一寸の虫にも五分の魂。

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 たまたま登山遠足で友達になったハルカちゃんは、同じ班だったナツキちゃんと、山道を歩きながら虫が嫌いだと話していた。 「わたし、虫ダメなんだぁ……だから遠足、山登りなんて嫌だったんだけど……ハルカちゃんは平気なの?」 「虫……? ううん、大嫌い。だから、見てるの」  普通虫嫌いなら、さっき飛び出してきた大きなバッタに驚いたナツキちゃんみたいに、その姿を見つけようものなら悲鳴を上げて逃げ回ったりするものだと思うのに。  時折しゃがみ込んではアリの行列や葉っぱについたイモムシなんかを真剣に見つめるハルカちゃんは、不思議な子だった。 「嫌いなのに見てるの? 気持ち悪くない?」 「だって、目を離すとその隙にすぐ近くまで来てるかもしれないもん」 「それは、そうかもだけど……」 「そっちの方が怖いし嫌だから、目の届く範囲で絶対に動かなくするか、その場で仕留めるの」  怖い、嫌だと言いながらも、大きかったり目立つ虫に気付くと自ら近寄って、わざわざ至近距離で観察するハルカちゃん。彼女はやっぱり、変わった子だ。  ハルカちゃんは、学校や家でも虫に対して同じ姿勢を貫いているようで、僕とナツキちゃんに色々な話をしてくれた。  足がたくさんある虫は逃げ足も早いから、洗剤をかけると遅くなって足止めになる。そしてその内、しばらくの時間をかけて洗剤の海で溺れて死ぬらしい。でも、たまに脱出するやつもいるから、油断は禁物だ。  空を飛ぶ虫は止まった時が狙い目で、壁に止まった瞬間に、ためらわずに一気に叩き潰すといいらしい。でもものによっては卵が飛び出すことがあるから、注意した方がいいんだって。  あとはそこらで見かけるトンボや蝶々は羽根をもいでも死ななくて、頭と胴と足だけの状態でも生きているらしい。  好奇心や悪戯心で虫を千切ったり共食いさせる男子達とはまた違って、淡々と語られる彼女の言葉はどこか研究者じみている。  嫌い嫌いと言いながら、ハルカちゃんは誰より虫に詳しい『虫博士』だった。  ハルカちゃんの話を聞いて、ナツキちゃんはあからさまに嫌そうな顔をして引いていたけれど、僕はそんなハルカちゃんと仲良くなれて、とても嬉しかった。もっとハルカちゃんの話を聞きたかった。  登山遠足が終わる頃には、早く家に帰りたいなんて気持ちはなくなっていて、もっとハルカちゃんと一緒に居たいとさえ思った。  思えばこの時から、虫を真剣に見つめる熱い眼差しを、嫌いなものに真っ向から立ち向かえる彼女のことを、好きになっていたのかもしれない。 「みんな、忘れ物はない?」 「はーい」  先生の声におのおのが返事をする中、リュックの中に僕の仄かな恋心を隠すように詰め込んで、薄暗い帰りのバスに揺られながら、僕はハルカちゃんとのこれからの日々を夢見た。 *******  想像した通り、遠足が終わってからも、ハルカちゃんとの日々はとても幸せなものだった。  おやつを分けてもらったり、一緒に外の景色を眺めたり、あの真っ直ぐな瞳に見つめられるだけでドキドキした。  だけど山に居た時よりも、やっぱりちょっと窮屈だった。だっていくら透明でも、狭い四角い空間では飛ぶことすら出来ないのだ。  そして、お別れの日は突然やってきた。 「……飛んでる時は綺麗だったけど、やっぱり虫は虫だよね。……羽根だけはもらっておくけど」  僕は、そう言って虫籠に手を入れたハルカちゃんに捕まえられ、ぶちぶちと自慢の羽根を千切られる。  かつて彼女が言っていたように、頭と胴と足だけの状態で外に投げ出されても、僕は生きていた。確かに致命傷ではなさそうだ。 「大丈夫だよ……あなたを殺したりしないから。元気でね。さよなら」  ぴしゃりと窓が閉められて、ハルカちゃんの姿は見えなくなってしまう。  元気でね、なんて逃がしてくれたけれど、羽根をなくし飛び立つことも出来ない僕は、餌にもありつけず、他の生き物に襲われても逃げられない。すぐに死んでしまうだろう。  羽根のない僕は、もう蝶々とも呼べない姿で、いっそハルカちゃんに殺して欲しかったなと思いながら、みじめに地を這うことしか出来なかった。
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