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「そんなことだろうとは思ったけどな」
鼻につく血の匂い。無残に散らばる死体の山。その姿は見覚えのあるものばかりだ。その中に司祭の姿もある。最後の会話が女の好みの話となるとは。
魔王の言葉通り、夜明けとともにこちらの世界に戻ってこられたはいいものの、帰っていきなり目に入るのが死体の山では目覚めも悪いというものだ。寂しく残された勇者の召喚式をよけて出口に向かおうとすれば、カツン、という音が響く。
「おはよう、おかえり、それともさようなら、か? この場合の挨拶はどれが適当なのか」
「魔王様はまさかほんとに女だったとは」
姿を見せたのはひとりの女性。魔力を事前に知っていたからこそ、これが魔王だとわかったが、知らなければ職員のひとりとでも勘違い――はさすがにこの状況ではしないが、街中とかであれば確実に勘違いしていただろう。
「人型というのは存外に無駄がない。何度も言っただろう、私も反省したのだと」
つまり、前回の戦いは思いのほか魔王自身をも成長させてしまったということのようだ。
「停戦協定はどうしたんだよ」
「もちろん提案したぞ? だがそれを無視し、貴様らは勇者の召喚を行おうとした。ゆえに、私は今ここにいる」
なるほど、「手を打っていた」というのはこういう意味でもあったのか。
「さて、まあ、貴様は逃がしてやっても良いが――」
ずん、と重い振動が響き渡る。魔王の背後に現れる巨体。魔物もいるだろうとは踏んでいたが、そのサイズは屋内で放し飼いにするには少々無理があるだろうと言いたい。
「ふむ、お前には存分に暴れさせてやると約束したからな」
そう言って魔王が撫でるのは巨体の足。ベヒーモスと呼ばれる魔物の――おそらくは子どもだ。
「逆に貴様とは元の世界に返すという約束は守ったからな、それ以上の生命の保証は契約外だ」
「お前はもう少し『契約』とは何たるかを学んだ方がいいぞ」
アフターケアも契約のうちだ!
叫びながら先手必勝と地面からツタを伸ばし巨体を押さえる。
「なるほど、そうか。では、次回から気をつけることにしよう」
そう言って姿を消す魔王に「今回から適用しろ!」と叫ぶが、その声はベヒーモスの唸り声にかき消される。
「さて……」
ツタとは言っても材質はこの建物と同様のもの。魔法がばんばん飛び交う建物の材質は、そう簡単には破壊できない。
ベヒーモスと対峙し、そして、笑う。
すべてを見届けず早々に退散した魔王を笑った。
「まあ確かに、俺との約束は守ってくれたしな」
だからここにこうして生きている。
「そしてまあ、俺も約束は守ったぜ。もう《・・》、手は出さないって約束だったからな」
背後で召喚式が発動する。勇者の召喚式だ。
「俺はホームシックにかかってたんでね、標的にはさくっと死んでほしかったのさ。どれほど失敗しても、翌日には必ず死ぬように出会った当初に保険をかけてな」
人間の体は電気信号で動いている。最初、車を運転する人間の小型端末を弄る際に、一緒に標的の脳も弄っておいた。
ベヒーモスが唸り声を強くする。これから現れる強敵の気配でも感じ取っているのだろう。
「さあ、勇者様」
チュートリアルの時間だ。
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