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第18話 暁を待ちながら
「叔父君にとっても、今年は重要な意味を持つわけですね」
「逆の意味で」
もしオーレリアの話が全て真実だとしたら、この十年、王弟の心中は常に薄氷を踏むような毎日だったのではないか。
「今までどうやって身を隠して来られたのですか。表向きは一家全員亡くなられたとされていても、皆が納得したわけではありますまい」
オーレリアの答えはこうだった。
先王は王弟が王位を奪おうと陰謀を企てていることを前々から感づいており、最悪の場合は子供達だけでも王都を脱出させる手筈を整えていた。
あの夜、離宮に火が回る中、眠っていたオーレリアと王子は乳母に起こされ、すんでのところで離宮を脱出することができた。
オーレリアの脳裏には、今にも燃え落ちようとする離宮の大広間で手を携えて毅然と立っている両親の最後の姿が焼き付いている。
「私の替え玉になって、乳母の娘が一人死んだ。……その事実は一生背負っていかねばならぬ」
「仕方のないこととは言え、心が痛みますな」
ザイラスの返答に、オーレリアは静かに頷いた。
その後、王子は国境近くの断崖絶壁の上に建つ僧院、王女は辺境の小さな村の修道院にそれぞれ匿われたのだという。
「当時、私は立太子の礼と同時に父から王位継承のしきたりとそれにまつわる秘密を知らされてはいたが、それが持つ意味はあまり理解できていなかった。ただ絶対に他人に口外してはならぬという父の言いつけを守って息を潜めて生きていた」
数年間は何事もなかった。
オーレリアの身辺が少しづつ騒々しくなったのは一昨年あたりからだ。
最初は一通の手紙だった。
差出人不明のその手紙にはただ一言、「逃げなさい」と記されてあった。
同時に修道院の周りで次々と不審な出来事が起きるようになった。飼っているニワトリがある日突然死んでいたり、明らかに誰かが壁を伝って侵入しようとした形跡があったり。
「つまり、叔父君が殿下が生きておられることを嗅ぎ付けたのですね」
「多分そうだろう。叔父は残忍で疑り深い人物だから、私と弟の死亡の知らせを信じようとせず、ずっと血眼になって行方を捜していたらしい。そして7年かけてついに辺境の修道院に辿り着いたという訳だ」
「ですが大陸の修道院はすべて教皇庁直属で、王であれ手出しは……」
「あの叔父にそんな理屈は通用しない。十年という条件の存在については正直忘れかけていた。だが記憶の糸を辿るうちに、自分のやらねばならないことを明確に意識するようになった。それに修道院に危険が及ぶことはどうしても避けたかった。王室の存続の鍵を握っている厄介な王女を、何も言わず匿ってくれたのだから」
だがその時、オーレリア自身はあまりにも無力であった。
このままここにいても、叔父が刺客を送り込んでくるのは時間の問題だ。一刻も早く安全なところへ逃げなければ。でも、どこへ行けばいいのだ? 誰でもいい、誰か頼れる者は……? 信頼できて、力があって、共に闘ってくれる……。
そんな時、ふとあの動乱の中で父王からかけられた言葉を思い出したのだ。
『大陸の西のどこかに、漆黒の騎士がいる。どうしても困った時には彼を頼りなさい。必ず助けてくれる。何としても生き延びて、見つけ出しなさい』
「だから髪を切り、男に変装して西へ向かった」
「無茶なことを……その騎士の名前も分からぬのに……。それに彼が既に戦場で命を落としている可能性はお考えにならなかったのですか?」
オーレリアは平然とした様子で答えた。
「父が言っていた。彼は不死身の騎士だと。戦いぶりを見ればわかる、と。実際そうであったではないか」
「しかし」
「それにもし漆黒の騎士に会えなくても、むざむざ修道院で殺されるのを待っているよりはマシだ。手紙を送ってくる人物がいる以上、味方が一人もいないということではない。だから、とにかく動き出す必要があった」
「それで帝都に向かう途中で、刺客に追いつかれて負傷なさったという訳ですね」
「叔父は私を殺さず生け捕りにしろと命じたのだろう。殺してしまったら秘密は永久に闇の中だ。だが予想以上に私が抵抗したので、刺客の手元が狂った。そこにあなた方の声が近づいてきたのに気づいて、私を置き去りにして逃げたのでしょう。どうせもう助からないだろうし、ああいう刺客は金さえ手に入れば雇い主など平然と裏切る」
そこまで話し終えて口を噤んだオーレリアに、ザイラスは頷いて答えた。
「なるほど。よく分かりました」
そのまま暫しの沈黙が流れ、再びザイラスが口を開いた。
「で、どうなさるおつもりか?」
「貴殿の力を借りたいのです。ザイラス(サラマンダー)・レーゼンヴァルト選帝侯殿。私と共に闘ってほしい」
「闘う? どうやって?」
「それはまだ分からない。だが私は、なんとしてもヴェルノー王国へ帰らねばならない。王宮へ戻り教皇に親書を送って、私が正当な王位後継者であることを示すのだ」
「……それはつまり、王になられるおつもりか?」
「それが正しいことならば。王になって叔父の罪を白日の下に晒し、父の無念を晴らす」
「簡単なことではないでしょう」
「無論。だが、あなたが力を貸してくれれば、実現できないことではない」
ザイラスは体の向きを変え、ゆっくりとオーレリアに向き直った。
「なぜそうお思いになるのですか? 殿下は私がどういう人間かご存知で?」
「いいえ」
「ではなぜ」
「父が生前言っていた。漆黒の騎士はそういう男だと。時が来たら、必ず助けてくれると誓ってくれたと」
「……」
「違うのか?」
「……確かにお父上には恩義があります。だが」
「でも、やらねばならぬのです。このまま黙って叔父に王位を渡してしまったら、いずれ王国は滅びてしまう。叔父はそういう男だ。自分の欲のためには血を分けた兄でも平然と殺す。そんな男を王の座につける訳にはいかない」
「……私が断ったら?」
その問いかけに、オーレリアは顔色一つ変えず悠然と答え、右手を差し出した。
「あなたに断るという選択肢などないことは分かっている。さあ、この手を取りなさい。そしてわたくしと共に闘うと誓いなさい」
「……困った王女様だ」
ザイラスの大きな右手が、オーレリアの白い手と重なった。
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