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ヒゲって!
ただでさえ、月曜日の朝は気分が悪いのに、その日は、人生で最悪の幕開けだった。
眠い目をこすって起き、疲れも取れぬまま向かった洗面台。
それは、眠気を覚ますのに十分なサプライズだった。
「きゃああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
鏡に映った自分の姿を見て、わたしは心臓が口から飛び出るほど驚いた。
「ハァ? う、うそやん? なんやねん、これ!!」
関西人でもないのに関西弁が出るというほどの驚きぶり。
で、何度も何度も、目が飛び出るほど鏡の中をのぞき込んだ。
「こ、これって、産毛じゃないよね?」
自分でも上唇のあたりをなでてみた。ざらざらした。
「うげっ」
自分の上唇の上に、しっかりした剛毛が生えていた
それも、男性が電気シェーバーでジョリジョリやるような、剃り跡が青々するような、女にとってあり得ない太さの毛だった。わたしは、とりあえず目先のことを処理しようと思った。
「よく分かんないけど、とっとっと、取りあえず、剃らなきゃ」
慌てて顔を洗った。そのまま、石鹸の泡を落とさずに、置いてあったワキ剃り用のカミソリで口ヒゲをジョリジョリ剃った。
「いたた……。マジ、何これ」
慣れない手つきで顔を剃ったから、ちょっと切ってしまった。
いままで、こんなしっかりしたヒゲがはえてくるなんて、想像もしていなかった。
「まったく、なんでこんな事になるの?」
それにしても、社畜って悲しい。
こんなことがあっても、私はいつもと同じように会社へ出かける準備をしていた。違うのは、この10月1日という日が、わたし真坂真琴の36歳の誕生日まであと1カ月だってこと。
「夢じゃないのよねっていうか、最近テレビで話題になってたけど、突如性別が変わるという……」
信じたくなかった。心の底から、夢であれ、と願った。
あと1カ月で、30代後半。アラフォーの仲間入り、と思うだけでも気が重かったのに。泣きっ面に蜂、どころの騒ぎじゃなかった。
「い、いそがなきゃ。あ、そうだ」
インフルエンザとかコロナが流行ってるわけじゃないけど、マスクをしていくことにした。
マンションの6階から駆け下り、ダッシュで吉祥寺の駅に向かった。しばらくぶりのマスクが、息苦しい。
「ハァハァ……」
なんとか、いつもの電車、7時40分に間に合った。中央線は、いつも混む。それに、痴漢が多いし、自殺も多い。
当たり前だけど、いつもと変わらぬ風景だった。右も左も、後ろも前も、同じ色のスーツを着たサラリーマン。狭い空間で文庫本や新聞を巧みに読んでいる。いつもは、
(暑苦しいおじさんたちね)
と思うだけだった。だけど、この日だけは、そんなサラリーマンたちの視線が気になった。
(なんか、わたしを変な女だと思ってないわよね。ていうか、もしかして、私って、このオッサンたちと同じなの?)
自分に何かやましいことや、負い目があると、なぜか他人の目が気になる。実際は、いつもと何も変わることはないのだが。
(日本人が、マスク好きの民族で良かった)
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