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6.婚約
俊介との婚約は、父親のマリオネットになった気分で亜美はちょっぴり気にくわなかったが、俊介の顔を見るとそんな気持ちはすぐに飛んでいってしまう。仕事でもその浮ついた気分が顔に出てしまっているようだ。流石に社長令嬢の亜美に表立って嫌味を言う者はいないが、秘書室の先輩の矢沢美沙が妙にとげとげしい。もっともそれ以前から亜美は美沙とうまくいっていなかった。だからといって社長令嬢の立場を振りかざすつもりはなかったので、普通の後輩として振舞っていた。
亜美が退勤しようと思って秘書室を出ると、偶然又従兄の井上晃に遭遇した。
「亜美ちゃん、お疲れ! 今、帰り?」
「うん、これから帰るところ。じゃあ、お疲れ様!」
亜美がその場を去ろうとすると、晃は引き留めた。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど、食事でもしながら今からどう?」
「うーん、今日はちょっと」
「じゃあ、ここで聞くけど……佐藤俊介と婚約したって本当?」
「本当よ。晃君もフラフラしてないでいい加減、1人に決めたら? 大叔母さんが心配するよ」
「俺は亜美ちゃんに決めてたのに……」
普段、女性に対して軽い晃に妙に真剣な目つきで見つめられ、亜美はドキッとした。
「わ、私、もう行かなきゃ。じゃあね」
「待って!」
亜美が別れを告げてそのまま行こうとすると、晃が彼女の腕を咄嗟に掴んだ。
「離して! 晃君が好きなのは私自身じゃなくて本家の一人娘だからでしょ?」
「違う! 俺は亜美ちゃんのこと、本当に……」
「そういうの、もういいよ。私、会社には興味ないし、経営能力もないから、どうせ晃君が継ぐでしょ」
「佐藤が亜美ちゃんと結婚するなら継ぐのはあいつだろ? 少なくとも社長はそのつもりだよ」
「ほら、それが晃君の本音でしょ! 俊介さんはそういうのと関係ない!」
「ち、違う! 俺の気持ちは……」
「こんな所で人の婚約者に何をしている? 亜美さんの腕からその汚い手を離してもらおうか!」
晃が亜美のもう一方の腕も掴んで顔を近づけたところに俊介がやってきて晃の腕をねじ上げた。
「い、痛っ! 離せ!」
「それはこっちの台詞だ!」
「俊介さん!」
亜美は俊介に駆け付けてもらえて涙が出そうになるぐらい、ほっとした。その表情を見て晃はグサッときた。
「ふぅ……嫌ねぇ、会社でこんな修羅場。それでも許されるのはさすが社長令嬢ね」
「あ、矢沢さん……すみません、そんなつもりじゃ……」
いつ秘書室から出てきたのか、秘書室の先輩の矢沢美沙もいつの間にかその場にいて亜美は面食らった。晃は途端に普段の軽い態度に戻って美沙に話しかけた。
「矢沢さん、これ、俺のせいだから、勘弁して。今度、ランチ奢るからさぁ」
「ランチで釣られると思うの?」
「ううん、それとは関係なく、美人と食事一緒に行けるのは役得だよ。今日もこれから時間ある? 飲みに行こうよ」
「んもう、しょうがないわねぇ」
美沙は亜美と俊介をちらりと見て晃と腕を組んで去って行った。
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本話は、スター特典第1話「カクテル言葉」へと続きます:
https://estar.jp/novels/26265140/viewer?page=2
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