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「え?」
「これは……」
街から離れているのだろう、そこは人気の無い未舗装の道の真ん中だった。土の道は凹凸が目立ち、細い車輪で出来たと思われる轍があった。道の左側には広大な麦畑が広がっている。ふわりと風が吹き、黄金色の畑が海の様に波立ち、ざらざらと音を立てた。
――ここは、キーズの世界なの?
由美が、咄嗟にそう思った時。
「殿下ー!」
道の向こうから、鎧姿の兵士たちが馬と徒歩で駆け付けて来た。道の右側には道に沿う様に深い川が流れていた。部下たちは川を辿ってキーズを探していたのだろう。
「探しておりましたぞ! よくぞご無事で!」
「おお、お前たち!」
王子たちは、付近の教会堂へ身を寄せる事にした。司祭が快く匿ってくれた。余ほどの罰当たり者でもない限り、教会堂を襲う者はいなかった。
司祭は急な来客にも拘わらず、由美やキーズたちに食事を用意してくれた。スープとパンだけではあったものの、由美たちは、有難くいただいた。
食事が終ると、皆、寝泊りに与えられた部屋へ戻った。キーズは王子ゆえ個室だった。由美も女性である為個室だった。由美は自分の部屋へ戻ろうとしたが、キーズが呼び止めた。
「少し、いいかな」
「はい」
キーズの部屋の前には、念の為、二人の兵士が見張りに立った。由美はキーズの許しを得て部屋に通されて入って行く。兵士の一人が顔を歪めて由美を見た。まあ、彼からしたら、由美は”何処の馬の骨だよ”という所なのだろう。
キーズは、部屋の奥側の壁に寄せて置いてある小さなベッドに腰を下ろすと、話を切り出した。
「思い出したんだ。川に落ちる前の事」
「記憶が戻られたんですね」
「好ましくない記憶がね」
キーズと、腹違いの弟ギランは、王位をめぐる争いになっていた。
キーズの母は既に他界。父王以外に肉親の後ろ盾がなかった。
父王にとっての二番目の妻が弟の母だ。父王はこの二番目の妻に頭が上がらなかった。しかし、家臣らの多くは、正当な次の後継者はキーズであると認めている。二番目の妻は、政略結婚で嫁いできた他国の姫だ。自国に有利に事を運びたいが為に、息子を後継にしたい。家臣によっては弟を後継にした方が国王を動かしやすい、と考える者もおり、結果、内紛状態となった。
そんな時、隣国の王女ソフィアから手紙が届いた。
王女自身も後継者争いの渦中にいた。他国ではあるものの利害が一致する者同士、協力しあわないかと言う申し出だった。
「勿論、国の利を求める打算がない訳ではないよ」
「当然と思います」
「でも、私は、助けを求めるまだ見ぬ王女に心惹かれたんだ」
「左様ですか」
ネットもスマホも無い様な世界では、一度も会った事のない人のことに心を動かされる……そういうこともあるのかも知れない、と由美は思った。
「それで王女の元へ向かっていた所を襲われた。私たちの結びつきを阻止したい者たちの手によって」
「それで、命を狙われたんですね」
うん、と、キーズは頷いた。
「だから、ユミ。私は、お前とは結婚できない」
キーズの、急な告白に由美はとっさに理解が追い付かなかった。
確かに、初めて会った時、褒められたり丁重にされたりしてドギマギした。かといって、別に問題はない。
「あの……どうぞ、私の事はお構いなく」
「そうか。正式な妻には出来ないが、側女でも良いなら私は……」
「側女……」
――て、愛人てこと?
由美は、正直、柄じゃないと思った。
それも結構です、と言おうと口を開きかけ、途中で止めた。
――キーズとここで別れて、私はその先どうするというのだろう。元の世界に帰るのか? 帰れるのかも知れないが、帰ったところで何が待っていると言うのだろう。アパートに戻っても誰もいない。友達もいない。
キーズの手に触れたときに感じた、あのときめきは何だったのか。
恋か。
それとも……。
「では、側女でお願いします」
「おお! ユミ!」
キーズは、がばりと立ち上がって、由美に抱き着いた。
由美は流石に顔が赤くなった。
――素直な人だな……。
由美は、困ったような顔をしながらも両腕をキーズの背に回した。
全身で、キーズの体温を感じ、そっと瞼を閉じた。
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