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3 依怙贔屓
緑風堂のカウンターの端に肘をついて、鈴は大きくため息をついた。
今日の店内はなかなかに混雑している。テーブル席はすべて埋まっているし、カウンター席も一席しか空いていない。
テーブル席には女子高生風のグループが座っていて、ずっとちらちら。と、鈴をうかがっては、鈴が何かをするたびに、きゃいきゃい。と、甘ったるい声を上げていた。
いまだって、鈴が大きくため息をついた瞬間に、テーブル席からひそひそ。と、声が聞こえる。自意識過剰というわけではないだろう。間違くなく彼女らは鈴のことを話している。むしろ鈴は客が何を話していてもどうでもいいのだが、大抵は後になって葉や猫に揶揄われるのだ。
「なやみごとかな?」
「どんなこと、悩むんだろ?」
「大学生だって聞いたけど、進路とかじゃない?」
「モデルとかなれそう」
「ほんとそれ」
「もしかして、女に付きまとわれて困ってるとかあるかもよ?」
「むしろ。そっち?」
「でも、わかる。付き合えたとしてさ。別れるとか言われても、無理だよね?」
「あんなイケメンと付き合ったらもう、普通の男とか無理でしょ」
全部聞こえてるよ。と、言いたいのを鈴はぐっとこらえて、カウンターの上に置いてある常連さんに配る用のメッセージカードを折る作業を再開した。
混んではいるのだが、緑風堂の客は滞在時間が長い。だから、バイトの鈴は客を案内してしまえば暇になってしまう。商売っ気のない葉は別に気にしている様子もないけれど、一応、休日には1テーブル30分以上のご利用はご遠慮ください。と、されている。が、外に待ち客がいなければ、それもあくまで『原則は』であって、守られてはいない。そして、今日は既に待ち客はいなかった。日替わりがすでに二種類売り切れているからだ。
ちなみに、カウンター席には時間制限はないので、菫はいつも1時間以上猫に癒されていた。そして、その菫に鈴は癒されるのだ。
「そんな大きなため息ついてどうしたの?」
同じく、少し手持ち無沙汰そうに茶器を拭いている葉が横から声をかけてきた。鈴のことを心配しているというよりも、『飽きてきたからなんか話題ない?』という感じに見えるのは気のせいではないだろう。猫たちも大きく欠伸をしている。まあ、それはいつものことなのだが。
「別に。なんでも。ない」
鈴は答えた。
本当は何でもないことはない。
けれど、ここで話して、暇つぶしのネタにされるのはごめんだ。
「……菫君のことでしょ?」
図星だ。
図星なのだが、表情を変えることはない。
菫。という名前に、二人の会話に聞き耳を立てていたお客たちが色めき立つ。君。と、ついていても女性の可能性の方が高い名前だ。彼女らにとっては気になることこの上ないのだろう。
だから、余計に表情は変えない。菫のことをここへ来る客には知られたくない。まさかとは思うけれど、あの『犬神憑き』の一件のようなことがまた起こったら困る。
だから、少しだけ抗議の意味を込めて、葉を見る。
「はいはい。仕事します」
鈴の分かりにくいけれど、非難めいた視線に苦笑して、葉はカウンター横の棚からバインダーを取り出して、茶葉の在庫の確認を始めた。
きっと、口に出して『菫を危険に晒すようなことは言わないで』と、言ったら、葉は笑うだろう。『あんなことそうそう起こるはずはない』と。憑き物憑きの家系のことは、基本的にはすべて把握しているし、そもそも現代においてそんな家系は簡単に把握できる程度にしか残ってはいない。しかも、憑き物憑きの家系は女系が多くて、庶子で辿れないということが少ない。だから、こんなことが何度もあるはずがないと思っているのだ。
そんなことは鈴だってわかっている。けれど、一度あったことが二度ないとどうして言い切れるのか。とにかく、菫に危険があるかもしれないということを、たとえそれがどんなに可能性が低くても、少しでも放っておくことは鈴にはできなかった。
「……あぶなっかしいから……」
誰にも聞こえないよう小さく呟く。それから、優しい恋人の顔を思い出す。
菫は、人ならざる者に好かれやすい。
いい意味でも悪い意味でも。
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