瞳に咲く花

50/50
前へ
/50ページ
次へ
 弥兵衛が身を起こし、言葉を強くした。  十兵衛が煙管を銜(くわ)えたまま背中を丸め、重そうに口を開いた。 「五百両と言ったのではねえ。俺は千両といったはずだ」  弥兵衛は即座にその言葉の意味を解した。 「俺が払うのは五百両ではねえ。千両だ」  呟くように繰り返す。 弥兵衛は言葉を失った。 源右衛門の怪我の賠償と、清七を養子に出す話はあくまでひとつのものだ。十兵衛の言わんとするところを悟ると、弥兵衛は口を閉じると、黙って膝を立てた。 弥兵衛が店に戻り、源右衛門を呼びに作業場へと行った。 源右衛門は相変わらず、無くなった左手を懐に入れた姿勢で、清七の手つきに厳しい目を注いでいる。  源右衛門の言った「二年で清七を一角(ひとかど)の花火師に」という言葉が頭に蘇る。  弥兵衛は、しばらく清七の手つきを眺めていた。  みるみると火薬を思いどおりの形にしていく。それは一分の隙もない仕事だった。  うめえじゃねえか…  これならうちの一人前の職人にも見劣りしねえ。否、ひょっとすると、それより上かもしれねえ…  源右衛門が気合を入れて手ほどきしただけのことはあるぜ…  弥兵衛は、源右衛門に声を掛けるのを思い止まった。    ある秋の日、鍵屋の中で事件が起きた。 両国の秋祭りの朝のことだ。  祭りとなれば何日も前から界隈の町々が仕事を休んで、気もちを注ぐ。  男も女も祭りのことを考えただけで浮き足立ってしまい、仕事も手につかなくなる。祭りの華はもちろん神輿だ。肩を入れる男連中は男気の見せどころだ。仕事よりもよほど気合が入る。中でも清七達の担ぐ若衆神輿は両国界隈の力のあり余った二十歳前後の手代連中が担ぐ。喧嘩のような掛け声のなかで神輿は踊り狂う。華の中の華だ。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加