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周囲の空気が一変する。そこに立っているだけでわかる。このままでは確実に死ぬ。
「なに、貴様らが勇者の魂を回収しようと画策した段階で、手は打っていたのだ。ゆえに私はこうしてここにいる。おとなしくしていれば見逃したものを」
考えろ。
目の前にいる魔王は、言葉が通じる。そしておそらく――これは勘でしかないのだが――約束は律儀に守るタイプだ。
「……ひとつ、聞いていいか?」
「なんだ? 命乞いか?」
「ある意味、そうだな」
そう、自分の望みを考えるのだ。
魔王を倒すこと? ――違う。
勇者の魂を回収すること? ――違う。
元の世界に戻ることだ。このくそ面倒な仕事をぶん投げて、元の世界に戻ることだ。
「俺は、異世界に渡る際、戻る条件として勇者の召喚が組み込まれた。勇者の召喚式が発動しない限り、俺は元の世界に戻れない。その上で聞きたい。――お前の力で俺を元の世界に戻すことはできるか?」
「ふむ……」
ふ、と気が抜けたように周囲の空気が軽くなった。
「なるほど、貴様、要は帰りたいのだな。ホームシックというやつか」
「うるさいな、そうだよ」
「少し見せてみろ」
かつかつと近づいてきた少女に、警戒は抱きつつも背を向け、下を向く。項をなぞる手に背筋がぞわっとしたが、それをぐっと堪える。
「ふぅむ……そもそも召喚式に召喚式組み込むとか何がしたいんだ?」
「いや、単純に仕事終えるまで帰ってくるなって意味だと思う」
「上司は選んだ方が良いぞ」
まさかの魔王にパワハラの心配をされるとは。むしろ魔物の世界の方が優しいのでは、と泣きたくなる。
つ、と指が項から離れたのを確認し、振り返る。少女の顔がそこにある。この顔が司祭の好みらしいが、まあ、かわいいといえばかわいいのだろう。その顔が言う。
「不可能ではないな。だが立ってやるには面倒だ、そこのベンチに座れ」
そう言って指差した先は公園据え置きのベンチ。いそいそとそこに腰掛ければ、魔王が背後に回る。
「というか、貴様、どうしてこの仕事を請けたのだ」
「金に釣られて」
「うまい話には裏があるものだろう」
「反省した」
背後で魔力がうねっている気配がする。この状態ではおとなしくするに限る。背後の魔物は立ってやるには面倒だ、などと言っていたが、本来、人に掛けられている魔法式に手を加えるのは落ち着いた設備の整った屋内でやることなのだ。てきとうにやろうものなら、魔力の暴発はもちろん、廃人になることだってあり得る。
「……その女の子とはどういう契約を?」
「なに、この子があやつを好いているのはわかったからな、『あやつを殺す者がじきに来る。私はそのものたちからあやつを守るために来た。暫し力を貸してほしい』と言ったのだ」
「それで信じたのか……」
「いや、信じなかった」
信じなかったのかよ、と突っ込みを入れたくなるのをぐっと抑える。今は動いてはいけない。自身の身のため。
「だが、あやつに告白するのを手伝ったり、ちょっとだけど魔法が一時的に使えるようになるというのをアピールしたら乗ってくれた」
「軽かった」
命よりも魔法の方が興味のあるお年頃か。
「この子はあやつと恋仲になり、しかもあやつを守れる。私はあやつが死なない限り勇者の召喚を待つことができる。ウィンウィンの関係だな」
魔王の言葉に「そうだな」と力なく応える。一方的に殺しにかかった我々とは大違いだ、これではどちらが悪者なのか。
魔力を弄る気配がやむ。
「終わったぞ。明日の朝には、貴様は元の世界に戻れる」
「助かったよ」
「あやつには手を出さないな?」
「ああ、もう出さないよ」
そう言えばにんまりと魔王は笑った。
朝を待つ間、念のため司祭に連絡を入れることにした。停戦協定の話もある。
だが、何度通信しても司祭は出なかった。人を働かせておいてやつは寝ているらしい。やはり帰ったら真っ先に殺そう。
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