記憶の改竄

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記憶の改竄

 話は結婚前に(さかのぼ)る。デート中に居酒屋の前を通りかかると、婚約者であるカバ顔の桜井さんはショーケースを見て、「うわ! 俺の嫌いな物ばっかり!」と身震いした。ファミレス好き・洋食好きの彼は、自分は和食が嫌いだと思い込んでいたのだ。 「特にこれ!」と彼は小口切りの唐辛子を使ったナス炒めの食品サンプルを指差す。 「辛いのが苦手? ナスが苦手?」 「ナス! 俺、ナス大っ嫌い!」 「ナスって特にクセもないけど、苦手なの?」 「俺、ナスだけは絶対無理!」 「ああ、そう」  同棲開始後。料理が得意な私は和洋中なんでも作ったが、和食を作ることが多かった。私の大好物なのでナス料理も。だが彼は、「芙蓉(ふよう)の作る料理、美味しーい!」と喜んで食べたのだ。特にナス炒めが大のお気に入りで、「ナス、ウマーイ!」と絶賛しながら猛烈な勢いでかっ食らっていた。  結婚後。夫の実家に夫婦で訪問した際。麻婆茄子をもぐもぐと食べる息子を見た姑は驚いて言った。 「学、ナス食べられるようになったの ⁉」 「え? 僕、ナスは前から好きだよ?」 「何言ってるのよ。あんたナスが嫌いで、絶対食べなかったじゃないの」 「え? そうだったっけ?」  なぜか夫は驚いている。 「お義母(かあ)さん。学さんは以前、『ナスが大嫌い』って言ってたんですけど、私がナス炒めを作って出したら『ナス、ウマーイ!』って食べるようになったんですよ」 「なんだ、そうだったの〜」  姑は嬉しそうな笑顔で納得している。 「え? そうだったっけ?」  夫はまだ驚いている。 「ええ、そうよ」 「え? そうだったっけ !?」 「え・え・そ・う・よ」  彼は『そんなはずはない』と思っているのだ。だから決して、「ああ、そうだったね」とはならなかった。  彼は本気で『俺は元々ナスが好き』と思い込んでいるのだ。このように夫は、簡単に記憶を(かい)(ざん)してしまう人だった。
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