた。
…髪を乾かす時間あるかな?
シャワーを浴びながら、大慌てで歯を磨いた。洋服に着替え、髪を乾かしている最中にドアのチャイムが鳴った。
…つく前に電話するって言ってたじゃん。
玄関を開けると、瑛二が立っていた。
「よぉ…。道が空いてて早く着いちゃった♪」
…着いちゃった♪じゃないよ…全く。
「上がってて…お茶もお菓子もなにも無いけど。冷蔵庫に水ならあるから勝手に飲んで。」
私はバスルームに戻り髪を乾かした。
「へー…こんなところに住んでるんだ。想像してたのよりもボロくなくてびっくりだわ」
瑛二は靴を脱ぎながら言った。
「ボロくなくてすみませんでした…。」
ドライヤーを掛けながら大きな声で言った。
「ま…俺の部屋の方が、2倍以上広いけどね。」
瑛二は冷蔵庫からミネラルウォーターを
取り出し飲んだ。
「冷蔵庫の中、なぁーんも入ってねーじゃん。自炊してんのかよ。」
…いちいち煩いな。
「自炊しないし、ご飯作らない…てか作れない。」
私は笑った
「だよなぁ…キッチンすげー綺麗だもん。」
水を飲みながら、瑛二はキョロキョロ周りを見回した。髪を乾かし終わり、キッチンを覗くと、隆二はリビングでピアノの楽譜を見て居た。
「あ…そこから先は寝室だから入らないでね。」
私はバッグに携帯とハンカチを入れた。
…あれ…どこだったけな…部屋の鍵。
コートを取りに寝室へ入り出てくると、
瑛二は私の昔の写真を見て居た。
「これいつの?」
写真を眺めながら瑛二は私に聞いた。
「高校生の時のコンクール。」
「お前…こんな狭いマンションに、よくこんなでかいの入ったな。」
「うん。お待たせ♪」
私はコートを羽織った。瑛二とふたりで部屋を出た。
エントランスには渋い外車が止まっていた。
「スポーツカーじゃ無いんだ。なんかイメージと違う」
私は笑った。
「うん…今日はたまたま。いつもは赤いヤツ乗ってる。」
…相変わらず見栄っ張りで一言多い。
「ここからだと1時間ちょっとで行けると思う。」
瑛二は運転席に座り、内側から助手席のドアを開けた。
カーステレオからは、チャイコフスキーの幻想序曲ロミオとジュリエットが流れていた。静かにゆったりと始まるが、中盤は激しく、とてもドラマティックに終わる曲だ。
「へぇ…瑛二君、チャイコフスキーなんて聞くんだね。」
「あんまり聞かないけど、クラッシックは女受けが良いから。」
…どこまでも生々しいことを。
「そう言えば…瑛二君のお父さんは元気?」
何気なく尋ねた。
「うん…あんま実家に帰って無い。親父は…お袋死んですぐ、愛人と再婚した。」
瑛二の言葉には刺々しさを感じた。
「そうだったの…。」
私はそれ以上何も聞けなかった。
「それよりか…お前はどうだったの?引っ越した後…大変だったんだろ?」
瑛二は私をちらりと見て言った。車は区役所を曲がり、国道409に乗った。トラックや営業車が多いが、渋滞はなかった。
音大を中退して、働きながら学費や生活費を稼いだことなどを話した。
「それで…お前んちのおばさんは元気なのか?」
家を飛び出して以来、全く会っていないと言うと、瑛二は、たまには会いにいけよ。と言った。私は瑛二君もね…と言って笑った。
石川のサービスエリアで休憩をした。瑛二はとても元気だった。朝ご飯を食べてないと言って、メンチカツバーガーを食べた後、
「帰りに、煮干しでだしを取るラーメン屋があるんだ。時間あったら行ってみようぜ。」
そう言いながら、フードコートのとんこつラーメンまで食べた。発言も食欲もまるで高校生の瑛二が可笑しかった。
霊園は中央道を降りて、20分ほど行ったところにあった。
霊園の入り口で花とお線香を買った。
肌寒い道を10分ほど歩いたところに、瑛二の母親の墓はあった。
とても綺麗に手入れがされてあり、少し萎れた花が活けてあった。花を新しいものと取り換えた。
「レナが 来たぞ…」
瑛二がそっと墓に向かって言った。私は胸が詰まった。
「引っ越した後、お前、一度お袋宛に手紙よこしただろ?」
そうだった…音大に入るためにピアノを続けていること、友達も出来たこと、お礼と一緒に手紙に書いた。
「お袋とっても喜んでさー。引っ越してもピアノ弾いてるんだってー良かったわねーなんて喜んでてさ、私の代わりにあなたが書いて…って言ってさぁ何度か書いたんだよね手紙。」
瑛二は遠くを見ながら言った。
「え…手紙?知らなかった。」
…はっとした。
「もしかしたら、母かも…。ごめんなさい。」
母親は友人とのお茶会やパーティーと忙しい人だった。だが、引っ越し後それまで交流のあった友人や知り合いと、一切連絡を絶った。お嬢様で育った母は、父の事業の失敗という出来事は、余程受け入れ難いものだったのだと思う。
「そっか…。お前が知らなかったんだから仕方がねーよ。」
瑛二は、線香に火をつけた。帰りは、瑛二の希望通りラーメン屋に寄り、私も遅いお昼をとった。瑛二はラーメンと一緒に餃子と半ライスを食べながら
「俺、本気出したら、焼き肉とか…まだ食える。」
メタボになったら可愛い女の子にもてなくなるわよと笑った。
「大丈夫、そしたら金で解決するから。」
瑛二は真面目な顔で言ったので、再び笑った。
…瑛二ならやりかねない。
途中渋滞に引っかかってしまった。待ち合わせが7時だと言うと、直接行った方が早いと瑛二がギャラリーまで私を送った。
昼間は気が付かなかったが、まだ11月だと言うのに、ライトアップされていた。
「なあ...そういえばさぁお袋が好きだったノクターン覚えてる?作曲家が判んねーんだけど。」
…うーん…
「…すんげーマイナーなヤツだったと思う。」
リストでもショパンでも無い誰か…私は思い出せなかった。
信号待ちで窓越しに、ショーウィンドーが見えた。まだ11月だと言うのに、大きなクリスマスツリーが煌びやかに飾られているのが見えた。
「練習ノートまだ残ってたと思うから探してみる。」
窓に反射するツリーを眺めながら言った。瑛二の車は、時間よりも少し早くギャラリーの前に着いた。私はお礼を言った。
「またそのうち店に行くわ。」
瑛二は運転席で背伸びをした。
「来なくて良いよ。」
私は笑ったが、本心からだった。
「ところでさ、クリスマスの予定ってなんかある?」
瑛二は私に聞いた。
クリスマスは、毎年どこかでバイトでピアノを弾いていると私は言った。
雰囲気の良いレストランで弾くことになったら、彼女でも連れて来てねと私は言った。
「ふーん…そっか。じゃあまたな。」
そう言って瑛二は車を出した。
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