第一章 舞翼の奏主の月二十七日 午後四時 2

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「……いっそ、本当に……、『幻想夜』を追いかけちゃおうかな……。目的がない旅だし、ピッタリかもね……」 「……お勧めできないなあ。わからないことだらけだし、発生した痕跡も残ってないし……、噂を頼りに世界中を探し回るのは厳しいよ?」 「う……、でも、物騒なのとか重たいのはちょっと……、どうせなら、楽しかったり面白かったりするほうがいいんだけど……」 「リィルらしいのでいいんじゃない? 長旅なんだもの。好きな事じゃないと続かないよ?」 「好きな事かあ……。全世界の名物料理食べ比べとか……、あ! そうだ! 精霊王祭の屋台調査なんて、どうかしら!?」 「悪くないと思うけど……、巡礼士の研究っていうより、行商人とか新聞社が喜んで買いそうな情報だなあ」 「やっぱり……? 凄くやる気が出るテーマだと思ったんだけどなあ……」  小さな水飛沫に振り向いた。勢いを増した噴水が陽の光を反射してキラキラと光っていた。  紅龍皇帝領の聖殿は噴水と川がシンボルだ。このフルス聖殿も敷地の至る所に噴水が設置されていて、周りを囲むように小川が流れている。 (ん? ちょっと底が見えづらい……?)  いつもは陽光で底まで見えるはずの噴水がやけに暗い気がする。  眼を凝らし、息を呑んだ。噴水の水がうっすらと濁っている。 (まさか……、瘴気……?)  自分の考えにスウッと背筋が寒くなる。  十二の精霊王と魔王の戦いは、伝承の中だけの出来事ではない。  魔王が持ち込んだという瘴気は、現在でも世界を蝕み続けている。  特に、高濃度の瘴気が霧状になって移動する魔の霧は、ひとたび発生すれば町一つが一夜で滅ぶほど強力だ。  魔の霧ほど酷くなくても、瘴気が溶け込んだ水で魔獣化した獣達の被害は深刻で、近頃は山間部や街道だけでなく、町や村にも出没している。  たとえ、「十二の精霊王」や「魔王」が伝承や神話の中の存在だとしても、瘴気は実在する、現在の「魔王」だ。 (昨日の雨で濁ってるだけ……、瘴気のはずがないわ……。だいたい、フルスは精霊遺跡なのよ? 精霊の加護だけじゃなくて、地底湖にも護られてるんだから……っ)  ルーリョ王国は紅龍皇帝の加護を受けた清らかな川が流れていて、少しばかり瘴気が溶け込んだところで自然に浄化される。  中でも、フルス聖殿は聖水が湧き出る地底湖の上に立っていて、そこから汲み上げた噴水の水は強い浄化作用を持っている。  だから――、瘴気が入り込むわけがない。  だけど、なら、どうして……、水が濁っているのだろう? 「どうかしたの?」  不思議そうな声に我に返る。  穏やかな蒼い瞳が覗き込んだ。 「あ……、えっと…………」  イグの出身地が祀る蒼月王は聖炎を司る浄化の精霊王だ。その加護を受ける精霊族もまた浄化魔法を得意とする。  研究者として世界を旅している彼ならば、この手の現象にも詳しいかもしれない。 「な、なんでもないから! そろそろ、宿泊手続きに行きましょうか!」  相談するべきか迷い、結局口から出たのは当たり障りのない言葉だった。 (あと三日で紅龍皇帝の月だもの。そのうち回復するはずよ……。でも……、後で、叔母様に報告しといたほうがいいわよね……)  大きくなってくる不安を呑み込んだ。  聖なる流れを司る紅龍皇帝領を祀る聖殿の噴水が濁っている――、そんな格好悪いこと、異国の旅人に言えるはずがなかった。
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