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清七は訳がわからなかった。ただ、父は今まで見たこともないような悲しい目をしていた。何故だが、その目を正視するのが怖かった。
清七が問いかける間もなく、父は仕事に発った。
清七が玄関まで送りに出ると、父は草履を履きながらぼそりと言った。
「父さんは今晩から、仕事の用事で、しばらく帰れないかもしれない」
もののついでに言うような言い振りだった。
父の背中がいつもより丸くみえた。清七はその背中を呆然としながら見送った。
昼前になると、父の言うとおり、二本差しで父と同じ歳くらいの男が家を訪れてきた。背筋が板のようにまっすぐで、やせた体に鋭い目つきが印象的だった。
男は顔つきと異なり、清七に優しい言葉をかけた。
「菓子も買ってやる。軽業も見れるぞ。さあ、行こう」
清七は広小路へ連れられた。初めていく軽業に清七は、浮き上がるような気もちになった。
夜が更けると橋の上で鍵屋の小僧が花火の解説をしていた。
「東西(とーーざい)、東西(とーーざい)、これより打ち上げまするのは鍵屋の三番番頭、幸之輔が作ります流星でございまーす。首尾よく打ち上げられましたら拍手喝さいのほどお願いいたしまーす」
声の調子の面白さに清七は聞きほれた。
花火はあでやかだった。しかし、その華々しさがだんだんと不安へと変わっていった。
父さんはどこへ行ったのだろう…
今晩はこのおじさんがうちに泊まっていってくれるのだろうか…
聞こうにも怖くて聞けない。
そのうち、嫌な予感が湧き上がってきた。
父さんにはもう会えないのかもしれない、と。
男は大橋の欄干にもたれて、気楽そうに花火を見ている。
「江戸の花火ってのはすげえなぁ」
言葉から、男は江戸の者ではないらしいと清七は思った。
花火が終わり、橋の上から人の波がひいていった。
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