Fervente 〔熱烈に〕

3/3
前へ
/24ページ
次へ
「演奏会に出るぞ」 帰るなりそう宣言した真尋に香坂が目を丸くした。 「なんだよいきなり。演奏会?」 「そうだ。まあそんな大層なもんじゃない。母校のちょっとしたイベントでの演奏依頼を受けた」 「俺も行くの?」 「当たり前だろ」 近々、真尋が卒業した大学でコンサートを開くらしい。OBを出演者として、観客は在学中の学生たちだけという内々のイベント。前に依頼をもらったときは香坂と出会う前で、その時は気が向かず断ったのだが再度話をもらったのだ。ユニットで参加しても良いかと聞くと快諾されたので、初舞台にはちょうどよいかと受けてきたのだが。香坂はいまいち乗り気ではないようだった。 「大学?」 「そうだ」 「音楽大学?」 「そうだな」 渋い顔をする香坂に、こちらも渋い表情を返す。 「なんだよ」 「……お金もらうの?」 「ほとんどボランティアみたいなものだが、交通費分くらいは出る」 ふぅんと喉から音を漏らしたっきり、香坂は視線を彷徨わせた。一体何が引っかかっているのか。 「……何か問題あるか?」 「いや、んー、ちょっと早くないかなと思って」 「は?」 「ほら、俺テクニックとか無いしまだまだ拙いし」 「何言ってる。毎日教えてやってるだろ、というか確かにお前の技術は完璧かと言われたらそうではないが、それでもそんじょそこらのやつよりは格段に上だろ」 俯いていた香坂の頭が、ぱっと跳ね上がって真尋を見る。それを逸らすことなくじっと見つめ返した。 表現力豊かな香坂のピアノは、それとは反対にまだまだ荒いところがあった。これまで指導者もおらず、また十分に弾けていなかったのだから当たり前だ。しかし、それはこの数ヶ月で随分と改善されている。俺自身、大学でピアノも学ぶ必要があったためある程度教えることはできたし、香坂もそれを素直に受け取ってすいすいと上達した。元々荒いテクニックの分を引いてもお釣りが来る演奏が出来るほどの表現力があったのだ。何を今更心配しているのだと思う。 「俺、音大生の前で弾いても大丈夫?」 「むしろ見せつけてやれ」 「ふは、わかった。頑張る」 「よし」 香坂の目尻がふにゃっと綻んだ。今までもバーで弾いてきた香坂がこうなるのは意外だったが、初舞台なんだ。多少ナーバスになるのも仕方がない。舞台慣れしている俺がフォローしてやればいい。 「じゃあ明日、衣装買いに行くぞ。予定は空いてるな?」 「空いてるな?じゃねーよ。微妙に失礼だな。ってか衣装?」 「演奏会のスーツだよ」 持ってるか?とは聞かない。この辺りの機微は最近学んだことだ。そして案の定、香坂はぐっと言葉に詰まっている。 「……スーツっていくら?」 「金は俺が出す」 「でも」 「相棒への投資だ。気になるならこの先ギャラから引いてくれればいい」 「……わかった」 「ん。じゃあ明日10時にうち集合な」 無言で頷く香坂の頭に手を置く。数度叩くように動かしてやると、少し強張っていた表情が緩んだ。遠慮なく頼ればいいのにと思う。最初の頃と比べると、まだ遠慮がちだが、素直に甘えてくるようになった。もっとそうすればいい。いや、何を考えているんだ。自分でもわからない何かを誤魔化すために側にあったヴァイオリンケースを引き寄せた。 「さ、練習するか」 「うん。曲はどうすんの?」 「2曲やってくれと言われてるんだが、一曲は『ラ・カンパネラ』でどうだ?」 「まじで言ってる? あれピアノの曲じゃん」 「ヴァイオリン伴奏のアレンジすればいい」 「えぇ、なんでそこまでしてその曲なんだよ」 「ラ・カンパネラ」はピアノソロの中でも難曲と言われるナンバーだ。所謂「超絶技巧」と言われ、トッププロ達が挑んできた。そんな曲を選んだのには理由がある。それは香坂を周囲に認めさせるためだ。小さなコンサートとは言え、香坂と真尋のユニットと初披露には変わりない。音楽家の世界など、狭いものだ。どこの誰が誰と組んで、どんな演奏をしたのかなんてすぐに多くの人の知るところとなる。ましてや真尋においては、それなりの実績がある分、余計に噂はよく回った。その中で最初にインパクトを与えて置くのは重要だ。ラ・カンパネラなら十分にその役目を果たせる。まだ荒いところはあると言えど、香坂は十分にこの曲を弾きこなせる。 そう説明すると香坂は一応納得したようだった。 しかしこの選曲にはもう1つ、どうしても真尋がこれを選びたかった理由があった。それは香坂を自慢したいという思いだ。どうだ、すごいだろう。俺はこんな相棒を得たのだ、そう言って見せびらかしたい。本人には決して言えない密かな思いだった。 「で、もう一曲は?」 「同じリストで揃えて『二重奏曲ソナタ』で考えてる。せっかくこの前から合わせてるしな」 「あぁ、あれ好きだよ俺」 「決まりだな。コンサートは1ヶ月後。この2曲メインに練習するぞ」 「はーい」 ふんふんと鼻歌を歌いながら香坂が楽譜が並ぶ棚に向かう。その鼻歌はラ・カンパネラだ。何気なく歌っているようで、音が全く外れないそれに内心で感心する。やっぱりこいつは本物だ。これを埋もれさせたままにしておきたくない。香坂を見せびらかすには、まずは自分が良い演奏をしなければ。静かに気合を入れて、真尋はヴァイオリンを構えた。音を鳴らすと空気が揺れるのを感じる。1ヶ月後。勝負の時は近い。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

342人が本棚に入れています
本棚に追加