第10話 腹の探り合い

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第10話 腹の探り合い

 その日の晩餐は、いつにも増して素晴らしく美味であった。  オーレリアが通常の食事を取れるようになったのはここ数週間のことだったが、それ以前のいわゆる病人食の頃から、その美味しさに驚かされることが多々あった。  今日も品数自体は多くなく、それほど手の込んだ料理という訳でもないのだが、素材一つ一つが実に味わい深い。  メイン料理の(うずら)のローストを口にした時には、オーレリアの口から思わず「美味しい……」という声が漏れてしまった。 「お口に合って何よりだ」  それまでほとんど言葉を発さなかったザイラスが答える。 「この鶉は元々この土地の名産品でしたが、五年ほどかけて品種改良したのです。山の雪解け水を与え、夏は牧草地で放し飼いすることによって肉質が締まり、脂の味がしつこくなくなった」 「……」 「それから餌を見直し……失礼、こんな話題はこのような席には相応しくありませんでしたね」 「そんなことは……」  驚いた。  鶉の品種改良についてこんなに饒舌に語る人だとは思わなかったわ。  でも本当に美味しい。鶉だけじゃない、スープの野菜も、パンに使われている小麦も、どれも質が高い。  こんな雪深い土地でどうやってこれだけの農産物を作っているのかしら。 「食後の飲み物は、ショコラかお茶か、どちらがお好きだろうか」 「ショコラを」  思わず答えてしまい、はっと我に返る。  いけない、またやってしまった……  視線を少し上げてザイラスの様子を窺ってみたが、別段変わったところはなかった。  気づかれないようにほっ、と息を吐く。  だが当然だがザイラスは気づいていた。  なるほど、ショコラね。  昨日のハープシコードといいあのうわ言といい、間違いないな。  ショコラはもともと新大陸から伝わった。カカオという豆を細かく砕いてすり潰し、砂糖やスパイスを加えたもので、非常に高価で手間のかかる飲み物だ。庶民はおろか、貴族であってもおいそれと口にできるものではない。  それをごく自然に選ぶとは……。  食事が終わりテーブルが整えられ、ショコラと焼き菓子が運ばれて来たところを見計らって、ついにザイラスが口を開いた。 「貴女は貴族のお生まれだな」 「……」 「なぜあんな薄汚れた少年の形(なり)を? あれほどの怪我を押してどこへ行こうとしていた? そもそも誰にやられた? 心当たりはあるのか?」  明らかにさっきまでとは口調が違う。あくまで静かで穏やかだが、背筋が凍るような響きがある。 「……お答えしなければいけませんか」 「下手人を捕らえたいのでね。まあ貴女自身にも少なからず興味はあるが。あとニコロ……俺の従者が貴女は刺客に間違いないとうるさいので確かめておきたい」  口の端に浮かんだ微笑が怖い。 「心当たりは、ありません」  当然ながら、オーレリアは嘘をつく。 「……そうか」 「男になりすましていたのは、旅をするのにそのほうが都合が良かったからですわ。女と知られると厄介事が多くて」  これは半分真実だ。 「確かにそうだな」  オーレリアはテーブルの下で両手を握りしめる。 「ショコラが冷める。いただこう」 「ええ」  小さなカップを手に取ると、豊かな香りと甘さと苦みが鼻に抜けた。  懐かしい香り……。 「旅をしていると仰ったが、どこへ向かうおつもりで?」  現実に引き戻される。  どうしよう、どこまで話すべき? この方を信じていいの?  ……いいえ、私はこの方を信じたいの? 「帝都へ」 「かなり遠いが」 「でも行かなければならないのです。それも、今すぐに」 「帝都で何をする?」 「……人を探しているのです。ある騎士を」  ザイラスの眉がぴくりと動いた。 「ほう。その騎士の名前は?」 「わかりません」  何? それはまた無鉄砲な。 「名前も知らない騎士をどうやって探すおつもりで? この帝国に何人の騎士がいるかご存知か?」  いかん、つい尋問の時の癖が出てしまった。  ザイラスは少なからず焦って彼女に視線を向けたが、逆に驚かされることになった。  普通の貴族の令嬢であればザイラスのような武骨な男からこんな質問を投げかけられた時点で怯えきって泣き出してしまうだろう。  だが彼女は、いやオーレリアは、琥珀色の瞳を真っすぐに上げてザイラスに向き合っていた。 「名前は知りませんが、手掛かりがあるのです。きっと見つけ出します」 「なぜその騎士を探しているのですか?」 「亡くなった父が言っていたのです。どうしようもなく困った時にはその方を頼れと。必ず力になってくれるはずだからと」 「ということは、貴女は今どうしようもなく困っておられるのだな」 「!」  やられた……! 「誤解しないでくれ。貴女を困らせたり、尋問しているつもりはない」 「では、なぜ?」 「……何故だろう。自分でもよくわからん。だが貴女が本気であることはわかった」 「信じて頂けて何よりですわ。ですからわたくし、急いでおりますの。貴方に大変な恩があることは承知しておりますが、今はまだそれに報いることができません」 「ほう、"今"は、と」 「いつか必ず、このお礼はいたします。……その、わたくしの抱えている問題が解決されたら」 「そのためには貴女が探している騎士の力が必要だと」 「はい。ですから、どうかわたくしを行かせて下さい。もう時間がないのです」
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