金の亡者と架空家族

2/5
前へ
/5ページ
次へ
「父さん、今帰り?」  レンタル家族を申し込んでから一週間後の夕方六時、会社からの帰り道のことだ。満造は家の最寄りの駅近くで、声をかけられた。振り向くと、Tシャツ姿の見知らぬ青年が立っている。  満造は眉間に皺を寄せると、「君は一体誰……?」と言いかけ、はっと口をつぐんだ。  そうだ、レンタル家族のお試しプランは今日からだ。まさかこの青年がーー。  背の高い青年は快活に笑うと、 「何言ってんだよ。父さんの息子のマサルだよ!」  やはりそうだった、と満造は内心うなずく。   満造はプランに申し込んだときのことを思い出す。  鈴木を介して手配したレンタル家族は全部で三人。『妻』、『息子』、『娘』だ。  業者からはプランを申し込むときに満造の詳細な情報を尋ねられた。食事の好み、日々の生活の流れ、身長体重など。心理テストまで受けさせられ、好みの家族構成やそれぞれの性格の設定まで尋ねられた。しかし満造は家族の好みなどわからなかったので、それは『お任せ』を選んだ。  それから三日後、メールで業者から家族役の三人の顔写真と家族としてのプロフィールが届いたのだ。その中に、確かに今満造の目の前にいる青年のデータがあった。 『息子役 役名・萬谷マサル。C大学三年生。成績優秀、父親想い。大学でサッカーサークルに所属』  家まで歩いて十分の道のりで、マサルはごく自然な調子で満造に話しかけてくる。大学の授業のこと、最近観戦に行ったサッカーの試合のこと、次の長期休みに行く友人たちとの旅行のこと。  大学生の息子がいるとは、こういうことなのかーー。満造はマサルの言葉にいちいちうなずく。どういう反応をしていいかわからず、「うん」とか「ああ」しか言えない。  そのうち自宅にたどり着いた。満造の自宅は、高級マンションの一室で、5LDKの広い部屋だった。一人で住むには広すぎるその部屋は、偶然にもレンタル家族を試すのにうってつけだった。 「お父さん、お兄ちゃん!」  マンションに入ろうとしたとき、後ろから高い声が聞こえてきて、肩をぽんと叩かれる。振り返ると、セーラー服姿の髪の長い女の子がいた。肩にはスクールバッグとテニスのラケットのケースをかけている。満造は目を丸くする。その子もまたレンタル会社から送られてきたメールに写真とプロフィールが載っていた。 『娘役 役名・萬谷カオル。D高校三年生。テニス部の部長。友人が多く、明るい性格』 「もしかして一緒の電車だったのかな」  カオルは小首をかしげる。長い髪がさらりと肩にこぼれた。  二人に話しかけられながら、落ち着かない気持ちで満造はエレベーターで五階に上がった。自室の玄関を開けた途端、またも満造は目を丸くする。  普段は暗い我が家に電気がついている。おまけに何か良い匂いが漂っていた。 「だ、誰かいるのか?!」  満造が叫ぶと、廊下の奥のドアが開いて、エプロンをつけた女が顔をのぞかせた。満造は息を呑む。満造と同じくらいの年頃の女は、女優のような美人だった。わずかにカールのかかった長い髪をひとつにまとめ、にこやかな笑みを浮かべている。 「あなた、おかえりなさい。早かったのね。あら、マサルとカオルも一緒なのね」  その女もまたレンタル会社からのメールにデータが載っていた。 『妻役 役名・萬谷ノリコ。五十二歳。お見合い結婚。趣味は合唱と洋裁。優しい性格』 「お母さん、今日の夕飯はなに?」  カオルが玄関で靴を脱いで、パタパタと廊下を駆けていく。 「カオル、その前に言うことがあるでしょ」 「あ、ただいま!」 「おかえりなさい、カオル」  カオルに続いて、マサルも家に上がり「ただいま、お母さん」とノリコに告げる。  三人のその様を、満造はただ呆然と見ていた。  何なんだ、こいつらはーー。満造にとって、家族というものは当の昔に忘れたものだった。物心ついたときから母親は家にいなかった。父曰く、男を作って逃げたらしい。父は父で酒に溺れて仕事もせず、起きていると満造を殴った。だから満造は中学校を卒業したら家から逃げ出し、今に至るまで家族に会ったことはない。だから、今目の前で繰り広げられているのは未知の光景だった。 「あなた、どうしたの」  その声に満造ははっとした。ノリコが自分を見ている。カオルとマサルもだ。 「い、いや……」 「さあ、晩御飯にしましょう。お腹空いたでしょう?」  満造は恐る恐る家に上がる。自分の家だと言うのに、これほど緊張して入るだなんておかしな話だ。しかし体というのは正直なもので、『家族』三人の前に立ったときキッチンから漂ってくるいい匂いに思わずお腹が鳴った。  ノリコは「一緒に食べましょう。あなた、最近ずっとお仕事で遅かったから」と朗らかに笑う。 「でも、その前に言うことがあるでしょう? それを言うまで、夕飯は食べられないわよ」  満造は口をモゴモゴさせ、やがてささやくように言った。 「た、ただいま……」  もしかしたら人生で初めて言ったかもしれない言葉だった。 「おかえりなさい」  三人が声をそろってそう返してくれたとき、満造はこれまで感じたことのない小さな温かさを感じた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加