夏休み詰込み計画

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夏休み詰込み計画

 空はスカイグレー。  早朝、青みのある朝が広がって、汗ばむ季節の終わりを告げる。  背丈の高い草木の白露が、道を通る男の黒いズボンの裾、女の白い靴下を濡らしていく。 「もう冷たいな!」  ショートカットヘアの元気娘ほなつは、幼馴染の男友達いつきを連れて、休日にも関わらず高校に参上した。  いつきは男にしては低身長で、女にしては比較的高身長のほなつとは二センチしか変わらない。  二人は保育園から高校までの腐れ縁である。  土曜日の朝から学校に来たのはほなつの提案である。 「寒いよ。もう夏から秋に変わっていく時期だから」 「そんなことないぞ! いいか、いつき。私は夏を取り返しに来たんだぞ? 分かっているのか」  ほなつは背負いバッグを揺らして楽しそうにしている。  いつきは呆れてながらズボンが浸みていく様子を気にしていた。  ほなつもいつきも高校二年生で、夏休みが始まってすぐに足と腕を骨折し、入院していた。奇跡的な回復力で退院していたものの、夏休みを満喫すことができず、退院後溜めっていた課題を片付けるだけで二学期が始まってしまった。 「夏はプールだろうが! 元気だぜ、私は男の筋肉が見える、いつきは女の水着が見える。夏だろ?」 「今日はもう諦めてくれよ、めちゃくちゃ寒い」 「それは心が夏じゃないからだ。ほら、胸に手を当ててごらん? 灼熱の太陽、スポーツドリンク片手に部活に励み、空き時間で文化祭の準備、もちろん学力向上を目的とした補習も欠かせない。どうだ? 見えてきたか?」 「見えないが? あとな、どうして夏休みを取り返す! って言っていて真面目な内容しかないんだよ?」 「良くぞ、気づいた。いつき、そなたも来るといい」  ほなつはきりっとした表情になっていつきの手を引く。  いつきは頭を掻いた。  嫌だが、骨折ゆえにバスケ部の大会に出場できず、ろくに遊ぶこともできなかったことを憐れんでしまう。  少しくらいは付き合ってやろう、いつきは思ったのだが。 「寒いが?」 「ふふふ、それは言い訳にならぬよ。勝負だ、クロール対決だ」  スカイグレーの空、太陽は隠れたままでプールは足を入れただけでも凍りそうだ。  いつきは一度全身を入れたが身体がびくっとして、急に熱く感じながらも腕が痙攣し始めたため、慌てて出た。  もう一度挑戦しようとすると、水色のビキニを着たほなつは微笑んで、クロール対決と言ってきたのだ。 「勝った人が負けた人に命令をくだせる。って、いつきは今何を妄想したんだ?」 「は? 妄想していないが」 「私がいつきの立場だったらそうするよな」 「何を言っているんだよ」 「隠さなくてもいい。私なら、文化祭で使う段ボールなどの備品を代わりにスーパーに取りに行かせる。くくく、他クラスのものまで持っていかなくてはいかないという屈辱、勝負を受ける?」 「……嫌だが?」  いつきは寒くて早くプールから出たかったのだが。 「分かった。いつきのママにさ、今日プリンもらった。まだいつきは寝ていたと思うけど、あれってさ、いつきのプリンだよね? そんな気がしていたんだ。あははは」  ほなつはいつきを見て笑う。  楽しみを奪われていたらしい。  確かにいつき母はほねつを気に入っており、どうしてももてなそうとすることがある。  だが、うすうす築いていたのであれば話は別だ。 「おい!」  叱りつけようとしたときだった。 「聞こえない、聞こえない」  ほなつは壁を切って息を止める。  手で水を掻きながら着実に進んでいた。 「ほなつ」  いつきも慌てて泳ぎだす。  結果は、僅差でいつきの勝ち。  プールサイドに出たほなつは髪を手で押さえて水を追い出していた。  さらに髪に着いた露のようなものを犬のように身体をぶるぶるさせて弾くようにした。  いつきは勝負に勝ったことを一瞬忘れて、ほなつを見る。  ずるして負けかよ、いつきは呆れていたが。  ほなつは呼吸を整えるといつきの視線に気づく。 「いつき、私の夏休みを取り戻すことに付き合ってほしいと言ったし、申し訳ないと思っているが。水着姿を見続けるのはね?」 「あ、いや、ごめん」 「いつき。きょどっているの見たら許しちゃうだろうが! 私も言い過ぎたごめん」  勝負を終えて着替える。  学校にはドライヤーがなく、髪が濡れたまま学校を出る。  さらに寒さが増した。  灰色の空、瑞々しい草木が厳しい冬の訪れを想像させる。  今はまだ爽やかな風が吹いている。 「うん、寒いな」 「だから言っただろ。しかも露が目に見える早朝」 「今日は夏休み一回分を詰め込みたくて。早くしなきゃダメなんだ」 「プールはもう少し日が出てからでも」 「今日は一日曇りだぞ。一瞬思っただろうが、別日にもしないからな」 「まじかよ」 「骨折してしまった分、絶対取り返す。今日くらいしか予定が空いていない。覚悟しろ!」  と、ほなつは学校の校門を越えて次の目的地へ向かう途中に言う。 「無理に詰めるなよ」 「ああ。それと水泳部の活動をしない時間に泳ぐためだ。もちろん、先生方の許可はない」 「許可なしだったのか。もちろんって」 「水泳部からはなぜその時間はまだ泳がないか改めて考えてみない?」 「とちょっと怖い顔で言われたのだ。だが次のイベントで私が正解だったことが分かるだろう! ……くしゅん、寒い」  ほなつはくしゃみをした。  プール対決は両者負けみたいなものではないか、いつきは思う。 「俺がほなつに下す命令って何がいいんだ?」 「高いお金とかそういうのかな」 「なら段ボールパシリか」 「うう」 「そんなに悲しむなら勝負しなければいいだろ」 「私勝つ予定だったんだ、夏っぽいこと命令する予定だったんだ。寒いし、もうほとんど秋だけど」  灰色の空を見て落胆する。 「命令、やめておく」 「いいのか?」 「ああ」 「いつきって私のためにいろいろ考えてくれるな。惚れたらどうするんだ」 「……、知るか!」  いつきは叫ぶ。  ほなつはドキッとしたが、いつきの耳が赤くなったことには気づかなかった。  続いて、バスで移動し、川の下流にやって来た。  手ぶらでバーベキューが楽しめるらしい。  が、いくら飛び込みも許可されているとはいえ二人ではできないらしく、最低四人は必要で。  ほなつはバーベキューを諦め、近くの焼き肉屋で炭火焼肉をすることで我慢した。 「霜降りだ、最高だ」 「良かったよ、本当に」  ほなつが焼き肉で喜ぶ様子を見て、いつきは微笑んだ。  いつきが育てた肉が盛り野菜と入れ替えられ、炭火の香りが付いた肉はほなつの口のなアへ。 「おい」 「いや、他人が育てた肉が一番美味いと思わない?」 「焼き加減で好みがあるだろ」 「それはどうかな、これでも食らえ!」  ほなつは自身が焼いていた肉をいつきの口へ。  咄嗟に来たものだからいつきは強く噛みそうになって、寸前で耐える。  割り箸を折ってしまうところだった。 「美味いだろ? どう」 「そりゃ美味しいけどさ」 「で、気づいた」 「何を?」 「間接キス」 「気にしないからいいけど」  ほなつは頬を膨らませて涙目になる。 「こいつ、気にしちゃった私の分も責任取れ!」  にんじん、たまねぎ、ピーマン、しいたけをそれぞれ一切れずついつきの口に突っ込んだ。 「ほなつ、息が詰まりそうだった」 「間接キスに気づいた私の方が、息が詰まりそうだったぞ!」  ほなつは顔を赤くしたまま焼き肉を終える。  続いて、夏の行事として、山の方に出掛けた。  日は十分に昇っていて、灼熱とまではいかないが汗が止まらない。 「ほら、空気が綺麗だろ?」 「横腹痛い。過密スケジュール過ぎるだろ!」 「ん? そりゃ夏休みを圧縮しているから。じゃあ、この小川渡ろう! あ、そこの池? にアメンボいる」 「よくはしゃげるよな」 「私、まだ童心を忘れていないタイプだからね、まだまだ清純な乙女よ」 「むしろガキだろ」 「それはどうかな?」  石の上に足を乗せて小川を越える。  いつきの手を、ほなつが取る。 「走ろう!」 「おい、ほなつ」  両側に木々が並ぶ。  小石で躓かないように気を付けながら、二人は道を進んで。  段差のきつい階段を上り終えた。 「神舎って、大体縁結びか学問の成就だよな。今の人々が何を望んでいるかがよく分かる。いつきは今、何を願いたい?」  ほなつは笑う、だからいつきは嬉しくなった。 「って、今五百円玉を賽銭箱に入れたのか?」 「叶えたいことがあるから。って、恥ずかし事言わせるじゃないわっ」  ほなつは急に帰り道を走り出す。  いつきは追い掛ける。  息を切らして、それでもなかなか追いつけない。 「どうしたんだよ」 「骨折して、部活行けなくて、休みを満喫できなくて、こ……い、とかあまり進まなくて、悔しくて走りたくなった。真剣な顔して聞くなよ、話しちゃったじゃないか、この馬鹿!」  山を下りて、二人は一旦それぞれの家に戻る。  そして、夕食を食べて着替えて集合した。  ほなつの家の庭に来て。  空は星が見えず、真っ黒な空だけが見える。 「今日の最後は線香花火。打ち上げ見たかったけどね」 「そういうの、昔から好きだよな。幼馴染だからって毎回連れ出して」 「もっと夏を満喫したかった」 「来年もある」 「そのときも付き合ってくれる?」 「互いに一緒に行きたいやつがいないなら」 「いつきはできるってことか」 「できると思うか? ほなつの話だ」 「なら来年は頼むよ?」  ほなつは骨折ゆえにほぼ療養だけで夏休みを終えてしまった。   「仕方ないな」  線香花火に火を付けてぱちぱちと燃えて鮮やかになる。  火が落ちると黒と灰だけが残る。 「もっと長くしていたいけど、いいコツない?」 「斜めに持つといいらしい」 「真正面から受けるとどうしても脆いのかな、人の心って」 「急に詩的なことを言って」 「この夏で一番悲しかったのはいつきのこと。一番やり残したって思っている」 「何を?」  線香花火が始まる。  仄かな、しかし鮮やかな暖色がほなつの頬を照らす。 「夏なら、この恋も加速するって思っていたんだよ」  腐れ縁のくせに、幼馴染のくせに、男勝りなくせに。 「夏になんて縋らないで、もっと頑張ったら良かった。いつき、大好きだよ」  振り回すことはできるくせに、どうして。  恋だと思うと勇気がでなかったのか、夏に期待してしまったのか。  こんなにも手放したくないくせに。 「ほなつ、これからどんどん寒くなる。一年待たなければ夏を堪能できない、諦めてくれ。でも秋だって、紅葉とか綺麗できっと楽しいから」  いつきの目には涙が溢れていた。  温かい涙が頬を流れる。  ほなつは気づいて、その涙を手で拭おうと手を伸ばす。  だが、火玉が落ちて闇に変わる。 「次の季節を二人で楽しめたらと思う」 「つまり?」  ほなつは暗闇の中、いつきの手を引いて。 「こういうこと?」  遠慮がちな頬へのキスを炸裂するのだった。  線香花火を終える。  ほなつといつきは、ほなつの家の前で分かれる。 「風、少し寒いや」 「もう十分秋だからな」  ほなつは、幸せを噛み締めてスキップをしながら家に戻る。  いつきは、緊張からの解放と達成感と、恋のことで頭が茹で上がりそうだった。  翌日。  いつきは目を覚ましてリビングへ。 「いつき、ほなつちゃん来ているわよ! モーニング食べに行くんだって?」  母はからかうように言う。  いつきは寝起きで寝癖が目立ち、うにの針のようになっていたが構うことなく駆ける。  玄関を開けて、目の前のショートカットヘアの少女を見る。  スカイグレーの空、果樹の葉や草花の先で輝く露。 「いつき、夏はもう終わりじゃ! 秋、一緒に楽しませろ」  ほなつはいつきの胸へ飛び込む。 「今日は日曜日だぞ、朝から? まだ寒くない?」 「夏休みは気が済んだ。でも遊び足りないんじゃ!」 「つまり?」 「今日も付き合って、彼氏くん」  いつきは呆れた様子で頭を掻くが、口角はそれでも上がっていた。 「仕方ないな」
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