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翌日からは他の子に交じって、畑仕事や河での水くみ、猟の仕方を教わった。枝や蔦などを使って罠を作り、兎や蛇を捕まえたり、河で魚を素手で捕まえる練習が始まったからだ。
体を動かし忙しくしていると、嫌な事もいっときは忘れ去られていくものだった。なによりも、同じ家で暮らす仲間がいたことも、何よりの励みになっていた。
それから夜になると天狗さんが文字や算数を教えてくれた。紙やペンは貴重なこともあって、私たちは外で焚き火をしながら身を寄せ合って、地面に小枝を走らせながら勉学に励んでいた。
「いいか、知識は武器になる。生き延びたければ学び続けろ」
それが天狗さんの口癖だった。私たちは真面目に天狗さんから教わった事を頭に叩き込んでいた。
貧しいながらも、実家に居た頃よりも充実した日々を送っていた。
私は体が小さく、畑仕事や猟には向かなかったが、その分料理が得意だった。天狗さんからも「お前が一番、包丁の使い方の上達が早い」というお墨付きを貰った程だった。
月日が流れ、私も八歳になっていた。
そんなある日のことだ。私より先に来ていた者が一人いなくなった。
私たちより三つ年上の子だった。
「大丈夫だ。心配することはない」
彼の安否を不安に感じていた私たちに、天狗さんはそれだけ言った。
翌年にもまた一人消えた。私ともう一人、歳が同じ子だけが残った。
「もしかして、この肉ってあいつらのじゃあ」
汁に入っていた肉を箸でつまみ上げて、怖いことを言ってくる。そんなはずはないと分かっていた。何しろそれは私が捕まえてきた兎だからだ。それに料理を手伝っている時に、天狗さんは確かに兎を捌いていた。
「……次は僕かもしれない」
こっそりと涙を流すその子に、私は天狗さんはそんな人じゃないと叱責した。内心では不安は拭えない。多くの事を語ってはくれないからこそ、疑念ばかりが募っていたからだ。
翌年、今度はその子がいなくなった。とうとう私は一人になっていた。
来年には自分の番かもしれない。そう思うと怖くもあった。
だけど私はそれを口にしなかった。口にしたら現実のものになりそうで、恐ろしかったからだ。
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