振り返り。

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振り返り。

何年か前の話。 その頃の僕は、暗くて辛い話を好んで読んだ。 自分の体にナイフを突き刺して、あたり一面血の海にするような。 痛々しくて、苦しくて、助けなんて来なくて。 叫んで叫んで叫んで。 喉から血が溢れる様を、慟哭しながら眺めた。 悲しみのアパートには、そんな住民が山ほどいて。 彼らはお互いにお互いの傷を舐め合っていた。 彼らの仲間になりたくて、自分の中のナイフを探すようになった。 まるで墓荒らしだ。 心の中を掻き回して。 どこかにないか。 あったはずだ。 ほら、あの時の悲しみを思い出せ。 あの時の死理不尽な思いを。 苦しみを。 孤独だったこと。 いじめられたこと。 忘れるな。 憤りを。 情けない自分自身を。 そうして、あらん限りを尽くして、ナイフを突き立てることに夢中になった。 舐め合う仲間を見つけることなど、どうでも良くなった。 自分の世界に篭ることが楽しかった。 けれど。 そのうち、心が空洞になっていった。 血も膿も出し切って、何にもない。 空っぽになった。 あるのは、虚無だけ。 なんにも浮かばない。 なんにも感じない。 観るのも読むのも書くのも想像するのも、したくない。 枯れた。 心が枯渇したんだ。 Aに出会ったのは、そんな時。 カピカピになった地面に、水を垂らしたみたいに、急速に吸収した。 もっともっともっと。 空洞を潤すように、Aを欲しがる。 Aでいっぱいになった時、やっと心が満たされたのを感じた。 こういうのを人は「幸せ」と言うのだと知った。 心が、ぷるぷると嬉しそうに揺れていた。 4a311366-8185-40f9-94ad-b354939a5930
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