眼鏡を掛けたエルマ

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 今や時代は鉄道の生まれたばかりの近代中期。ある村にエルマという名前の娘がおりました。「おりました」という表現をしましたが、これは過去のことにございます。さきほどこの娘、年齢にして十五ながら、村人たちに故郷を追い出されまして、今や青空の下、近くの街をとぼとぼとしているのです。  ただ、青空の下とは世界の視点のお話。というのは、エルマにはその青空が見えていないからなのです。エルマは盲目、目が見えないという特性を神から与えられて生まれてきていたのでした。ゆえに村では、十五にもなってまともに文字を書くことすらままならず、ものを売ろうにも能力が及ばず、荷運びさえもおぼつかない、そんなエルマを皆が白い目で見たのです。  両親も、はじめのうちは自分の娘をかわいがったものですが、どうしても、そのような扱いをされだした彼女の親というのもまた、あることないこと言われてしまうわけです。そのような日々を一年、二年と過ごせば、父母共々が荒れてしまい、精神に限界が訪れるのも自然なこと。結果、そんな両親含め村人達全員が、十五年というとても短いとは言えない時間を共に過ごしてきたにも関わらず、畑を荒らすような野獣にするのとなんら変わりのない態度、対応でエルマを村から追放したのでした。しかし、村人達からしてみれば、それはただ、かねてより論じられていた話題に、満を持して結論を下したと、それだけのことなのでした。  村を追い出されたあと、エルマはそう遠くない、村を出てたどり着くのに歩いてもほんの三十分というほどの街まで、出がけに僅かばかり頂いた水と食料を消費しつつ、手づたい半日、ようやくやってきていたのでした。とはいえ、あてがあるわけではございません。迷惑にならないよう、道の端沿いを歩いているつもりではありますが、幾人もの方にぶつかってしまいます。皆エルマについて何も知りませんから、案の定といいましょうか、その度に、とても対象が人とは思えないような言葉をぶつけられるわけです。そういったことを繰り返していますと、いかに村を追い出されたときに枯れきったはずのエルマの心といえど、深く傷ついて行くのでした。  ただあるとき、ぶつかった人がエルマに対して、怒りではなく慈しみの声色で話しかけてきたのでございます。その方は、杖をついている老人でした。それはもう、エルマが随分と衰弱してしまい、迷惑をかけまいと、とある覚悟を決めていた時なのでした。 「あっ、すいません」 「ああ、いえ、私は大丈夫ですよ。それより、お嬢さん。見たところ、お若いようなのにずいぶんと衰弱していらっしゃるようで。どれ、なにかあったのなら、私に話してみてはくれませんか。こんな年寄りでも、はけ口くらいにはなりましょうて」 「......ちょっと、村を追い出されちゃって」 「なんと! 失礼でなければ、理由をお聞きしても? 」 「......」 「ああ、いえ、言いづらいのでしたら結構ですが」 「いや、大丈夫です。実は私、目が見えなくって。もう十五歳なのに、仕事の手伝いとか、家事とか、なんにも出来なくて。村の人達のお荷物になっちゃって。それで今日、ついに村の人達から見限られたんです」 「それは、お若いのに不運なことがありましたなあ。目が悪いというのは、たいそう生きづらいでしょう。私もこの頃歳のせいで、ずいぶんと視力が落ちてしまいましたから、目が悪い人の大変さはよくわかります」  ご老父はどうも、エルマが盲目ではなくただ目が悪いだけだと勘違いなさっているようでした。やはり随分歳をとっていらっしゃるものだから、耳も遠くなっていたのでしょう。 「ただ、いくら目が悪いとは言っても、お嬢さんが困窮されていることは、私にもかろうじて理解できます。逆に言えばお嬢さんは、耄碌した年寄りでもわかるくらいに苦しんでおられるわけだが。お嬢さん、眼鏡はわかりますかな」 「眼鏡......」 「眼鏡といいますのは、視力を矯正するものです。今はつけていませんが、私も普段眼鏡を掛けて生活しているんですがね。良いものですよ、あれは。こんなに皮膚がしわくちゃになった老人でも、安々と新聞が読めてしまうんです。少し前までこそ、偽装用ってなもんで一般には実用的でなく、更には高価な代物でしたが、今は段々と機能性が増してきて、職人もそう珍しいものではなくなったのですよ。私の古くからの知人にも一人、いい眼鏡屋がおりましてな。おせっかいやもしれませんが、そこであつらえてもらうといい。何、私の紹介だと言って、お金は取らせませんよ」  エルマは悩んでおりました。もちろんエルマは、自分が眼鏡をかけたところで何も意味がない、目が見えるようになるはずがないと、そんなことはわかっておりました。ただエルマには、行く先もやることも何一つ無いのです。相手は詐欺師や商人ではなく物腰柔らかな老人。もっとも、エルマにはその姿は見えておりませんが、杖をつくほど歳を重ねて、さらにはこのように温和な口調の、老紳士と呼ぶに足るお人の言葉を、今のエルマがどうして疑い、退きましょうか。それ以上言葉を発することなく、エルマは首を縦に振りました。その時老人がほがらかな笑顔を浮かべたことなど、エルマには知る由もありません。  もしも眼鏡が人に視力を与えるものだったのなら、今以上に彼女が幸せだったのは言うまでもないのですが、そんな素直でない考えをエルマが抱こうはずはなかったのです。エルマにとってこの状況は、これ以上を持たない最大の幸せ。それは眼鏡をもらうことそのものではなく、慈愛の対象を向けられたことなのでした。幾年振りでしょうか、エルマがこれほど誰かに会うということに期待するのは。カラララン......と、ベル付き扉を開く音がなったと同時にふわっと軽い風が吹いたかと思うと間を置かず、今度は「いらっしゃい」という、渋くて少し枯れた男性の声が聞こえて参りました。 「おお、あんただったか」 「すまないね、突然」 「いやあ、別に気にしちゃあいないさ。あんたならいつでも大歓迎だよ。それに、見ての通り客は今いない。丁度暇してたところなんだ」 「そうか。なら良かったが」 「それより、その隣の子は? 年齢からすりゃ孫くらいに見えるが、確かあんた結婚してなかったろう。親戚の子かい? 」 「いや、この子はさっき道でぶつかったんだが、どうやら目が悪いみたいで。若くして気の毒なものだから、今日はこの子に眼鏡をあてがって欲しくて連れて来たんだ。ああ、代金は私が払うよ」 「初対面の子かよ! あんたほんとに気まぐれ老人だな......。嬢ちゃんも、ホイホイとこういう大人について行ったらだめだよ。老人だからって、誰しもが貧弱で行儀良くて、大人しいなんてワケじゃない。悪いやつもいるんだから。まあ今回に限ってはこのじいさんで良かったが」  どうやら店主らしいその男性は、そうして話しかけている間にも、ずっと些細な違和感を抱いていらっしゃいました。妙に、その少女と目が合わないものですから。 「なるほど、嬢ちゃん目をつけられるだけあって、相当視力が低いみたいだな。これだけ近くに居て目が合わない。俺の姿が曖昧か」 「あ......すいません。大体の位置は、わかるんですけど......」  言い方を濁しはしたものの、嘘はついておりません。エルマの盲目は先天性、それが十五年も生きていれば、声の響きでなんとなく位置がわかるというのは本当のこと。ただこれ以上「本当」に踏み込めば、ここまで来て老人に嘘をついていた事がバレてしまう可能性があります。それで腹を立てる老人でも無いでしょうが、エルマは老人のここまでの労力を無駄にはしたくなかったのです。 「よし、まず視力を見るから、そこに座ってくれ。......あー、こっちだ、こっち」  男性は机をバンバンと叩いて、音でエルマに位置を知らせます。エルマはそれを頼りに椅子の方へゆたりゆたりと歩いて行き、やっとのことで席についたのでした。 「ありがとうございます」 「まあまあ、そんなに卑屈にならなくたっていいんだよ。こっちはこれが仕事なんだから。それじゃ、ちょっと失礼するよ」  そうして男性は、エルマの下瞼を自身の指で下げ、目の様子を伺いました。そして、そこで初めて彼女の真実を知ることになったのです。 「嬢ちゃん、これは......」 「......」  エルマはごまかすことも出来ず、自然と下を向いてしまいました。ただ意外にも、眼鏡屋はそれほど驚いてるようにも、困惑しているようにも見えず、なぜだか女狐のような小狡い表情を浮かべていたのです。 「これは重症だな。かなり度が強めのやつでないと」  驚いたことに男性は、まるで何も知らないようなオトボケ口調で、そのように返したのでした。 「え、あの」 「悪いが嬢ちゃん、十数分待っててくれ。今、嬢ちゃんに合うフレームとレンズを見繕って来るからよ」 「......あ」  その時ちょうど、立て時計がゴーン......と低い音を鳴らし、五時ちょうどを告げました。そいつまでもが、エルマのしようとした無粋な発言を遮ってきたのです。  しばらく、といってもほんの数分、待つうちに男性が帰ってきました。 「いやあ待たせた。ただもう少し待ってもらうよ、こいつを今から組み立てにゃならんのでね。っとその前に、度合いの確認をしなくちゃな。ほれ、こいつを目に当ててみてくれ」  そうして男性はエルマの手をとって、優しくレンズを手渡しました。エルマの方はといえば、ここまでされれば流石に男性の思惑にも気づき、応えるようにそれを目元へと運んだのでございます。 「......すごい、世界が変わったみたい! 見違えて見えます! 時計の文字も、入ってきた扉も、お二人の顔も! はっきり見えるって、こんなに幸せなことなんですね! 」  嘘です。エルマは当然、以前と変わらず何一つ見えていないまま。それでも彼女は、思わず席を立つほどに舞い上がっていました。それは老人を欺く優しい演技でもありましょうが、この時の彼女はそれだけでなく、本当に、今までの「真っ暗な世界」からは脱出することが出来ていたのではないでしょうか。 「ははは、興奮しているな、立ち上がるほどか。それなら度数も大丈夫そうだな。よし、組み立てるから、また渡してくれ」  バンバン、と、これまた机を叩いて位置を知らせる主人。老人視点から見れば、エルマは今レンズの効果で視界がはっきりしているのだから、不要だと疑うような行為のはずです。しかし老人、エルマのご機嫌な姿をご覧になって、ずいぶんと満足していたようで。そんな些細な違和感に目を向けるようなことはありませんでした。一方でご主人の方はというと、レンズを受け取るなり、繊細で複雑そうに見える部品構築を、慣れた手つきでこなしているのでした。 「......よし、こんなもんだな」  もう一度立て時計の鐘がなった頃、男性がやっと口を開きました。 「嬢ちゃん、ちょっとつけてみな」 「あ、はい。しかし、これはどうやって......? 」 「触って、感触が丸っこい滑らかなところと、細長い棒のところとがあるだろ。その棒の部分を、耳に引っ掛けるんだ。どれ、俺がやってやろうか」 「いえ、やり方さえ分かれば......こうですかね」 「おお、うん。よく似合ってるじゃないか、いい感じだ」 「すごい、本当に、よく見える......あ! そうだ、言いそびれてました。お爺さん、本当にありがとうございました」  エルマは老人の方を向いて、と、正確に老人の方ではないものの、ほとんど正しい向きで、あまりに真っ直ぐな感謝を告げました。その実直さには、その場にいる大人二人も、思わず笑ってしまうのでした。 「はっはは、律儀だねえ。笑っちまうほど律儀な奴だ」 「本当に。いいんだよ、そんなに気にしないで。気まぐれでやったことなんだから」 「ああ、ちょっと! 笑わないでくださいよ! お二人にとってはただの気まぐれかもしれないけど、私は本当に救われたんですからね! 村ではこのせいで、どこにも雇ってもらえなかったですし」 「いやあ、悪かった。なに、馬鹿にしたんじゃないさ。こんなことで喜んでもらえるなんてってのが、どうにもおかしくてさ。ただ、そうか、村に居た時は、そんな苦労が......。こりゃほんとに悪かったよ、笑っちまって。なあ嬢ちゃん、うちで雇われてみないか? 」 「えっ」 「組み立てとかの難しい仕事をさせるつもりは無い。そこの爺さんほどじゃないが、俺ももういい歳でな。こないだも、腰をぎっくりいっちまったし。そこで、言い方は悪いが、俺の足になってもらいたいんだ。備品の位置や形、名前を教えるから、持ってきてくれるだけでいい。それが難しければ、俺の身の回りの世話、たとえばお茶くみなんてことだけでも良い」 「でも、私......」 「行くあては無かったんだろう。うちなら最低限、飯と寝床と風呂だけは保証してやろう。仕事で失敗したって、責めやしないさ。少なくとも、俺はな」 「......良いんでしょうか、眼鏡を頂いただけでも十分過ぎるほどなのに、そこまでの幸せを望んで......」  その時、店主の手がエルマの肩を叩きました。それは無性に男らしく、それでいて「俺に任せとけ」という風な心強さと、羽ばたいてしまえそうな軽さを同時に孕んでいたのです。 「お前はここまで十五年間、散々苦しんで、望んで、悔しんで、ぬくもりを奪われて、それでも耐え抜いて生きてきたんだろ? じゃあこいつは、釣り合わないほど小さな“ご褒美”だ。受け取らにゃ、報われんだろう」 「......やれることは、精一杯やらせてもらいます」  老人もそれには思わず「よかった」と小さく声を漏らしてしまったのでした。老人の小さな本音、人一倍耳の良いエルマがそれを聞き逃そうはずもありませんでしたが、あえて彼女は、何も言わずただ再び、席に戻ることを選択したのです。  さて、時は進みましておおよそ一月と半、エルマもずいぶんとその生活に慣れて参りました故、ここに至って初めて心に余裕というものが産まれました。そうして向けられた思考の対象、それは意外にも彼女を無下に扱ったあの両親のことなのでした。 「おお、ありがとう」  エルマが運んできたのは紅茶、それも淹れたてでまだ湯気が立っています。この一ヶ月はこんなところにも、変化の連続でした。彼女は初め、当然のことながら茶葉を適量測ることも、湯を上手に沸かすことも、その湯をこぼさずカップに注ぐことも、何一つとして出来ませんでした。村でなら役立たずだとすぐに解雇されていたところでしょうが、眼鏡屋は何度失敗しても、丹念に動作を誘導してくれました。おかげでこの一ヶ月を通してついに、危なげなくそういったことができるようになったのです。スプーンやフォークの使用を、三歳から四歳までの一年間で生活の一部としたように、彼女だって慣れてしまえば仕事が出来ます。これは、些細ながら大きな成長、気づきなのでした。 「あの、店主さん」 「ん、どうした」 「ご相談がありまして」 「......なんだか神妙な様子だな。わかった。看板を下げてくるから、そこに掛けといてくれ」  そうして店主は看板を下げに店頭へと歩き、エルマは独力で椅子を引いて座りました。そこにもう音は必要ありません。 「それで、相談っていうのは? 」 「呆れられるかもしれないですが、実は、両親のことが気がかりで......」 「何だって!? 少し、嫌ったらしいことを言うようだが、お前の両親は、お前を蔑んで、実子にもかかわらず村からの追放に賛成したような、お前にとって仇のような人だろう! それをなぜ......」 「わかりません。私だって、あの人達のことはあまり好きじゃありませんよ。だけど......」 「だけど? 」 「それまでの十五年間、ぬくもりや愛は無くとも、確かに生きる事を支えてくれた。その事実を考えると、どうしても......それで」 「何だい、様子でも見て来てくれって? お前の頼みといえ、こればっかりは気が進まないね」 「それもそうだけど、私が様子を見に行くところに、着いてきてほしいっていうのが一番です」 「見に行くったって、お前は目が見えないだろう! 」 「......」 「あ......悪かった。ちょっと、熱が入ってしまった......。ほんとに、すまない。傷つけるつもりじゃ」 「......直接会えなくたっていいんです。遠目からでも、村に心配事が無いかって、それだけで......」 「そりゃあ、俺が居なきゃ様子はわからないかも知れない。でも、お前の頼みでもこの件は、そう簡単には頷けないんだよ。それで、もし幸せに生きていたとしたら、エルマを追放しておいてよくも! と、俺が許せなくなりそうで......」 「......店主さんはそう思うかも知れないけど、私自身は、あの人達に幸せに生きていてほしいんです。私を追い出して村が豊かになるなら、それが一番だから......」  エルマのその表情には、今までの苦痛の日々とはまた違う悲観がありました。故郷を思う心というのは、人間の合理に当てはめるにはあまりに慈悲深く、言葉で説明するにはあまりに理不尽かつ不可解極まりないものなのです。店主は自分より二回り三回りは若いかというそんな少女に、生まれて初めてそのことを教わったのでした。そんな店主が出す答えなんて、もはや一つしかありません。 「......ああもう! お前ってやつは本当に......絶対に村の奴らと合わせることだけはさせないからな」 「それって! 」 「掴まれ、一人じゃ歩きづらいだろ」 「! ありがとうございます! 」  眼鏡屋も村の方角は把握してましたから、それほど時間はかかりませんでした。二十五分と歩いて来ましたところ、ようやく村が見えてきました。しかし、その村は、エルマの知っている村の、原型すらとどめてはいませんでした。燎原の火のまさに字の如く、取り返しのつかないほどその村は燃え盛っていたのです。大火事に見舞われていたのです。業火に包まれていたのです。眼鏡屋が唖然と立ち尽くすしか無かったのも、当然のことなのです。 「この辺りまで来れば、そろそろ見えてくるはずだが......おい、なんだいありゃ」 「! 村が、見えたんですか!? それで、どうなんです? 村の様子は、わかりますか? 」 「......」 「店主さん? 」 (......なあ神様よ。あんたはどこまで理不尽なんだい! エルマはな、こんな年齢で、責任も持てない大人達から無慈悲な扱いを食らって、ぬくもりも与えられなくて、それなのに、そいつらを心配していたんだぞ! 身を案じていたんだぞ! あの村の人達の安全が、平和が、自分の幸せだと、そいつらの幸福を望んでいたんだぞ! そんな小さな願いすら、この子に許してやらねえのかい!? ああそうかい......俺はあんたがどうにも許せねえよ......) 「......はあ、参ったな、こりゃ」 「え? それって、どういう」 「楽しそうにしてやがるよ」 「!! 」  店主は、嘘をつく選択をしました。これが正解なのか、彼女にとっての優しさになるのか、はたまた酷なことをしてしまったのか。そんなことはわかりませんが、店主には、こうする他無かったのです。 「本当ですか!? 」 「ああ、ぬくもりに、溢れてるよ......」  嘘とも言えないような嘘。実際溢れ出して来るほどの熱を、その村は帯びています。それがぬくもりかといえば、エルマの欲していたものとはまるでかけ離れた、これはこれでなんとも残酷ながら、ぬくもりなのでしょう。 「皆、豊かに、暮らしていますか? 」 「ああ、心配してたのが、馬鹿らしくなっちまうくらいにな」 「よかった。私は、報われたんですね......」 「......そうだな」  眼鏡屋は、謝りたくて仕方がありませんでした。「ごめん! 嘘をついてしまった。君を悲しませたくなくて......。村は大いに燃えていて、人の姿なんてまるで無くて、豊かどころか、絶望そのものっていうか......」と、言いたくて仕方がありませんでした。だって、そうやって言えたら、眼鏡屋の今抱えているこの形容し難い罪悪感を、払拭できるに違いないんですもの。それでも眼鏡屋は、堪えて堪えて堪えて、これで良いんだと自分に言い聞かせました。そして、自分の感情を誤魔化すように、エルマに声をかけたのでした。 「帰ろう、店に」 「はい、これで、十分です。そうやって、幸せにしてるんだってことが知れれば、これで......」  そうして二人は、あの明るい闇に背を向けて、暗い光の中へと帰っていきました。  ぬくもりの、溢れる方へと......
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