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第4話 何故なんだ
その日の午後、ザイラスとニコロは厩舎で馬の手入れに励んでいた。
「ところで旦那様、どうなさるおつもりで?」
「何がだ、ニコロ」
「決まってるでしょう、昨夜の客人ですよ。あんな時間にあんな場所で酷い怪我をして、おまけに女だそうじゃないですか」
「それがどうした」
「ハァ……どう考えたって相当の訳アリでしょう。仮にも選帝侯のお屋敷にそんな得体のしれない奴を置いておくなんて、俺は賛成できませんね」
「……ニコロ、お前いつから俺に指図できる立場になった?」
ニコロの顔がさっと青くなる。
「いやあの、俺はただ旦那様が心配で、あのその」
「冗談だよ。お前の気持ちは良く分かっている」
「……」
「何だ? まだ何か言い足りないようだな」
「……この大陸には、旦那様を憎んでいる人間もいます……真実も知らないくせに一方的に……」
俯いてぼそぼそと呟くニコロの言葉に、馬にブラシをかけているザイラスの手が止まる。
「確かに俺を殺したい人間は山ほどいるな。いつ刺客を送り込まれても文句は言えん。困った困った」
「ち、違います! 俺は旦那様がそんな人間じゃないことをよーくよく知ってます。でも世」
「そこまでだニコロ。それ以上言うな。俺のしてきたことは俺自身が一番よく理解している」
「旦那様……」
ニコロは悔しさのあまり、固く握った拳をブルブルと震わせた。
「それはさておき、あの娘が刺客だったとしても、今は蚊の一匹も殺せんよ。むしろ彼女が死ぬ。だから心配するな」
そう言いながらザイラスはニコロの肩を軽く叩き、笑ってみせた。
「分かりました。でも約束して下さい。あの娘の怪我が回復したらきちんと素性を確かめること。それともし少しでも危ないことに巻き込まれそうになったらすぐに追い出すこと。いいですね?」
「ああ、そうするよ」
だがザイラスの胸の中には、彼女は決して自分に危害を与える人間ではないという、なぜか不思議な自信が湧いていたのだった。
「坊ちゃま! 坊ちゃま!」
ザイラスの思索はリサのただならぬ叫び声によって中断された。
「なんだリサ、そんなに慌てて。それに坊ちゃまは止めろと何回……」
「それどころじゃありません! いないんです!」
「いないって誰がだ?」
「あの娘さんですよ!」
何だって!?
ザイラスはリサに質問を浴びせた。
「いないって、どういうことだ? 起き上がることもままならないのに? いついなくなったんだ? リサ!」
リサの顔は真っ青になり、両手がワナワナと震えていた。
「ええ、ええ、そうなんです。今朝坊ちゃまと会話された後、食事をお持ちしたのですが、スープをほんの少し飲み込むのがやっとな状態で……それで休むように言ったのですが」
「いなくなったことに気がついたのはいつだ?」
「つい今さっきですよ。煎じ薬を持っていったらもぬけの空で……でもベッドはまだ温かかったので、そう遠くには」
リサの言葉を最後まで聞かず、ザイラスは走り出した。
「行くぞニコロ」
「え、えっ、お、俺も? は、はい」
表門を飛び出し、屋敷の前の道を大股で歩きながら、必死に辺りを見回す。
あの状態だ、さほど遠くには行けん。
どっちだ。
ふと今朝の会話が蘇ってくる。
『行かなければ……』
そうか、彼女は街を出ようとしているのだ。間違いない。だが、何故なんだ。どこへ行こうとしている、あんな身体で。
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