序章 『会』

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序章 『会』

お笑い養成所、卒業間近のある日だ。 話がある、と端的なメールを寄越し、いつもの公園に行くと相方は錆びたベンチに腰掛けてブラックコーヒーの缶を握っていた。 夏仁(なつひと)も隣に腰を下ろし、ぎしり、とベンチは悲鳴を上げる。 ネタについての話し合いだろうか、と勝手に想像して唇を開いた瞬間、相方は言った。 「俺、お笑いをやるより、見てる側の方が向いてる気がするわ」 ブラックコーヒーを一気に飲み干して相方は立ち上がり、夏仁の言葉も聞かぬまま缶をゴミ場へ捨てた。 カラン、という音がやけに静かに響いた。 相方は、こちらに振り向くことなく公園を去っていく。 突然、相方から告げられたコンビ解散宣言。 夏仁は途方に暮れるしかなかった。 夏仁たちのコンビは絶好調だった。 授業であるネタ見せでも笑いをバンバン取っていたし、講師や周りの同期からも期待されていた。 そんな中、卒業公演を控え、ネタ合わせの練習だって準備万端にして来たというのに勝手過ぎやしないか? コンビ仲だって上手く行っていたはずだ。何故、突然辞めるなんて言い出したのだろう。全く見当がつかない。 でも、夏仁には引き止める権利なんてなかった。養成所に入って、心折れる奴らなんて山程見てきたし、卒業間近で辞めるというのもよくある話だ。あいつはあいつの人生で、俺は俺の人生。 無論、あいつの人生に口出しする資格なんてない。 夏仁たちのコンビは呆気なく解散となった。 とは言ったものの、全く困らないと言ったら嘘になる。相方がいなくなった現在、今更相方探しをしなくてはならない。 しかし、同じく卒業を控えた同期達は、もう殆どの人らがコンビを組んでいる。今から見つけるとなると、中々に厳しいのが現実だ。 ピンで活動する事も出来るが、夏仁にはそんな自信はない。 卒業公演まで、あと二週間前後。 さすがにもう、間に合わないだろう。努力が水の泡になってしまうのは非常に残念であるが、仕方がない、諦めるしかないのだ。 とりあえず、何としてでも卒業前までに、相方を見つけなければ、と夏仁は焦り始める。 誰か余ってる奴、いないのかよ……教室内を歩きながら、辺りをキョロキョロと見渡す。 周りは、卒業公演の練習をしているコンビや講師に指導を受けている人たちで、騒がしかった。 入学当初は何百人という大勢の人で教室内がごった返していたというのに、今は随分と人が減った。 そんな中で、夏仁はピンで活動している人を狙うしか方法がなかった。そうは言っても、自ら望んでピンでやりたいという人もいるだろう。 色々な考えが脳内を巡り、夏仁は何だかむしゃくしゃしてきて、思わず、派手な金髪の髪の毛を掻き毟る。パサついた髪質の感触が手のひらに伝わる。だいぶ髪色も落ちてきて、旋毛から徐々に黒くなってきていた。 「そろそろ、髪、染めないとなぁ……」 目の前にある、大型鏡を見ながら独り言を呟く。 ダンスレッスン教室などでよく見かける鏡だ。 養成所にも同じ物がある。   そんな事を考えていた矢先、鏡越しにふと、一人でコッペパン(ジャム&マーガリン)をちぎって食べている青年が目に入った。後ろの方で体育座りをしながら、床に置いてある紙を見ている。 「あいつは、確か……」 名前も知らない、特に目立った奴ではないはずだ。 夏仁的にあの青年の第一印象は、色が白くて、ネタ見せの授業でダダスベりしているイメージでしかない。 確か、ピンでやっていたような気がする。いくらスベっても辞めないで活動しているのだから、少なからず、度胸はあるに違いない。 「ふーん、いいじゃん」 夏仁は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら振り返り、一直線に青年の方へ歩みを進める。 青年の前に立つと、目線を合わせるようにしゃがみ込む。青年は驚いたように顔を上げた。 「どうも〜」 「え、ど、どうも……」  何とも、不思議そうな表情を浮かべている。 「俺さぁ、最近コンビ解散しちゃって今、相方を探してんだけど……」   「えっ解散しちゃったんですか!?」  青年は突然、驚いたような声を発した。 「う、うん」 「そうなんですか、残念です。めっちゃ面白かったのに……」  「えーほんと?ありがとう」 同期から褒められるのは素直に嬉しかった。まさか青年に認識されているとは、思ってもみなかったが。 「なぁ、俺とコンビ組まない?」 青年は突如硬直し、ちぎったコッペパンの欠片をポロッと床に落とした。 「……お、おいっ」 思わず、転がったコッペパンの欠片を拾い上げる。 青年は大きく目を見開いて、まるで子供が宝箱を開いた時のような、はたまた夕食に大好物であるオムライスが目の前に差し出されるような、キラキラとした瞳で見つめられた。 「はいっ!」 これが、優大(ゆうだい)との出会いだった。        
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