瞳に咲く花

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 あれから五年…。  遠い昔のことのようにも思える。 幼い頃、清七は父と二人で暮らしていた。 大橋を東へと渡った本所に住んでいた。御竹蔵の白壁を過ぎると、南割下水の周りに小ぶりな武家屋敷が立ち並ぶ。その一角の小さな屋敷に清七父子は暮らしていた。 父は書物奉行所の役人であった。一度も声を張り上げたところを見たことがない、やさしい父だった。 清七が三歳の頃、母は清七の妹を産んだ。しかし、産後の肥立ちが悪かった。父は借金をして、二日とおかずに町医者を呼んだ。が、母はまもなく亡くなった。それから十日もしないうちに、赤子だった妹も逝った。 それから父と二人だけの暮らしとなった。 清七は父が奉行所に行っている間、隣の屋敷の女房に預けられることになった。女房は旦那の稼ぎが少ないから金のために仕方なく清七の面倒を看ているのだと平気で口にする女だった。清七はその家の女房が嫌いだった。 清七は何かと辛く当たられた。気に入らないことがあれば罵られる。旦那への不満が募った時は特にひどく、手を上げられることもしばしばだった。そんなとき清七は軒下にかくれながら父の優しい顔を思い出して時間の過ぎるのを待った。 毎夕、門から父の声がすると飛びつくようにして、大きな背中に跳び乗った。父の右の首筋にある大きなほくろを見ながら、汗のにおいを嗅いでいると、無性に心が安らいだ。  五歳の夏のことだ。朝から茹だるような日だった。 「今日はお隣へ行かずに、一人で留守番をしていなさい」  父の声にいつもとは何か違う空気を感じた。いくら隣の叔母さんが怖くても一人で家にいるのは不安だった。 「昼前には父さんの知り合いのおじさんがこの家に来る。その人がお前を広小路ヘ遊びに連れて行ってくれる。そのおじさんの言うことをよく聞きなさい。見世物も見ることができるし、夜は花火も上がる。こづかいもくれるぞ」
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