瞳に咲く花

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「これから行くところがある。ついて来な」  その言葉は今でも耳に残っている。  男は大橋を西へと渡った。清七の住む本所は反対の東側だ。 清七は恐怖で額が熱くなった。  どこか恐ろしいところに連れて行かれるのだ。ほとんど本能的な思いだった。 そこは、両国橋から二町ほどにある店だった。  間口は二間。何かの商家らしく表には看板が掲げられていた。が、清七は字が読めなかった。  やがて、ふくよかな顔の優しそうな男が出てきた。店の主人らしい。 あるじは清七の顔をまじまじと見つめた。 男がそのあるじと小声で話している。  清七は必死に大人の会話に耳を立てた。自分の身の上のことを話しているに違いない。 「・・・この子です。父親は既に江戸を発ちました…。・・・決して江戸には戻らねえと…」 恐ろしいことが起ころうとしている。その思いはほとんど確信になった。  男の言葉にあるじが返した。 「わかりやした。先日、その方がいらっしゃいやして、・・・・・・・・・・というお話を伺いやした」  大人の会話は言葉が難しくてわからない。  男は清七を見下ろした。 「今晩から父さんのことは忘れるのだ。お前の家はここだ。この方が新しい父さんだ」  切り裂くような冷たい目だった。  男は、言い含めるように清七の頭をゴシゴシと撫でて、去っていった。  清七はこうして鍵屋の子どもとなった。 ―花火の鍵屋は孤児(minasigo)を引き取り、花火職人に育て上げる。 江戸の人々はそう噂しあった。が、噂ではなくそれは事実であった。 人々は囁きあう。 花火職人は火薬を扱う危険な仕事であり、好きで職人になる者がいないからだとか、弥兵衛自身もかつて親に捨てられたからだとか、巷ではそんな言葉が交わされていた。
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