飴玉の悲劇

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飴玉の悲劇

 この世の中、色んな人がいる。  変人も平凡も変態も、この世界に等しく存在するのだと、凪は自分だけが知っている知識のように思っていた。  だけどこのとき――凪は裕貴のような人は存在しない、そんな人物は存在してはいけないのだと、喜多裕貴という一人の人間を否定した。  世も末だ、と凪は裕貴の名刺を受け取りながら、つぶやく。 「いつから、この世は弾かれるべき人間を受け入れてしまったのだろう……ぼくがこの世界の神なら、まず彼を人間として勘定せず、アリンコの一匹にでも入れてあげるのに」  この世はいつも残酷だ、と裕貴はタバコに火をどうにかつけながら、渋い顔をする。 「わたしがこの世の神ならば、許嫁のクラスメートにはだな、せめて外を出歩くときは靴を履くようにと、赤ん坊の頃から脳内で教えていたのに……残念でならない」  この世はわたしのためにある、と奏はタバコを吸う裕貴に消臭剤を噴射しながら、咳きこむ。 「どんなに世の中が終わっていても残酷でも、この世はわたしがいなければ成り立たないのだね。どうすれば、この世はわたしに依存せずにいられるのだろう……? ――はい、飴玉」  奏は凪と裕貴の手の中にメロンソーダ味の飴玉を握らせ、自分はソフトクリーム味の飴玉を嬉しそうに口の中に入れた。  いかにも悩まし気に、凪はメロンソーダ味の飴玉を口の中に含んだ。  そんな凪を見て、裕貴は「従順な猿め」と失礼極まりない暴言を吐き、近くを通った女子中学生の肩をつかみ、「何も言うな。礼なら不要だ、もらっておけ」と有無を言わさぬ口調で飴玉を押しつけた。  凪はというと、この場から逃げ出そうとする女子中学生の腕をつかみ、「ぼくが通報するから、黙ってきみは飴玉をこちらに渡してくれないかな」と彼女が飴玉を渡すまで、凪は名もなき女子中学生の腕を離さなかった。  哀れな女子中学生は泣き叫びながら、この場をあとにした。  凪はスラックスのポケットに飴玉をぞんざいにしまうと、ふう、と一息つく。  さて、と凪は裕貴を気が済むまでにらみつけたあと、奏に声をかけた。 「さあ、教室に戻ろう。さっきの勧誘のことは気にしなくていいからさ、とにかく教室に――」 「入ろうとも、きみたちの同好会」 「ほ、ほんと?」  ただし、と奏は人差し指を一本立てた。 「ひとつ、条件が」 「……条件?」  凪の不安そうな顔とは対照的に、奏はニッコリ笑うと、そばにいる裕貴を指差した。  もちろん、このときの凪は嫌な予感警報が頭の中にうるさく鳴り響いていた。  結果的に、この警報は正しかった。 「わたしの専属運転手の彼、裕貴さんも『東城交流の会』の部員として参加させてもらうこと、それだけだよ」 「それはつまり……」 「いや何、つまりはこういうことだよ、きみ。  彼はわたしの専属運転手だが、同時に彼はわたしの許嫁だ。許嫁となれば、わたしの身に危険が迫ったとき、近くにいなくては救えるものも救えない」 「大丈夫、きみのことはぼくが守るから。だからおかしなことは、何も考えないでいいよ」 「となると、どうするか、という話だが……なんだそんなこと、考えるまでもなかったね」 「ぼくは退屈が苦手で、刺激的なことが好きなただの高校生だけど、なんだか今回は楽しめそうにないよ。  なんでかな、うまく説明できそうにないけど、でも……!」  こんなの絶対おかしい、そう凪が叫ぶより前に、奏の叫び声が炸裂する。 「そうさ、諸君! 喜多裕貴、彼はわたしのクラスメート。  クラスメートなら、わたしとともに教室にいても不思議ではないし、部活動に参加することもまったく問題ない。……そうだね、裕貴さん?」  裕貴は肩をすくませると、また凪に手書きの名刺をおもむろに差し出した。  ただし、先ほどの名刺には書かれていなかった一文が追加されている。  北埜奏専属運転手、北埜奏の許嫁、北埜奏のクラスメート……喜多裕貴。 「わたしは北埜奏くんの専属運転手であり、彼女の許嫁でもあり、奏くんのクラスメートの喜多裕貴だ。もちろん、きみともクラスメートさ。よろしく頼むぞ、凪くん」  そう言って、裕貴は凪と無理やり握手をした。  春の嵐。  それはもしかすると、この黒服男、裕貴のことを意味するのではないかと、このとき凪は思った。  結局、奏は裕貴が運転するセダンの助手席に乗り、行ってしまった。  今この場にいるのは、二枚の異なった名刺を手に持っている上履きを履いた凪に加え、何かの通報を受けて駆けつけた二人の警察官、それだけだった。
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