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両腕を大きく回し、足首も回す。体育館に響く靴底のキュッキュッという音は、戦友達、6人が鳴らしている音。
俺は、目の前のネットを見上げた。高さ2メートル43センチ。男子バレーボールの公式ネットの高さだ。自分の身長176センチからすれば、まるで壁のように高い。
だが、俺はあのネットより高く上がりボールを叩き落とす手を知っている。だから恐れはない。俺はネット向こうに聳え立つ黒いユニホーム。ヤツ、山への挑戦への昂揚感に満ちていた。
満員スタンドの体育館に鳴り響くホイッスル。
今、全日本高等バレーボール選手権大会、準決勝がスタートした。
ーーーー
初めて山川を知ったのは、今から5年前、中学の全国大会だった。
小学4年生の時から始めたバレーボール。中学2年で全国大会のレギュラーに選ばれた時、俺は(当然だ)と内心思った。だって、このチームで自分より高く跳べるスパイカーなんていなかったからだ。
【天才】皆は俺をそう呼んだ。
だが準決勝で、俺の高い鼻は見事にへし折られることになる。対戦チームに圧倒的な存在がいたからだ。
ミドルブロッカーの山川茂、彼のブロックは鉄壁で、俺がどれだけ強力なスパイクを打っても、ことごとくヤツに止められた。
跳ね返されたボールがコートに叩きつけられる。
「くそっ」
睨むと、ヤツは冷ややかな目で俺を見下ろしている。その目は、明らかに自分を見下していた。敵チームが笑顔で彼の肩を叩く。
「ナイス、山!」
試合は一方的で、俺のスパイクは一本も決まらず、チームは惨敗。試合終了のホイッスルが鳴ったとき、俺はコートに膝をついた。悔しさに涙がこみ上げてくる。
ネットの向こう側で、そんな俺に冷酷な言葉が落とされた。
『これが、お前の限界だ』
あの時、見上げた山を俺は忘れない。山は滲んでいた。ボヤけていた。
(限界…)
その時、俺は知ったんだ。自分は決して天才なんかじゃないってことを。
それでも、俺はバレーボールを続けた。中3では結果を残せず、県大会で敗退。だが、バレーの有名高校に進学できた。
強豪校だけあって、練習はかなり厳しい。ボールに触ることはおろか、ネットにすら触れられず、基礎トレーニングメインで、ひたすらランニングと筋トレ、後は雑用をやらされた。
楽しかったのはボール磨きだ。球技をやっている人なら分かると思うのだが、ボールは愛しい恋人。だから丹念に磨いた。磨きながら、皆と会話も弾んだ。
1番仲の良いヤツはセッター志望の河上幸人だ。彼とは同じクラスで、しょっちゅうジャレあってた。
俺は中学の時に経験した敗北の悔しさと山川のことを彼に打ち明けた。「自分には限界がある」そう陰鬱タップリに吐いた俺に河上は言った。
「なら、限界を超えればいい」
「どうやって?俺は身長176センチのチビスパイカーだ」
「でも、お前は誰より高くジャンプできるバネを持っている」
「いくら高く飛べても限界が…」
「限界、限界ってうるせーっ!僕がいるだろ?」
「えっ?」
突然の怒号に俯いていた顔を上げる。すると河上は俺の両肩を強く掴んだ。
「いいか、僕は日本一、いいや、世界一のセッターになる!だから僕のトスで、お前は限界を超えろ!」
「河上……」
「つまり、落ち込んでる暇があんなら練習しろってことだ」
入部してから半年経過。当初、30名いた1年は、たったの9人になっていた。
「予想通りの面子が揃ったな」
白石監督は意地悪そうに笑むと、先輩達との合流練習を許可してくれた。やっとバレーボールができる。俺は皆にバレないよう、控えめなガッツポーズを決めた。
バレーには、前衛、後衛、それぞれ決められたポジョンがある。
◆セッター(S)
チームの司令塔であり、攻撃戦略の中心となる。レシーブやディグ(低い位置でボールを拾う)から上がってきたボールを、スパイカーに正確にトス、セッターの判断力とトスの精度が、チームの攻撃の成否を左右する。
◆アウトサイドヒッター(OH)
チームの攻撃の要であり、多くのスパイクを担当。特にレフト側からの攻撃が多く、レシーブやブロックにも参加する。攻撃だけでなく、守備でも重要な役割を担う。
◆ オポジット(OP)
セッターの反対側に位置するため『オポジット』と呼ばれる。チームの攻撃の中心。強力なスパイク、ジャンプ力が必要。特にバックアタックやフェイントなど、多様な攻撃手段は必須。
俺はオポジットだ。
◆ ミドルブロッカー(MB)
ネット際でのブロックの要。相手のスパイクを阻止する役割が主であり、またクイック攻撃やブロード攻撃など、スピード感のある攻撃を担当する。ブロックと攻撃の両方で、チームの中心的存在となる。
◆リベロ(L)
守備専門。後衛にてレシーブやディグを担当。ネットを超えてのスパイクやブロック、サーブはできない、が、守備範囲が広く、戦略という建物の土台となる。特別なユニフォームを着用。
◆レフトサイドブロッカー。
レフトサイドは、攻撃の一環としてスパイクを打つだけでなく、守備の面で相手の攻撃を防ぐ役割も担う。特に相手の強力なオポジットやアウトサイドヒッターをブロックすることが求められる。
だが、試合はサーブ権獲得毎に時計回りにローテーションされるため、基本、どのポジションでも対応できる練習が必要。
パス練習、ディグやレシーブ練習、スパイク練習、
サーブ練習、戦術練習、フォーメーション練習。
3対3や6対6の練習試合。
次はポジション別練習だ。その後はメンタルトレーニングで集中力を高めた。
俺は部活終了後も残り、河上との連携を深めるため、個別にスパイクの角度やタイミングを練習した。
365日、1日も休むことなく練習メニューを消化してゆく。そして高校2年、我が校は県大会優勝、全国大会の切符を手に入れた。
ベンチ入りは全部で12名。僕と河上が3年生に混じり選出されることになった。
試合はトーナメント戦、3セットマッチ。準決勝と決勝は5セットマッチになる。
1回戦は勝利。俺と河上の出番はなかった。そして2回戦、俺の目は対戦相手コートに釘付けにされた。ヤツだ。山川が前衛にいたのだ。
「あれが山か?」
「ああ、そうだ」
河上からの問いに、俺はヤツを見たまま頷いた。再び河上が囁く。
「2メートルはあるなぁ〜」
そう、ヤツの身長は更に伸びていた。山川は、先輩達のスパイクを次々とコート内に叩き落としてゆく。ただブロックしているのではない。フェイクにも惑わされず、ドンピシャのタイミングで跳んでくる。まるで、こちらの戦術を見透かしているようだった。相反して、相手のスパイクは面白いほど鋭く決まる。
このままではストレート負け。その時、監督から指示があった。俺と河上がコートに入ることになったのだ。
俺の役割りは多彩なスパイクを打つこと。リベロの正確なレシーブがセッターの河上に渡る。
「行け!渉!!」
河上がトスを上げた。俺は高くジャンプし、バックアタックで相手コートに叩きつける。今、山川はコートにいない。ベンチで俺を睨んでいる。
前衛選手と山川が交代。すると、途端にスパイクが決まらなくなった。俺がベンチに下げられた時、チラッと見た山川はニヤついているように見えた。
結局、試合はストレート負け。
帰り道、河上は悔しそうにこう言った。
「お前が山を超えられないのは、僕のせいだ」
「なに言ってんだよ。そんなわけ……」
「いや、僕がお前のジャンプのピークポイントにボールを置けないからだ。渉のピークは、山川より上にあった。お前はボールが上がり切らないうちにスパイクを打ってたんだよ。だからブロックされてしまうんだ」
それからの俺達は、狂ったように特訓を重ねる日々を送った。目標は一つ。山を超えたい。あの長い指の上からスパイクを、ヤツのコートに叩きつけることだった。
ーーーー
そして3年生。
体育館内の空気は、緊張感と興奮でピリピリと張り詰めている。観客席からの歓声は波のように押し寄せ、コート上の選手たちの集中力を試しているかのようだった。
準決勝が始まってからの数分間、俺達のチームは必死に相手の攻撃に対抗しているが、相手チーム、特に山川の存在に苦しめられていた。
「もう一回!」
河上が叫ぶ。ボールは再び俺の方向にトスされた。山川の目がこちらに向けられたのがわかる。鋭い視線が俺の動きを追っている。
河上が放ったボールは、まるで弧を描くように、高く、そして正確に俺の元へ飛んでくる。
全身の筋肉を総動員してジャンプする。コートが足元から遠ざかり、宙に浮くボールが俺の手元へと近づいてきた。
だが、そのボールに手を伸ばした瞬間、山川も同時に跳んでいた。俺の視界に広がるのは、彼の長くて強靭な腕。彼の手がブロックのために広げられ、俺のスパイクを阻もうとしている。
(このままでは…)
俺は一瞬で状況を判断した。このまま力任せにスパイクを打てば、山川のブロックに阻まれるのは明白。だからこそ、俺は咄嗟にボールの軌道を変えることにした。
「フェイントだ!」
スパイクのモーションから、ボールをふわりとブロックを避けるように弾く。ボールはネットを越え、相手コートのギリギリのラインへと落ちる。
「くそっ!」
滑り込んだが、ディグに間に合わず床を叩く敵のリベロ。
「決まった!」
大歓声が湧き上がる。だが、俺はまだ満足していない。山川がフェイントを読み切れなかっただけだ。俺はまだ、ヤツを超えたわけじゃない。
試合は続く。俺たちは全力で相手に食らいつくが、山川の反応速度は並外れており、彼が前衛の時に限って、俺達の得点率は極端に下がってしまう。
河上からのサイン。俺は頷き、再びボールに集中。相手チームのジャンプサーブが飛んでくる。リベロが鋭いレシーブを見せ、ボールは河上の手元に返る。
「行け!」
河上のバックトスが高く舞い上がった。
(今度こそ!)
河上と必死に特訓したコンマ何秒世界。0.001タイミングが合わないだけでピークからのスパイクは不可能になってしまう。俺は全力で床を蹴り、跳び上がる。
山川も跳んだ。空中で彼の中指が赤く腫れているのが見えた。だよな、分かるよ。俺の指もテーピングだらけだからだ。
「ここだっ!」腕を振り下ろす。強い衝撃。ボールは彼の指先をかすめ、相手コートを突き刺した。
一瞬の静寂の後「わあああーっ!!」と、場内が揺れる。その中で、俺は着地した。
「渉!」
河上が親指をグイッと突き上げる。その指で、俺はやっと気づいたんだ。自分が山川のブロックの上からスパイクを放ったことに。
だが、喜ぶのは早い。まだ試合は終わっていないからだ。相手チームはすぐに攻撃の態勢を整え、こちらに襲いかかってくる。山川は再び前衛に戻り、俺達の攻撃を阻もうとしていた。
「させないっ!」
俺は自分に言い聞かせるように叫んだ。限界って言葉は超えるためにあるのだと、今ハッキリと言える。俺は今、限界を超えた。そして更に上の限界を目指す!
試合は激しさを増していく。互いに一歩も引かない攻防が続いた。
5セットマッチの準決勝。互いに2セットずつ取り合い、試合はフルセット決着となった。
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