オス化症候群

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オス化症候群

「あたしが恵田よ。恵田亜里沙(えでん・ありさ)。来ると思ってたわ。葉梨さんから聞いてたから」 「え? なんでわたしが来るって、分かるんですか?」 「彼、ああ見えて意外に鋭いのよ。色んなことにアンテナ張ってるし。それに、あなたの異変、気にしてたわ」 「異変……」 「そう、異変よ。気付いたのは彼だけだったかしら? と言っても、そのマスクを見ればちょっとおかしい、とは思うけれどね」  随分ストレートに言う。けれどなぜか、全て見透かされているような気がした。だから、なぜかこの人には、全部話してもいいような気がした。  そして、1週間前のことから、全部洗いざらい話してしまった。  それだけじゃない、仕事のことや恋愛のことまで聞かれ、素直に白状してしまった。まるで精神科医だ。  全部吐き出して、ちょっとすっきりした。 「そう……。それは大変だったわね。ちょっと、マスクとってごらんなさい」  ここは従うしかない。一度、信用してみようと決めた人だ。 「あら……。これは、産毛じゃないわね」  やっぱり、と思ったが、他人に見せたのはエステ以来だ。恵田先生は、胸も見せろと言ってきた。多少抵抗はあったけど、もうやけくそだわ。思い切って、胸をはだけてみた。 「……前はFカップあったの? いまはどう見てもBか、いいとこCね」  随分はっきり言うなと思った。 「これって、老化現象で縮んだんですか?」 「まさか。垂れることはあっても、そのまま小さくなるなんてことはないわ」  そこへ、「先生」と言ってさっきのアシスタント女性が、わたしの尿と血液の検査結果を持ってきた。結果出るの早いな、と思ったが、さほど気にとめなかった。わたしは、書類を凝視する恵田先生の方が気になった。結果を穴が開くほど見ている。  しばらくして、目を閉じた。腕組みを始め、うーんとうなり始めた。 (な、なに? 嫌な感じ。どう見ても、重症じゃない? ひょっとして癌とか?) 「せ、先生。わたしはどうなんでしょう?」  恵田は、真剣な顔してわたしを見た 「落ち着いて聞いてね。これは、100万人に1人いるかいないかという、とても珍しい病気だと言うことが分かったの」 「え、ええっッ!」  これが驚かずにいられるか。落ち着かずにいられる訳がない。100万人に1人って、日本に120人しか?いや、120人も?同じ症状の「病人」がいるってこと? 「これはね」  わたしは、唾をゴクリと飲み下した。 「『オス化症候群』という、とっても珍しい病気なの」 「オ、オス化? 症候群?」  聞いたこともない病名だった。オス化、ということは男になる病気ってこと?冗談でしょうよ。 「オ、オス……? 男になる病気ってことですか?」  そんな馬鹿な病気があるわけないよ、と思っていた。答えはノーを予想していたが、恵田は実にあっさりと答えた。 「ええ、そうよ。女が、次第に男になる病気なの」 (ががっ、がーん)  わたしの中で、何かが音を立てて崩れるのが聞こえた。  男になる・・・本当なの?信じられない・・・。そんな気持ちでいっぱいだった。自分が、全否定された気がした・ 「だけど、それ以外は全く健康体のままでいられから、安心して」 (安心なんて、できるわけないでしょうがっ)  内心、この無責任な言葉に怒りを覚えつつも、ぐっとこらえた。 「じ、じゃあ、どうしたら治るんですか?」  恵田は、右手をあごに、左手を右肘に持っていき、眼をつぶった。 「ないのよ。分らないのよ、原因が。原因が分らないから、治療法もないの」 「ええっ!!じゃ、じゃあ、このまま、男になるのを待つしかないってことなんですか?そ、そんなの、い、嫌です!」  自分が、そのうち男になる・・・。信じたくないし、信じられない。うそだ、って誰かに言ってほしい。だけど確かに、わたしに起こっている身体的変化は、言われて見れば男に近づいているとしか言いようがない変化だ。 「オス化症候群・・・」  衝撃的な症候群だった。症例はわずかしかなく、治療法もまだ見付かっていないという。恵田医師は続けた。 「この病気は、30歳中盤の女性にしか発症しないの。発症からたった1カ月で身体が男性になってしまうわ。いまのあなたは、その兆候が始まっているってことなの」  1カ月……36歳の誕生日だわ。36歳になったら、原因不明の病で心が女性のまま、オッサン……いや男性になってしまう。  膝の震えが止まらない。口の中が、かつてないほど乾燥していた。 「せ、先生。な、治る方法、って、あるん、ですか」  辛うじて、それだけ言った。 「治す方法は、ないわ。でも、治らない病気ではないのよ」
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