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一 『煙』
養成所を卒業した。それと同時に、夏仁と優大は正式にコンビを結成した。
まぁ、それを気にという訳ではないが、一人暮らしをしている優大を、夏仁が住んでいるシェアハウスに一緒に住まないか?と提案した。
現在、3LDK一軒家に、自分を含め、むさ苦しい男五人で、シェアハウスをしている。
全体の家賃、十七万。これから悠太と部屋を共有して、払う金額は一人、二万四千円。東京の一人暮らしと比べるとだいぶ安い。
家賃も安くなるし、いつでもネタ合わせ出来るという一石二鳥を兼ね揃えているので、優大もその提案に乗ったのだ。
数日前に優大の家に行き、引越し作業を手伝ってきた。引越し業者を呼ぶ金が勿体ないので、自分たちでレンタカーを借り、自力で何とかした。
東京都練馬区、練馬駅。駅から、徒歩十七分。
駅近と呼べなくはないが、何とも微妙な距離だ。
駅から家まで、これからバイクやら徒歩やらで通うわけであり、今日は道順を教える為に、練馬駅北口のシュールな壁画がある所で、待ち合わせをしているが、なかなか優大が来ない。
目の前には、円系のベンチに囲まれている一本の桜の木がある。
桜って嫌いだ。一瞬で咲いて、瞬く間に散ってしまう。一枚一枚の花弁に命が宿っていて、風が残酷に命を落としていってるような気がする。
地面に落ちた花弁は、通りゆく人々に容赦なく踏み続けられるのだ。
“儚い”そのたった一言に尽きる。
肩に舞い降りた花弁を手に取って眺めながら、暇を持て余していると、ポケットに入っている携帯電話が振動した。片手で降って、画面を開ける。
「もしもし」
「ごめん。今着いた!どこ?」
出口の方を見やると、人混みに紛れて馬鹿でかいリュックを背負い、携帯電話を耳に当て、不審に辺りをキョロキョロしている人物がいた。優大だ。
「おーい、こっちこっち」
優大は、全力で反対である右側を見ている。こちらに気づく気配すらない。
「違う違う!反対」
「えっ?左??」
振り向いた優大と目が合い、手招きをすると夏仁を見つけて安心したのか、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「ほんとごめんっ!ここの駅、初めて来たから迷っちゃった」
顔の前に両手を合わせ、この通りだ!とでも言うように謝っている。
「今回だけは特別に許す。荷物、それで全部?」
「うん、これが最後」
「じゃあ、行くか」
それを合図に、優大は夏仁の横に並んで歩き始めた。
「桜って、好きじゃないんだよな」
「なんで?」
「悲しいから」
「悲しい?」
「そう」
「うーん。そうかな?」
「そうだよ」
「俺は桜、好きだけどなぁ……」
「なんで?」
優大と同じように聞き返した。
「理由なんてないよ」
理由なんてないとは、どういう意味だろう。
「ただ、純粋に、綺麗だなって思うから」
微笑みながら言われたその言葉に、衝撃を受けた。
『純粋に、綺麗だなって思うから』
その感覚が、夏仁には全く分からなかった。
優大が正しいのか、それとも夏仁が世の中の常識から、ずれているのか。
薄々は感じていたが、夏仁と優大は、正反対だ。
金髪に、黒髪。一重の細い目に、くっきりとした二重の目。黄色を基調とした柄シャツに、シンプルなボーダーのティシャツ。背丈も優大の方が十センチ程低い。
傍から見たら、チャラ男と普通の青年。一体どこに接点があるのだろう。もしかして、カツアゲされているのでは?と勘違いされそうだ。
全く正反対の二人を急かすかのように、風が強く吹いた。
夏仁は家の玄関を開けると、そのまま二階へ続く階段を上がった。左手に行くとリビングと台所がある。
今日は、優大の歓迎会ということで、同居人たちとの初顔合わせだ。以前に一度、引越し作業をした時は家に誰も居なかったので、今日が初めてとなる。
背に優大を引き連れたまま、扉を開けた。
「ただいまー…って、もう呑んでんのかよ!」
右向きのソファに背中を預け、二人の同居人が、缶ビールを片手にくつろいでいた。
テーブルには、菓子やつまみ、空の缶ビールなどが散乱している。
「おかえりー、遅かったやないか」
「なんでお前らが先に始めてんだよ。ベロベロじゃねーか」
とりあえず優大を中へ誘導し、優大は二人に向かって、ぺこりとお辞儀をした。
テーブルを挟み、夏仁の隣に優大を座らせ、二対二で向かい合う。
「えーと、こっちが綾野で、隣の眼鏡は、関村」
「おいっ紹介が雑!」
いつも以上にキレがない。酒を呑むと気が大きくなるが、その代わりに面白味がなくなるという、最悪な悪循環を生む男、関村。夏仁と同期のお笑い芸人。
ちなみにギャンブルが趣味で、色々な所から金を借りているので、周りから愚図呼ばわりされている。
「この人が…噂の、優大くんっすか……?」
「“優大くん”って、お前より一つ年上だからな?」
「え…そうなんすか……」
初対面相手にデリカシーのない男、綾野。癖のあるロン毛に、毛先だけを青色に染めていて、いつも気怠けな顔をしている。大学生活を送りながら、デザイナーを目指している。
「初めまして。町田優大と言います。今日からよろしくお願いします」
優大が挨拶をすると、パチパチと拍手が起こり、缶ビールを持って皆で乾杯した。
「優大く…さんって、めっちゃ童顔すね…高校生かと思った……」
「さん付けじゃなくても良いですよ、一歳差だし。よく言われます。恥ずかしいんですけどね」
「ほんなら、夏仁より二歳下ってこと?」
「そうなりますね」
最初は、サスケも綾野と同様に驚いた。本当に高校生くらいに若く見えるからだ。
「でも…将来的には、良いっすよね……若く見えた方が……」
「綾野は老け顔だから、三十歳くらいに間違えられるもんな」
夏仁が茶化しながら言うと、綾野は何も言わない代わりに、凄い形相で睨んできた。
「そういえば、浦松兄弟は?」
「仕事で、参加出来ひんてさ」
浦松兄弟とは、この家に住む同居人で二人とも会社は違うが、仕事は普通のサラリーマン。
兄弟揃ってアイドルオタクらしく、アイドルに貢ぐ為に東京の社畜として、朝から晩まで日々汗水流しながら働いている。
この、異色過ぎる同居人たちと毎日暮らしているのだ。
その後も、食べたり呑んだりを繰り返し、三人はすっかり打ち解けたようだ。
優大は、もっと人見知りな奴かと思っていたが、全然そんな事はなかった。そりゃそうだ。そうじゃなきゃ、コンビを組もうと誘った時、その場ですぐに返事などしない。
その様子に安心し、夏仁がいてやらなくても大丈夫だろうと察したので、飲みかけの缶ビールを手に取り、煙草吸ってくるわと三人に告げ、屋上へ向かった。
春といえど、夕方になるにつれ、空気が冷えてくる。
屋上からの情景は東京の街並みが全貌でき、
ほら、あそこに東京タワーが見えるだろう?という、ロマンチックなシチュエーションが出来る所ではない。
普通の住宅街の屋根が目の前に広がっているだけだ。
空はパステルブルーに染まっていて、それを背景に、淡い橙色と桃色のグラデーションが鱗雲に色づいていた。
夏仁は、この屋上が何となく好きだった。
別に、景色が特別綺麗というわけでない。
けれど、自分にはこれくらいがちょうど良い気がするし、落ち着く。
ペンキが剥げ落ちた柵に、腕を預け、胸ポケットから煙草を取り出す。
昔から海外に憧れを抱いている夏仁は、アメリカ発祥の洒落たパッケージの煙草に興味を引かれたのがきっかけで、二十歳の頃から夏仁は同じ銘柄を吸い続けている。
この煙草はまるで、空気を吸っているみたいに感じる。メンソールのすっきりとした後味がして、若干、味は薄いが文句を言う程でもない。
「ここ、屋上もあるんだね」
後ろにある扉を開きながら、優大が話し掛けてきた。
「珍しいでしょ」
「うん。バーベキューとか出来そう」
「やめといた方がいい。近所のおばさんから、めちゃくちゃに苦情来るから」
「やった事あるんだ」
「煙も凄いし、騒ぎまくったらシンプルに怒鳴られた」
ははっと笑いながら、優大も柵に腕を預け、景色を眺め出す。
「吸う?」
「いや、大丈夫」
勧めた煙草の箱を、胸ポケットに戻す。
「高校生の時に先輩に誘われて、興味本位で吸ったんだけど、凄い苦かったからそれ以降吸ってないんだよね」
「へぇ、高校生で?それは、悪い子だねぇ〜」
「あんまし、健康にも良くないしね」
「確かに、そうだよなぁ」
煙草を吹かしながら、矛盾した言葉を発する。
「絶対、思ってないでしょ」
図星を突かれながら、笑われる。
「バレた?」
優大が頷く。
「そういえば、優大って俺と組む前、ずっとピンでやってたの?」
薄汚れた赤色の灰殻入れに、煙草の灰をトン、と捨てる。
「いや、養成所入りたての時に一度だけ組んでたよ。あんまし上手くいかなくて、すぐに解散しちゃったけど」
「へぇ、そう」
「それからずっと相方を探してたけど、見つからなかったから、仕方なくピンでやってた」
「なるほどねぇ……まぁ、俺も解散した身だけどな」
「でも、最後の最後に夏仁が俺の事誘ってくれて、すごい嬉しかった」
本当に、心の底から嬉しいって思っている顔だ。分かりやすい。
「いや、お前しかいなかったからな。余ってる奴」
わざとらしく、冗談交じりに返す。
「うっ…あながち、間違ってはないけど……」
優大が続けて言った。
「て言っても、まだ不安はあるよ。これから先、どうなっていくか全然分かんないからね」
なぜか悲しそうに、笑った。
夏仁は適当に相槌を打ちながら、新しい煙草に火をつけた。
「ふーん。まぁ、安心しろ」
吐き出した、薄い白煙が冷気に混ざって、消えていく。
「俺たちは一生相方で、死んでも相方だ」
ゆっくりと、雲が流れていくように缶ビールの結露が指先を伝う。
コンクリートに雨粒のような、雫が滲みた。
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