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これは僕が父から聞いた,死んだ祖父の話。
祖父の「安次郎」は1945年3月10日の東京大空襲で亡くなったそうだ。まだ幼かった父は母親に連れられて群馬県に疎開していたため助かり,終戦とともに母方の親戚が多く残る東京に戻った。
幼い父が東京に戻ってみると,死んだと聞かされていた「安次郎」が闇市で屋台を引いていると知り,たいそう驚いたそうだ。
「安次郎」は全身に大きな火傷を負い障害が残ったが,屋台で家族を養う程度の稼ぎは得ていた。幼い父は大怪我を負った「安次郎」が以前の父親と違い,どこか怖くあまり近寄らなかった。
やがて父に弟と妹ができ幸せな日常を送っていたある日,「安次郎」が病気を患い亡くなった。
父は「安次郎」の葬儀にまったく知らない人たちが大勢集まり,皆が母親に丁寧にお礼を言っているのを不思議に思いながら見ていたそうだ。
「ほんとうにあの子を安次郎として迎えてくれてありがとう。子供までもうけてくれて。あなたたちの生活は私たちが一生をかけて面倒をみるから」
幼い父はそのとき初めて自分の父親とは違う男が「安次郎」と名乗り,母親もそれを受け入れていることを知ったそうだ。
同時に自分たちの生活を保障してくれるという言葉に「これは人には話してはいけないこと」とも幼いながらに理解したと話していた。
それから数年して,再び「安次郎」と名乗る男が現れ家族として一緒に生活をし始めたときには,父は母方の親族に恐怖を感じるようになった。しかし新しい「安次郎」を家族に迎えたことで,父は自分たちの生活を保障するという意味がこういったことなのかと理解した。
それ以来,父は「安次郎」という名前はこの一族の中心になる者の名前だと考えるようになり,疑問をもつことをやめたそうだ。
父の母親が八十五歳で亡くなった五年前の葬儀の後から,父は「安次郎」と名乗っている。そして病気がちな父が最近よく,次の「安次郎」はお前だからと言うようになった。
その言葉を聞くたびに僕は得体の知れない不安を感じ,同時に父の死が近いと宣告されている悲しさで胸が締め付けられた。
そしていま,老いた父を前に「安次郎」を継がなくてはいけないという諦めの気持ちが心を黒く染め,これまでの自分が消えて「安次郎」に上書きされるのではないかと不安と恐怖に押し潰されそうになっている。
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