1人が本棚に入れています
本棚に追加
ボール扱いから少しは昇格したのだろうか……
「兄者が魔犬たちの世話をさせるなんてさ。アンタ、見込みアリなんじゃねえの?」
あんちゃんの妹、ルビーが言った。
彼女は多忙なあんちゃんに代わり、住み込みで魔犬の世話をしていた。
雇われているスタッフも数人いる。
「見込みアリねぇ……」
ルビーはそう言ってくれたが、俺は正直、体良く無報酬で雑用を押しつけられた感でいっぱいだった。
ただ、ルビーと過ごせる時間はものすごくラッキーだった。
俺と同世代、人間の年齢なら20代前半だろう。
常に不機嫌そうで口も悪く男っぽいが、深紅の長い髪が魔性的でキレイな娘だ。
あんちゃんが無類の魔犬好きなら俺は無類の女好き。
通常ならとっくにルビーに猛烈アプローチしている俺だが、ここはグッと我慢だ。
ヘタにあんちゃんを刺激してとことん嫌われたりしたら、この三年の流血も骨折も、血ヘドを吐いてきた日々も全てが水の泡だ。
せっかくこうして自宅に招かれ、俺の愛魔馬、はっせんも一緒に納屋に居候させてもらえるようになったのだから。
「ヘッ。俺も成長したもんだぜ」
本能を抑えられるようになった自分に拍手を送り、俺は自画自賛した。
それはさておき……
来る日も来る日も魔犬たちと格闘するが、どいつもこいつもてんで懐かない。
魔犬らは俺の命令に全く耳を貸さないばかりか超反抗的で
人間界の犬の方がよほど賢く可愛げがある。
「人にひどい目に合わされてきた魔犬ばっかなんだ。そんな簡単に信じてもらえるワケないだろ。
愛情深く気長に世話してやんねえとよ」
ルビーの助言もあり、俺は魔犬らを大好きな女の子たちだとムリヤリ思い込み深い愛で包み込む事にした。
女の子だと思えばいくらでも気を長く持ち優しくなれる。
すると、二年を過ぎた頃には魔犬たちも次第に心を開いてくれるようになり、だんだんと俺の命令に従うようにもなっていた。
最後の一匹、リーダー格の特大犬を残して……
そしてさらに一年が過ぎる頃に迎えた、222歳のバースデー。
家族でもなく、仲間でもなく、恋人でもなく、人ですらなく、
俺は問題の特大犬に真正面からガン飛ばされ、自らの誕生日を呪って……じゃない。祝っていた。
「お座り」
と命じたら特大犬は、尻をフリフリして脱糞ポーズをとり、
222歳ホヤホヤの俺の目前でホヤホヤの巨大な大便を転がしやがった。
「お手」
と命じたらあろう事か、俺の頭を思いっきりひっぱたき、
「おかわり」
と命じれば今度は、俺を張り倒し踏みつけにしやがった。
「伏せ」
と命じたらうつぶせに倒れた俺の背中に乗っかって押しつぶし、
「待て」
と命じれば俺の顔面を草と泥に押しつけたまま、これだけは素直に長々と待ちやがった。
――真っ暗だ。しかも、息苦しい……
特大犬はあんちゃんにしか懐いていないのだが、ルビーやスタッフ達の指示にも一応は従う。
こんなナメた行為をするのは俺にだけらしい。
数日後、予期せぬハプニングが起こった。
スタッフのミスで裏門のカギがかけられておらず、魔犬一匹が脱走してしまったのだ。
当事者のスタッフは自分を責め、魔犬の無事を祈ると同時に、
あんちゃんの逆鱗に触れるかもしれない恐怖でひどくおびえていた。
「ビクついてんじゃねえよ。
兄者には黙っててやるからさっさと捜しに行く支度しろや」
ルビーはイラつきながらリュックに必要な物を手際良く詰め込み、
魔犬のリーダーである特大犬を連れて来ると首輪にリードを取り付けた。
「ビッグ。アンタの優秀な嗅覚だけが頼みの綱だよ」
言い忘れていたが、特大犬の名前は「ビッグ」だ。
ミスったスタッフの名はカヌプエ。
いかにも気弱そうな若い男だが、カヌプエは真面目な働きぶりでスタッフ全員から信用されており、魔犬たちにも好かれていた。
「ゴン!! 出ておいで!! ゴン!!」
「ゴン!! どこなんだ!? ゴン!!」
俺たちは手分けして脱走犬、ゴンを懸命に捜した。
ビッグは迷う事なくユレブランスのコウリョー山へと進んで行き、傾斜がきつく歩くのも困難な岩場まで俺とルビーを誘導した。
「こんなとこにゴンが居るのかよ?」
歩きづらいうえ、とっぷり日は暮れ辺りは暗くなっていた。
満月になる一歩手前の中途半端に丸い月は、厚い雲に隠されていた。
俺たち魔族の血を引く者は皆、魔族特有の目を持っている。
“暗闇仕様の目”と言われ、暗い所でも見えるよう自由に切り替えられるのだ。
ただ、この“暗闇仕様の目”はガッツリ使えばそれだけエネルギーを消耗してしまう。
だからたいていの場合、ぼちぼち見えるくらいのレベルで使い、体力の消耗を最小限にとどめている。
「ビッグ。どうした? ゴンがこの辺に居るのか?」
ルビーが問うと、ビッグはルビーを一度見上げ、それから後は滝の音がする方角へ足を止めずに進んで行った。
足場の悪さなど物ともしない。ルビーも俺もビッグにくっついて行くので精一杯だ。
「生意気なだけあって、ビッグの野郎すげえな……」
俺がそう感心した直後、ビッグは突然、ルビーが握るリードを振り払い猛ダッシュした。
「ビ、ビッグ!?」
俺たち二人はビッグに置き去りにされ、急斜面から滑り落ちないよう慎重に後を追った。
滝の大きな水音が近くなるにつれ、周囲の音はほとんど聞こえなくなる。
そんな中、魔犬の悲痛な鳴き声が俺たちの鼓膜を貫いた。
「あの声は……!?」
「ゴン……ゴンだよっっ!! ゴン!!」
男勝りなルビーがいつになくうろたえ、顔色が真っ青になっていた。
ゴンの身に何かあったのか……
俺はビッグに負けないくらいの速さで、走るというよりは連続ジャンプで岩場を驀進した。
そして、滝の前の岸辺に出た俺が目にした光景は、とんでもなく衝撃的なものだった。
厚い雲から出現した月が照らし出した光景とは――
最初のコメントを投稿しよう!