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これは地元の踏切で度々起こる有名な話である。
そこは「開かずの踏切」としても有名で,通勤時間になると大勢の人が踏切で足止めされて電車が通り過ぎてゆくのをイライラしながら待つのだが,我慢できずに踏切を渡ろうとして命を落とす者が毎年何人もいた。
ある朝,そんな踏切で一人の男が何度も腕時計に視線を落としながら左右から来る電車を見ては舌打ちをしていた。
額に汗をかき,いよいよ我慢できなくなった男は遮断棒を潜り,線路を走って渡ろうとした。
男が一歩足を踏み出した瞬間,突然後のほうから男は名前を呼ばれ驚いた表情で振り返った。
遮断棒の向こうには大勢の人たちが踏切が開くのを黙って待っていたが,男が振り向いて大勢の人たちと目を合わせた瞬間に電車が通過し,一瞬で男の体をバラバラにして肉片をあちこちに跳ね飛ばした。
甲高い電車のブレーキ音とカンカンカンカンと一定のリズムを刻む踏切の音にのなかに男の名前を呼ぶ声が響き渡ると,すぐに事故を見ていた人たちの悲鳴がその声を掻き消した。
後になって警察が確認したところ,事故の瞬間に踏切で男の名前を呼ぶ声を聞いた者はいなかったが,線路の上で男が誰かに呼び止められたかのように不自然に足を止めて振り返ったときの表情は,この踏切の話を知っている者たちを怯えさせた。
ああ……彼も呼び止められて振り向いてしまったんだな……と。
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