ただいまの向こう側

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 ただいま帰りましたでございますですよ、っと。  もう両親は寝てしまったようですね。まだ八時にもなってないのに。  いやあ、ミニシアターで観る萌え映画は、格別でございましたですよ。  うちの両親は二人とも七十代でございまして、私が五十歳であることを鑑みますと、早寝早起きのお年寄り世代なのでございます。  私がニートにして子ども部屋おじさん、さらにチビ・デブ・ハゲの三拍子が揃った「不肖の息子」でなければ、たまの土日なんかに子どもと嫁さんを連れてきて、  「ただいまー」  と朗らかな実家へ帰宅の挨拶ができるのに……まさに慚愧に堪えない半生でございますですよ。  まあ、結婚どころか女性との交際もしたことない真性童貞の私には、はるかかなたイスカンダルに到達するより難易度が高い妄想なのですけれどもね。  しかし、なんで人は家なんかに帰ったとき「ただいま」っていうのでしょうかね?  「今帰ったよ」  っていうのが普通のような気がしますが……。  もしかしたら昔の武士なんかが殿様に呼ばれたとき、  「只今参上仕りました」  とかなんとか言っていたのを、庶民なんかが講談とかで聞いて、  「なんだ、洒落た言い方があるじゃねえか」 みたいに思って、家に帰ったときに、  「只今参上仕った→只今参上→ただいま」  みたいになったんじゃないでしょうか。  え、ソースですか?めんどくさいので各々調べてくださいよ。  それでもまあ、家に誰かが待っていて、ただいまって言えるのは幸せな部類じゃないでしょうか。  一人暮らしの人とか独居老人なんかは、家に帰ってきたとき何も言えませんから。  家に帰ってきて暗い部屋にむかって「ただいま」という人は、まずいませんですからね。  つまり「ただいま」という言葉には、「自分以外の帰るところで待っている人たち」が暗喩されているわけです。  アニメのサザエさんでも、マスオさんや波平が「ただいまー」って家に帰ってきますよね。  そこにはサザエさん一家が、誰一人欠けることなく待っている。  そしてシーンは、いつもの食卓を囲む磯野家の団欒シーンに移るわけです。  それは高度成長期まで日本でありふれた風景だったわけですが、今はどうでしょう。  核家族化、非婚・少子化……共働きしないと食べていけない人たちであふれておりますですよ。  ただいまからのおかえりで一家団欒、というのは中流階級が消滅した現代では、非常にレアケースとなってしまっており、ゆえに我々はサザエさん一家に憧憬を寄せるのでございますですよ。  ただいまの向こう側にある、暖かい家庭。  それは、いくらお金を出しても簡単に手に入る代物ではありませんですね。  家族それぞれが誠実に暮らし、お互いを信頼して長い期間を共にする。  そこにこそ幸せな共同体を確認する、巨大な手段としての「ただいま」が存在するのでございますですね。  たとえボロアパートの一室が自宅であろうとも、曇りなき心で「ただいま」と言うことができれば、さぞかし幸せでございましょうねえ……。  そこに可愛い奥さんが待っていて、  「おかえりなさい。ごはんにする?お風呂にする?それとも、あ・た・し?」  などと五十代以上の人しかわかんないような崇高な返答がきた日にゃ、人生はそれだけで意味あるものだと確信がもてるはずでございますよ。  しかし、なんとなくドリフのコントみたいにチープな感じになってきましたね……。  私は言葉など時代によって意味や使用する背景が変わると思っていますので、「ただいま」のひとつ言えなくなったところで痛くもかゆくもありませんけどもね。  高度成長期から国民総中流社会など、ゼロ年代にとうに終わりを迎えているわけですから、それをいいかげん受け入れないと、豊かな人生は送ることができないと思いますですよ。  今の世の中は少子化、非婚化がメインストリームなのです。  サザエさんみたいなホームドラマにまだ憧れてるなんて、昔のアメリカのテレビドラマに出てくるショーウィンドウの前にへばりついてクラリネットを見つめている、黒人少年と変わりありませんですからね。  私の数少ない友人なんかも、「結婚しました」とLINEが来たと思ったら、二次元アニメのヒロインと結婚した、なんて事例も発生しておりますですね。  巨大な子ども部屋の液晶TVに、目のでっかい萌えキャラの女の子がウエディングドレスを着ている写メが送られてきまして、度肝を抜かれました……。  どうですか。これが「ただいまの向こう側」にある現実でございますですよ。  いつまでも昭和にしがみついて、家庭円満を夢見ているよりいっそ清々しいと思いませんか?  私もこれからファミリーサイズのポップコーンを一人で食しながら、スパイダーマンの映画を鑑賞いたしましょうかね。  ヒーローはスパイダーマンやバットマンみたいに、いつでも孤独なのでございますよ!                   終
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