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4
「このやろうっ」
ぼくは起きあがると、閉じられたばかりの運転席のドアに駆けより、窓ガラスをたたいた。
「おいっ、待てよっ。返せ。金を返せっ」
そう叫んだものの、実は、そんなことで拓がお金を返してくれるなんて、思っていなかった。
窓をたたく自分のこぶしから、電気が出た。電気は窓ガラスにのび、そこから伝って、車全体に流れていった。車は機械で、機械はぼくのともだちだ。
(頼む)
ぼくは心のなかで機械に呼びかけた。
運転席の拓が、ちらりとぼくを見上げた。ふん、と鼻でせせら笑ったようだった。前のほうに顔を向けると、いっきに車をスタートさせた。ぼくはあわてて車から手をはなし、よろけた。ちょうど、うしろから来た車が追い越しをかけようとしていた。その車がクラクションを鳴らして、急ブレーキをかけた。それにはまったくかまわずに、拓の車はスピードをあげ、まっすぐに走っていく。
ぼくはすぐに歩道にもどった。こころから少しはなれて、走りさる拓の車を見ていた。
(頼むよ。頼む)
心のなかで、拓の車に向けて、呼びかけを続ける。
拓の車はどんどん速度を増していった。百メートルほど先に交差点がある。信号は赤。なのに、拓の車はスピードをゆるめない。信号待ちで止まっている車の列がある。拓の車は、反対車線に曲がって、それをよけた。そのまま、赤信号の交差点に突っこんでいく。交差する道路を走る車が、何台もあった。拓の車が、そのうちの一台に横からぶつかった。大きな音が、ぼくらのところにまで聞こえてきた。ぶつけられたほうの車が横にたおれた。拓の車は左のほうへと流れていき、停車している車の陰になって、見えなくなった。
「お兄ちゃん?」
いつの間にか、こころがそばによってきて、ぼくの手をにぎっていた。ぼくがさっき落とした、アンパンを入れたレジ袋を、手に持っていた。
「お兄ちゃん、お母ちゃんたち、事故、おこしたの?」
「ああ、そうみたいだな」
ぼくはとぼけて答えた。
交差点の信号が青に変わるのが見えた。信号待ちの車は止まったままだった。何人かの人が車からおりて、騒いでいるようだった。
「お母ちゃんと、おじちゃん、死んじゃった?」
「さあ、わからないけど……」
そう答えたものの、少なくとも拓のほうは、死んでほしかった。
母ちゃんについては、死んでもかまわない、という程度の気持ちだった。拓が、こころのいやらしい写真を撮っていたことを、母ちゃんは知っていたはずだ。知っていて、それを止めなかった。そんなの、母親じゃない。
「お兄ちゃん、あたしたち、これからどうなるの?」
こころが、心細そうにぼくのほうを見上げる。
ぼくは少し考えて、こう答えるしかなかった。
「とにかく……家に帰ろうか」
「……うん。給食費、おじちゃんに取られちゃったね」
「心配するな。お兄ちゃんが、またなんとかするから」
「うん」
ぼくたちは手をつないでアパートに向かった。
これからいろいろなことがあるだろう。ぼくたちは施設に入れられるかもしれない。
でも大丈夫。
どんなことがあっても、こころは、ぼくが守る。きっと守ることができる。
だってぼくには、機械というともだちがいるのだから。
〈了〉
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