瞳に咲く花

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「いつもの年より湿気ってるぞ!」 そんな不満の声が大橋から次々とあがった。 江戸の人々の目はごまかせない。弥兵衛は源右衛門の抜けた穴の大きさを改めて思い知らされた。 鍵屋不振の噂は瓦版にも書かれ、覆すことのできない事実として人口に膾炙した。白けた花火は勧進元の財布の紐をも固くした。日々、鍵屋の花火船には余った花火が積み上げられるようになった その夏が終わった。 売り上げは例年の半分近くにまで落ちていた。弥兵衛が帳簿がめくれあがるほどの深いため息をついた。 当座の金を何とかしなくては… このままでは来年の花火のための材料や火薬を買う金も覚束ない。 思い立つと、弥兵衛は十兵衛を尋ねていた。 「清七の件は来年までお待ちくだせえ。それまでには必ず返事をさせていただきやす」  十兵衛が煙管に火を入れて、弥兵衛の本題を待った。 「今日は折り入って話がありやす」  十兵衛は煙草の煙をひとつゆっくりと吐いた。 「この夏の鍵屋の評判はご存知の通りでやす。恥かしながら、うちの店の台所は火の車です。回りくどい言い方は苦手です。単刀直入に言わせてもらいやすが、源右衛門の怪我の件の五百両、先に頂戴したいのでやす」  口上の苦手な弥兵衛が慎重に言葉を選んだ。 十兵衛は何か考えているらしい。呆けたように開けた口からもやもやと白い煙が流れ出ている。 「そういう話なら、悪いが聞けねえ」  言葉と一緒に吐かれた煙が踊っている。懇願するように弥兵衛が身体を乗り出す。 「しかし、おぬしは源右衛門の左手の怪我の件を五百両で水に流すと言ったでは…」  十兵衛はゆっくりと首を振った。 「なに! 往生際が悪いじゃないか。おぬしは五百両と確かに言った。そもそもうちの店がこのような窮地に立たされているのも、源右衛門の花火がなくなったからだ。応分の負担をするというのが筋ではないか」
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