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第一章──残していくことの意味
──平成5年7月某日──
神崎博之は会議の中心にいた。社長の豊田と専務の桜井は腕を組み博之のプレゼンテーションを聞いていた。人材派遣会社テラスヒューマニティにある会議室の一室。冬から春に向けて寒さがまだ残っていたが、博之の熱弁に室内は寒さは感じることがなかった。
分かりやすく資料を説明し、今後の展望を打ち出す。身ぶり手振りで納得させるように話す博之。時折、豊田が口を挟むが博之は臆することなく説明した。桜井は目を細めて頷いていた。この調子なら次の取締役会議で神崎を本部長から取締役に推薦しても問題ないと考えていた。いずれはこのテラスヒューマニティのトップに立ち発展させてくれるだろうと頭を巡らす。それを期待させるほどのプレゼンテーションだった。
部下の黒木もアシスタントとして博之を支えていた。発言することはないが博之の進行に足を引っ張らないように集中する。次から次に出てくる博之の発言に感嘆しながら、指示通りにことを運ばせた。プレゼンテーションの中心は博之だが、それ以上に緊張していたかも知れない。熱のこもったプレゼンテーションは一時間をゆうに越えていた。
汗を額から玉のように流し、熱弁を終わらせた博之。豊田も桜井も深く何度も頷き、またその他の重役も納得した表情だった。
豊田が口を開く。
「みんなこの案でいいんじゃないか。私はそう思うが……どうだ? 何か意見のある者はいるか?」
その場にいた者はみな頷き反対する者は誰もいなかった。
「そうか。特にないんだな。それでは任せたよ神崎。このプロジェクトしっかり成功させてくれ。それと黒木。神崎をしっかりサポートしてくれ。神崎からしっかり学ぶんだ」
自然と拍手が会議室から沸き起こる。みんなの期待の表れだ。豊田は博之と黒木の肩を叩き、満足そうに会議室を出た。博之と黒木は頭を深々と下げ豊田を見送る。豊田が出て行くと二人は頭を上げ見合わせ微笑んだ。
「ここ一ヶ月、頑張ったな黒木」
「いや本部長の熱意に引っ張られただけですよ」
そう言葉を交わした。それを見ていた桜井は二人に近づき軽く手を叩いた。
「見事だったよ神崎。本当によく成長してくれた。このプロジェクトもお前ならやれる。次の取締役会議が本当に楽しみだ。黒木もなっ」
桜井は心から思った。ともに歩んだ部下が一歩づつ近づいてくれるのがたまらなく嬉しかった。
「ありがとうございます。専務に恥じぬ様やります」
「頼むぞ」
博之は長机に広げた資料を纏め始めた。
「本部長、私がやりますよ」
慌てた様子の黒木が散らばった資料を神崎より先に集めようとする。私が神崎という優秀な部下を持ったように神崎も良い部下を持ったなと桜井は喜びに浸った。
二人の一連の動きを見届けた後、桜井は踵を返し会議室を出ようとした。晴れ晴れとした表情で一歩踏み出そうとした時、異変が起きた。
ガタンッ──
後ろで何かが崩れ落ちるような物音がした。黒木が叫ぶ──。
「本部長、神崎本部長、大丈夫ですか? 大丈夫ですか──!」
桜井が慌てて振り向くとそこにはさっきまで熱弁を振るい躍動していた博之が床に倒れ意識を失っていた。
「誰か! 誰か救急車を早く呼んでくれ──!」
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