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「ただいま」
アパートに帰ると、妹のこころが、メソメソと泣いていた。
「どうした、こころ?」
「お母ちゃん、まだ帰ってこないの」
「あいつといっしょに遊んでるんだろ。いつものことじゃないか」
あいつというのは、長谷川拓。この三ヶ月くらい、この部屋にいっしょに住んでいる。つまりは母ちゃんの恋人ということだ。母ちゃんが四十歳なのに対し、拓は三十二歳と若い。若いけど、仕事が長続きしなくて、いまは失業中だ。
そんな拓が、きのう、「お金ができた」と言って、母ちゃんといっしょに遊びに出ていった。
それっきり、ゆうべも、今朝も、帰ってこなかった。
よくあることだった。
「晩飯か? 晩飯なら、兄ちゃんがなんとかするから」
きのう、出かけるときに、母ちゃんがぼくに千円くれた。これでなにか買って、ふたりで食べろ、と言って。
ゆうべは、その千円で、スーパーにいって、見切り品を買った。焼肉弁当と、おにぎり弁当と、メロンパンを二個。二割引きとか、三割引きのものを買った。千円出して、二百円ちょっと、おつりがきた。
弁当は、スーパーのイートインコーナーで、ふたりで分け合って食べた。メロンパンふたつは、朝飯用に持って帰った。どうせ母ちゃんたちは一晩帰ってこないだろうと思ったからだ。いつものことだから。
そんなわけで、きのうのお金が、まだ二百円ちょっと残っている。晩飯は、これでなんとかなるだろう。
「ううん」
でも、こころが首を横にふる。
「なんだ? ごはんの心配じゃないのか?」
「うん」
と言って、こころがランドセルから出したのは、茶色い封筒だった。
すぐにわかった。給食費とPTA会費の納入袋だ。
そういえば、ぼくもきょう、学校から渡されたのだった。
母ちゃんも拓も、いまは失業中だから、無理だろうな、とは思った。でも、いちおう話すだけは話してみようか、ぐらいに思っていた。
こころは顔をゆがめて、うったえる。
「お金、持っていかないと、木村先生、コワイ顔するの」
木村先生というのは、こころのいる二年二組の担任の、女先生だ。若くて、なんだかいつもピリピリしている。ぼくはきらいだ。
ぼくのクラスの、六年一組の担任は、林という、年をとった男の先生だ。こっちは、ぼくの家の事情をわかっていて、あんまりギャーギャーわめかないんだけど。
「そうか……」
ぼくはランドセルをおろし、こころの肩をたたいた。
「心配するな。兄ちゃんがなんとかする」
「え? でも、ななせんごひゃくえんも、だよ?」
「大丈夫だ。まかせておけ」
ぼくはポケットのなかをさぐる。百均で買った小銭入れがあった。にぎると、小銭入れの皮ごしに、なかに入っている硬貨の硬さが伝わってくる。
(大丈夫)
と、ぼくは心のなかで、自分に言い聞かせる。(ぼくには、ともだちの機械がついているんだから)
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