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第一章 ウソ+キス=青春の始まり 恋愛反対運動
二〇二一年、七月九日、金曜日の朝。
時刻は午前七時半過ぎ。
奈蔵高等学校、一号館の屋上にて。
「恋愛反対! 恋愛反対!」
梅雨が明けた記念とばかり、きょうは晴天に恵まれ、夏らしさを感じさせる暑さだった。
だから生徒たちは屋上に寄り付かない。
そう、屋上には寄り付かないのだ。
それを見抜いていた、ぼくら――恋愛反対運動(英語名だと、アンチ・ロマンス・キャンペーン。そのため、周囲はぼくらのことをARCとも呼んでいた)のメンバーは太陽の支配下にある屋上に上がり、フェンスの前でトランジスタメガホンを持ち、下界にいる頭の固い教職員や愚鈍な生徒たちに向け、好き勝手に叫んでいた。
ちなみにメガホンを使うのはぼくら男性の役割で、ほかの女性二人はぼくらの後ろで目を閉じ、何やら両手で祈りを捧げていた。
「恋愛反対! 恋愛反対!」
何度目かのぼくの大声が下界に炸裂したとき、ぼくの隣に立つ恋愛反対運動代表の灰原徹が、さっと手を上げた。
それでようやく、ぼくは声を上げるのをやめ、メガホンの電源ボタンから指を離した。
「我が友、大浦翔よ、よくやった」
徹のねぎらいの言葉に、ぼくは隣にいる彼を見た。
端整な容貌をした徹の横顔が目に入る。
ぼくは身長が一六〇センチメートルしかない短身で、徹は身長が一八〇センチメートルもある長身。
そのため、ぼくは徹を見上げる形でうなずくことになった。
ぼくのうなずきを見た徹は、満足そうにうなずき返す。
さて。
次こそが、ぼくらの本命である演説の始まりだ。
もちろん、演説は徹が務める。
ぼくはメガホンを徹に渡した。
徹は手慣れた様子でメガホンの電源ボタンを指で押すと、ぼくらを代表して演説を始めた。
「聞こえているか、愚民ども。こちらは恋愛反対運動代表の灰原徹……繰り返す、こちらは恋愛反対運動代表の灰原徹。
きょうは愚かな貴様らに、とってもありがたい演説をしてやろうと思い、このクソ暑い中、屋上に立っている次第。
無様に口をあんぐりと開け、そのままの状態でおれの演説を聞け」
このとおり、徹の口が悪いのは確かだが、徹は友達思いの勇敢あふれる男で、ぼくはいつも彼を頼りにしていた。
ぼくは徹の口の悪さを気にしていないし、むしろそういうキャラの徹が好きだ。
それはこの日も同じで、徹の人を見下したような演説に対し、ぼくは「きょうの徹は絶好調だ」と評価するありさまだった。
事実、きょうの徹の口の悪さは一段と残酷さが強調されていた。
それは仲間であるぼくを震え上がらせるほどの出来映えで、さすがは代表、とぼくは心の中で苦笑した。
「いいか、クソったれども。
恋愛とは健全なる人間をどん底に突き落とす呪いだ。
そうさ、呪いなのだ。
クソ同然の貴様らはそんな呪いに屈し、挙句の果てには洗脳までされてしまった。
あぁ……なんて嘆かわしい。
貴様ら、それでも人間様か。
ワンワンやらニャーニャーやら、うるさいぞ!」
どうやら、キレがいいのは口の悪さだけではなかったらしい。
なんてキレのいいジョークなんだ。
ぼくはうっとりと目を細めた。
するとそのとき、ぼくらの後ろにいる矢吹茜が「ねえ、環奈ちゃん。人間様って、なぁに?」と隣の小弓川環奈に質問をしていた。
…………。
この発言は茜が天然だから許されることであって、間違っても常人のぼくらがそれを言ってはいけない。
どうかそれを忘れないでほしい。
「いいこと、茜。人間様っていうのはね、自分が偉いと信じている愚者のことよ。
以後、覚えておきなさい」
環奈の言葉に対して、茜は「はぁい」と気の抜けた返事をした。
なんだか徹を侮辱されたような気がして、ぼくは目を吊り上げ、後ろを振り返った。
が、きょとんとする環奈と茜を見て、ぼくはため息をついた。
なるほど、彼女たちは悪意があって今の言葉を言ったわけではないのだ。
ぼくが間違っていた。
背丈もあり、大人びた顔の環奈。
小柄で童顔の茜。
そんな二人が並んでいると、なんだか歳が離れた姉妹のように見える。
ちなみにぼくと徹が並ぶと、歳が離れた兄弟のように見えるだろうが、それをぼくの前で言った者は、誰であろうとぼくの敵と見なす。
「わたしたち、何か翔の気に障るようなこと、言ったかしら」
言ったとも、環奈よ。
「翔くん、鬼のような怖い目付きになって、一体どうしたの?
わたしたちはね、翔くんの仲間だよ」
それはぼくらが“チビ仲間”だということかい、茜?
どちらにせよ、ぼくらは仲間だ。
同じ志を持つ仲間。
この四人が揃えば、どんな敵にでも勝つことができる。
それがぼくら、恋愛反対運動だ。
そのとき、いきなり徹の演説が途切れた。
直後、屋上の階段のほうから、男の狂ったような笑い声が聞こえてきた。
それでぼくは状況を察した。
それは環奈や茜も同じらしく、ぼくらは互いに顔を見合わせ、黙ってうなずいた。
というのも、この狂ったような笑い声は、生徒指導の小沢勝士先生のものだからだ。
目には濃いサングラスをかけていて、髪はスポーツ刈り。
時折、サングラスを外すことがあるが、その目はギラギラとしていて、野生の獣を彷彿とさせる。
それが小沢先生だ。
小沢先生は四十代後半らしいが、とても若々しく、十代のぼくらよりもはるかに精力的だった。
ちなみに言うと、小沢先生は頭に血が上ったとき、狂人のような笑い声を上げる癖がある。
そのため、一部の生徒からは“狂笑鬼”と呼ばれ、恐れられている。
そんな小沢先生はぼくらの演説を中止するため、はるばる職員室からやってきたようだ。
ぼくは体の向きを徹のほうに向けた。
徹は不敵な笑みを浮かべ、心なしか武者震いもしていた。
さすがは代表だ。
臆病なぼくだからこそ、これは徹を見習わなくてはいけない。
すでにぼくの視界の端には、小沢先生のおっかない顔が映っていた。
こうしてぼくらはおとなしく投降し、小沢先生の説教を受けるため、生徒指導室へと連れて行かれるのだった。
南無。
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