隔たれていく景色

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 手の中の宝物を見せ合うようにして、スマートフォンの画面を代わる代わる向けられた私は、いよいようんざりし始めていた。けれどもそれは内側であって、外側の私は気持ちの良い笑顔を貫き通しているから、彼女たち誰一人にも見抜かれてはいないだろう。 「これが最新の眞人君! やばすぎて……」  放課後の教室で、真弥が大袈裟に両目を瞑りながら〝彼〟のSNSの投稿を私たちに見せつけた。すかさず夏菜が「え、目やば」と即答して、隣に居る理衣沙が「待って保存する」と独り言のように溢しては、自身のスマートフォンを操作する。同じ画面を開くべく指先は集中している。 「色気やばいなぁ」  ワンテンポ遅れたけれども、極めて自然に感心した声を出してみせたのは私だ。みんなが同時に感じたであろうことをそのまま伝えただけだけれども、女子はそういうのを伝え合うことに価値を置く。違う角度からなんて必要がない。私にとってそれは物凄く簡単で、退屈だった。いつものことだ。 「でしょー。この視線、永遠と見てられるわ」 「眞人君を生み出してくれた神様に感謝すぎる」  理衣沙の言葉にこの場にいた全員が共鳴したように頷いた。分かるわー、って私も。神様でも母親でもない癖に。  感じ切ったところで夏菜が、「私の最推しも見て欲しい……!」とあらかじめ用意していたであろう韓国アイドルの画像を差し出す。彼女の宝物を見た私たちは繰り返し称賛の声を上げる。生きる術なのだと、思っている。  だから私は例えばこの瞬間に、何十年も前に生まれた洋楽や、BLUE NOTE TOKYOに出演予定のジャズシンガーの話をしたりはしない。 〝私の世界〟はここでは許されないことを知り得ている。聞かされたわけでもないけれども、子どもの頃から肌で感じ取ってきたことだ。──異質だ、なんて私が私を卑下したこともある。それくらいに今目の前に広がっている空間は、〝本当〟を受け付けてはくれない。  それでも生き破れる恐怖には勝れなくて、共感という盾を身に付けた私は、完璧に適当に相槌を打つことができる。目の前の人たちはいつだって簡単に、攻略することが出来た。アイドルもK-POPもさらさら関心がなくとも、ここまで生き残れている。 「あ、私、そろそろ部活行かなきゃかも」  真弥の一声によって密度の高まった空気がバラける感覚を覚える。冷静を取り戻したように、部活だとか帰るだとか言葉が飛び交う中、夏菜の視線が私を向く。 「ごめん私、今日塾行くんだよね」  咄嗟の嘘だった。職員室に用事があるという夏菜に向けての。それを待ってからの、帰宅への長い道のりに耐えられそうにない。  異文化を受け入れすぎたあまりの抵抗だった。これ以上は満腹で、つい言葉となって嫌悪感を吐き出してしまいそうだったから。喉の奥にとどめられているうちに対処したかった。えー、と心底残念そうに声を伸ばす彼女には本当に申し訳なかったけれども。 「じゃあごめん、部活行くね!」  真弥が手を振って、理衣沙も同じ理由で教室を出た。私は夏菜に「明日もまた話そ〜」って気遣う振りをして拒絶した。きっと多分、彼女は気付かないまま「うん、明日ね〜」って平穏にこの日を終わらせたのだろう。心の内側を悟られず、調和を乱さなければ二重丸なのがこの世界だから。私たちは笑い合って離れた。  私の世界の始まりは、友人の全てと別れた後だ。校舎を出て考える間もなくイヤホンを耳に挿す。耳奥で鳴るのは日本語でも韓国語でもない。心地の良い英語が、ピアノの音が、テナーサックスがドラムがまた、生き返らせてくれる。  ──どうして皆、流行を受け入れ、素早く手放し、また新たに受け入れていくのだろう。  揃っての〝前へならえ〟は、授業のときだけで十分だ。偉人たちが作り上げてきた過去を掘り起こす好奇心や、時を超えて受け継がれていくものの尊さに、どうして見向きもしないでいられるのだろう。  帰宅の電車に揺られながら私は窓の外、移ろう雲の跡を目で辿りながら思考する。耳奥では丁度、ストリングスが入り込んで美しさが極みを帯びている。  私が感じる美しいと、みんなが感じる美しいは、どうしてだかひび割れている。ずっと昔から変わらない。比べるものではないのに、多数派だとか少数派だとか、人というものは分別したがるのだ。そこの感覚に関しては等しく与えられているように思う。私がこんなにも夢中になってやまないものたちは、友人どころか年代の離れた人たちとさえ、なかなか分かち合えるものではないと予感はしている。  だから多分、今もこれからもきっと、私だけの世界なのだと。音楽と電車の揺れに身を委ねながら、私はゆっくりと瞼を閉ざす。  塾に行くことなく家へと直行し、夜ご飯もお風呂も宿題も終えたところで、私は何も予定のない明日のことを思う。……彼氏もいないし。土日はフリーが多い。時折、友人と遊ぶことはあるけれども。  ベッドに仰向けになり、天井を見つめながら思慮を巡らす。二十代だったら、お金があったら、ライブハウスに、いや違う、BLUE NOTE TOKYOに行くのに。全身にジャズを浴びるのだ。そうしてもしかしたらそこでなら、世代を超えた仲間と語り合えるかもしれない。何も、臆することなく隠すこともなく、私の世界を。  そう思い起こした刹那、階下からまた怒鳴り声が聞こえてきた。せっかくの金曜日の夜なのに。どうして我が家は、いつもこうなんだ。  母のキリギリした怒りと、父の突き放すような抑揚のない声。私はいつも通り咄嗟に、イヤホンを耳に挿す。瞬間、私の世界が広がった。頭ん中で。守られている、と思った。  そういえば、洋楽もジャズも全て与えてくれたのは私の両親だ。  それだけじゃない。ソウルもR&Bも、民族音楽もフュージョンも。クラシックも映画音楽もミュージカルも、全て。  だけれど同時に、流行を良しとしないのも、両親だった。自国で流行る音楽も映画もドラマも、違うと言って、意識的に遠ざけられていた。  もしもそんなことはなくて、J-POPも日本の映画もドラマも許されていたら? そうして、みんなと同じようにアイドルやK-POPの道を通っていたら?  私は、赤くとも黒くとも捉えられる炎を頭の中に感じて、慌ててスマートフォンの音量を上げた。すぐさま美しい旋律に包まれ、安堵する。……大丈夫、私は守られている。守られてきたはずなんだ。きっと、これまでは。  どうしてだか私の世界の外側は、壊れているみたいだ。  だからこれからは、自分のことは自分で守れば良いのだとよく思う。剣にも盾にもなる、音楽を魔法の杖にして。  他人になんて期待しない。期待をすれば、破られていく現実にまたあの衝動的とも言える炎を感じてしまうから。諦めてしまった方が生き残れていく。  だって今の私を、正しく理解も許容も出来る人なんて一人も居ない。その事実を背負って、私は音の世界に潜り込んで行く。聞きたくないものも見たくないものも、祓ってしまえるように。
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