第五章『後始末』

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『――事情は把握した。彼らの中に、お前が探している黒山羊なる犯罪者がいる可能性が高いというんだな?』  監禁部屋へ向かって廊下を移動しながら、美夜子は乃神に現状を報告している。 「あのタイミングであんなメッセージを送ってきたってことは、あたしの動きをある程度観測できる立場にいることは間違いないよ」 『ふむ。……事件の実行犯がそいつ、ということか?』 「わからないけど……たぶん、違うと思う。あいつは、自ら手を下すタイプじゃない……」  それも勘に過ぎない。美夜子自身、黒山羊の性質を完全に理解しているとは言い難い。 「でも、今はわからなくてもいいよ。実行犯を問い詰めて正体を吐かせる。そうすれば黒山羊が誰なのかもすぐにわかるでしょ。監禁部屋にはアンバークラウンの全員が集まってる、もう逃げ場はない」 『……禊屋』 「なに?」  ちょうど監禁部屋のドアの前に到着して、美夜子は歩みを止めた。乃神は一瞬躊躇したような間を置いてから続ける。 『俺はお前の過去など知らないから一応言っておくが、冷静になれよ。我々の第一目的は実行犯を生きたまま捕らえることだ。計画の首謀者が別にいたとして、そいつを見つけ出せれば最上の結果だろう。だが、事を急くような真似はするな。我欲や私怨で目を曇らせれば死ぬのはお前だぞ』 「…………」  美夜子は目を伏せ、拳を握りしめる。 「あは。わかってるってそんなこと。あたしが冷静じゃないように見えた? ぜんぜん普段通りなんだけど」 『それならいいが』 「じゃあ部屋に着いたから。そろそろ始めるね」  美夜子は通信を打ち切り、後ろをついてきていたガニーに小さく声をかけた。 「行きますよガニーさん。さっき言った通り、犯人の動きには気をつけてくださいね」 「おう……」  ガニーは神妙な面持ちで小さく頷いた。彼には既にこれから話す推理を伝えてある。  監禁部屋のドアは最初の指示通り、変わらず開けっ放しにされてあった。メンバーが集まっていること以外、部屋の中の様子はブリッジの遺体も含め先ほどから変わった様子はない。美夜子たちが到着したということは、中にいた誰もが気づいたようだった。 「皆さんお待たせしました。――うん、全員集まっていますね。ガニーさんから言われたこと、ちゃんと守ってくれていました?」  美夜子は部屋に入りながら言う。 「お互い事件の話をするな……ってやつか?」  スキンヘッドの刺青男――フレイムが答えた。 「俺とキーパーは最初からここにいたが、みんな静かなもんだったさ。それ以外のお喋りすらしやしねぇ。なぁキーパー?」  キーパーが頷く。周りの反応を見る限り、それは本当のようだった。 「これ、取ってきてあげましたよ」  美夜子はフレイムに近づき、彼の部屋から持ってきたハンドガン・M&Pと預かっていた部屋の鍵を手渡す。 「ひひ……本当に持ってきてくれるとはなァ。親切なことで……」 「約束でしたからね」  するとガニーがフレイムに向かって言う。 「おう、それじゃ貸しておいた俺様の銃を返しな。残念だったな、使う機会がなくて」 「いやいや、俺はやっぱりこいつでないと……はいよ、っと」  フレイムはズボンに挟み込んでいたM10リボルバーをガニーに返却した。代わりに、美夜子から受け取ったM&Pを懐に仕舞う。 「何だよ、その袋は?」  フレイムはガニーが片手に持っている麻袋を指して言う。リュックサックくらいの大きさで、口を紐で縛ってあり、外から見て複数の物が入っているとわかる。 「気にすんな。後で教えてやる」  フレイムだけでなく皆、袋の中身が気になったようだったがガニーがそう言うとそれ以上言及してくることはなかった。  美夜子は部屋の端へ移動すると、そこで横になっている、拘束されたグッドラックに向けて微笑んだ。 「待たせたね。もう少しで君のこと助けてあげられるよ」 「あ……ありがとうございます! 信じてたっす、禊屋さん……!」  グッドラックは口元を震わせながら涙ぐんだ声で言う。泣くにはまだ早い。 「さて――」  美夜子は他のメンバーが一様に見渡せる位置に陣取った。腰に手を置き、アンバークラウンの各メンバー、一人ひとりの顔へ視線を動かす。  ある者は堂々と、ある者は不敵に笑いながら、またある者は不安そうに。美夜子を見つめていた。  キーパー。  マンティス。  タミアス。  スパーク。  フレイム。  この中に――犯人がいる。  美夜子は軽く咳払いをして、いつもの軽い調子でそれを開始した。 「えー、ガニーさんから連絡があったと思いますが、今回の事件の犯人がわかりました。それをこれから皆さんに説明したいと思います」 「おい、ちょっと待て」  低い声の大男――キーパーが早々に声を上げる。 「さっき全員集まっていると言ったが、まだフォックスが来ていない」  それを聞いて、「そういえば」だの「確かに」だのと、フォックスの不在に気づいた者たちが呟く。  美夜子が説明するより先に、ガニーが一歩前に出て言った。 「おめぇら落ち着いて聞けよ。……フォックスは死んだ」 「死んだ……!?」  キーパーをはじめ、誰もが驚いた表情になった。それを事前に知らされていた赤ら顔の男――タミアスだけは、先ほどから気まずそうな顔をしている。 「説明してくれよ。フォックスが死んだっていうのは……?」 「一時間ほど前のことだ。俺と禊屋が、一階にある奴の部屋で死んでいるのを見つけた」  美夜子がスマホで撮影しておいた現場写真を見せながら、ガニーはフォックスの死体を発見した時の状況を説明する。一通りを聞き終えて、浅黒肌の眼鏡の男――スパークが言った。 「――なるほど。ではそのフォックスのスマホに遺されていたという遺書の通り、彼がブリッジを殺した犯人だった。そしてその犯行がいずれ露見するであろうことを恐れたフォックスは、自ら命を絶った……ということか」 「ちげぇよ」  ガニーがそっけない態度で言う。 「いや、しかし今の話では――」 「自殺じゃねぇんだ。フォックスは殺された」  その発言に再び動揺が広がる。金色のドレッドヘアで細身の男――マンティスが緊張した面持ちで尋ねた。 「なぁ、なんでそう言えるわけ? だって部屋は密室だったんでしょ? 自殺しかあり得なくない?」 「それはだな――あー……いいや、面倒くせぇ。禊屋、お前の考えた推理だろ。お前が話せや」  ガニーは説明する役割をこちらに投げ渡す。そもそも代わりに話してくれって頼んだわけでもないんだけど。 「ではあたしから説明しますね」  美夜子は小さく挙手して話し出す。 「フォックスさんが自殺ではないとする根拠は3つ。1つ目は遺書の違和感」  フォックスの遺書の内容はこうだ。 『申し訳ありませんでした。ブリッジを殺したのは俺です。  ある組織に唆されて、金のために殺しました。あの帽子の男の仕業に見せかけるつもりでした。でも考えが甘かった。  俺が犯人だということはすぐに見抜かれるでしょう。どうせ助かる道もありません。潔くここで幕を引くことにします』 「この遺書ですが、説明がまるで足りていないと思いませんか? そもそもの話、フォックスさんはブリッジさんが殺されたとき、監禁部屋の南京錠の鍵を持っていませんでした。彼が殺害したというのはおかしな話です。それを可能とする何らかの方法があったのかもしれませんが、これまでの調査で、そんなトリックを示唆するものは見つかっていません。彼が何をもって〝犯人であることをすぐに見抜かれる〟と考えたのかもこの文面では謎です」 「つまり、その遺書はフォックスを殺した犯人が捏造したものだってのか。あいつが自殺したと見せかけるために?」  フレイムが半信半疑の面持ちで言う。美夜子は頷いた。 「はい。この遺書はスマホのメモアプリに書かれただけのものです。当然ながら、本人が書いたという裏付けになるようなものはありません。スマホのロックはパターン認証や暗証番号ならフォックスさんに開けさせればいいし、指紋認証なら殺した直後であれば問題なく解除可能です。以上が遺書の違和感について。――で、次」  美夜子は右手で二本指を立てる。 「2つ目の根拠は、フォックスさんの自殺方法。写真を見てもらってわかったと思いますが、彼はナイフを使って自分の胸を突き刺したような姿で死んでいました。まず自分の胸を突き刺すという死に方自体が、首吊りや飛び降りなどと比べるとかなりハードルが高い自殺方法であることは想像できますか?」 「まぁ確かに、臆病だったあいつが取る方法としてはいささか壮絶すぎる気はするな……」  スパークが苦笑いで言う。美夜子は「でしょ」と相づちを打った。 「フォックスさんは銃を携帯していなかったようですが、隣の倉庫には予備の銃が保管してありました。あれらを使えばもっと楽に死ねたでしょう。あえてナイフを使わなければならない理由があったとも思えない。それに、彼の身体に刺さったナイフは厚手のパーカーの上から貫通していました。こうなるには地肌に直接刃を突き立てるよりも余分に力が必要だったはずで、そこも無駄にハードルを上げているんです。これらの疑問点を踏まえると、フォックスさんは自分で刺したのではなく、誰かに襲われ、刺されたのだと考えたほうが自然です」  そこまでを聞いて、キーパーが軽く手を上げた。 「あんたの言う点が疑わしいというのはわかる。だが、どちらも決定的とは言えないんじゃないか? それに、事実としてフォックスは密室の中で死んでいたんだろう。それをどう説明するんだ?」  美夜子はキーパーに向けて指を鳴らし、ニカッと笑う。 「キーパーさん! ……良いパスくれるじゃないですか。あなたみたいな人がいると助かるんですよ~」 「いや、そんなつもりでは……」 「そう、あなたの言う通り、フォックスさんが自殺じゃないのなら、犯人がどうやって殺したのか説明する必要があるでしょう。実は……犯人が密室トリックを使ったという証拠があるんです。これが自殺ではないとする根拠の3つ目、これで最後です」  美夜子は三本目の指を立てた。 「現場であるフォックスさんの部屋は密室でした。廊下と繋がるドアは施錠されており、鍵は室内にある机の引き出しの中。隣の倉庫に繋がるドアには鍵は付いていませんが、フォックスさんの死体がストッパーの役割を果たしていた。倉庫に繋がるドアの直上には通気口が設置されていましたが、円柱型のバーが横ジマを作るような形で等間隔に並んでいて、人が通ることはできません。他にも、窓といった人が室外へ出入りできる場所はなし。  犯人がフォックスさんを殺害し、部屋を脱出した上で密室にした……この状況を作り上げるために、一つの方法が浮かびました。これはガニーさんのアイデアでしたね」 「へっ、よく言うぜ。お前だって気づいてたことだろうが。なんなら俺より早くによ」  ガニーは呆れたように肩をすくめた。美夜子は「へへ」と笑ってから、続ける。 「その方法はいたってシンプルです。フォックスさんを殺害した後、彼の両脇の下へロープを通して、その両端を通気口から部屋の外へ出しておく。次に、ドアを開けるのに邪魔にならないギリギリの位置に遺体を置いておき、犯人は倉庫側に脱出する。そして倉庫に置いてあったコンテナボックスを足場に、通気口から出ているロープの両端を引っ張った。そうしてフォックスさんの遺体の背がドアにくっつくように引き寄せた後、ロープを片側から引き抜き回収すれば終わりです」 「なるほど……確かにシンプルだが、聞く限りではそれでいけそうだな」  スパークが感心したように言う。 「しかし、この推理には問題がありました。通気口には、ロープで擦ったような跡は残っていなかったんです。今言ったような方法だとロープの軌道は必ず通気口部分を支点として山なりになるはずです。かなり強い負荷が通気口のバーあるいは枠部分にかかったはずで、何の痕跡も残っていないのは不自然でした。ですが逆に言えば、その不自然さをクリアーする手段があるのなら、今の推理で大部分は解決可能になる。  ――不自然といえばもう一つ。通気口の枠部分には埃が溜まっていたのに、バーの方はつい最近掃除されたばかりのようにつるつるだったんです。その不自然さはなぜ発生したか? あたしは、犯人がそこに何かを仕掛けたからではないか、と考えました。ではいったい何を仕掛けたのか? ――まずはこれを見てください」  美夜子はスマホで撮っておいた写真を見せながら説明する。フォックスの遺体を接写したものだ。 「フォックスさんが着ていたパーカーには、こんな風に点々と油染みの跡が残っていました。染みは両方の肩から脇にかけて、擦ったような形で付着しています。匂いを嗅いでみたところ、この油染みはおそらく潤滑剤のようなものだろうとあたしは推測しました。そして――」  コートのポケットからハンカチを取り出し、それに包んでおいた針金を皆に見せる。Cの字に切断されていて、先端に白い綿繊維が付着していたものだ。 「この針金は、フォックスさんのフードの中に入っていたものです。実は、この針金からもパーカーの油染みと同じ匂いが。手触りもヌルヌルしていて、潤滑剤が吹き付けられていると思われます」 「は、なんだァそりゃ?」  フレイムが首をかしげながら、ハンカチの中に置かれた針金を凝視する。 「そんなちんけなハンガーフックもどきが、殺しと関係あんのかよ?」 「それが大アリなんです。通気口のバーに仕掛けられていたものっていうのが、これなんですからね」 「ほぉ……? どんな風にだ?」 「そうですねぇ……簡潔に言うなら――犯人は通気口に、即席のレールを作ったんです」  その瞬間、フォックスを殺した犯人の眼が動揺を示すのを美夜子は見逃さなかった。更に追い立てる。 「もちろん、このちんけな針金一本だけで作ったわけじゃありません。まず犯人は、柔らかい薄布のようなものを通気口のバーに被せました。被せたのは数本あるバーのうち、上下に隣り合っている二本分です。そうしたのは、次の工程で針金をバーに接触させる際、擦って傷を付けないようにするためだと思われます。多分、使われたのは倉庫にあった医療品のガーゼでしょう。  次に、同じく倉庫から持ち出してきた針金を使って、〝隣り合う上下二本のバーに渡って〟巻き付けていきます。そうすると、針金は二本のバーを包む楕円形を描く形で巻かれることになるのがわかりますか? バーの一本だけでなく、二本まとめて巻くことでこの形状にするのには意味があるのですが、それはまた後で。  ともかく犯人は、そうして針金を一周巻くごとに少しずつ横にずらしていき、ロープの通り道となるレールを作った。ロープ二本分が収まればいいわけですから、5センチほどの幅があれば充分でしょう。犯人がそこまでしたかはわかりませんが、その両端部分は重ねて針金を巻き付けることで厚みを出し、ロープが滑って外へはみ出さないようにすることも可能です。  レールが出来上がったら、仕上げに潤滑剤を吹きかけます。これはもちろんロープの滑りを良くするためですね」 「その針金で作ったレールがあったから、ロープで負荷をかけても通気口のバーそのものには傷が付かなかったということか」  キーパーが納得したように言う。美夜子は頷き、 「その通り。あとはさっき説明したのと同じですね。再び部屋に入りフォックスさんの死体にロープを通し、位置を整えてから倉庫側に出る。そして通気口から出しておいたロープを使ってドアに死体を引き寄せた。  次の手順は死体からロープを引き抜いて回収する……ですが。フォックスさんのパーカーには潤滑剤の油染みがあったという話をしましたよね? レールに吹き付けられていた潤滑剤は、その上を擦ったロープにも付着していたと考えられます。ロープを引き抜く際に、パーカーに擦れてその潤滑剤が油染みを作ったんでしょう。  その次に犯人がやったことは、バーに作ったレールの処分でした。ここに来て、二本のバーに渡って針金を巻いた意味が出てきます。一本のバーだけに針金を巻いたとすると、ペンチや鉄線カッターを差し込む隙間がないので切断することもできず、巻く時の逆回しで外していくしかありません。それでは手間がかかりますよね。そこを予め二本のバーに渡って針金を巻き付けておけば、バー同士の隙間に工具を差し込み、レールをまとめて切断することが可能になる。そうすれば簡単に針金を取り外すことができて大幅な時短になるんです。  ところが、犯人はここでミスをしました。切断した針金を回収する際、その一部を、フォックスさんの部屋の方へ落としてしまったんです。既に死体でドアを塞いでしまった後ですから、犯人はそれを回収できなかった。落下した針金はフォックスさんのフードの中に落ちて……後になってあたしが見つけた、ってわけです」  美夜子はハンカチの上の針金を掲げる。 「こういう楕円形を一部切ったような形になっていたのは、今言ったような切り方をしたからですね。それと先端に付着していた白い綿繊維は、バーから取り外す際にガーゼを引っ掻いて付いたのだと思います。犯人はその後、バーに付着した潤滑剤など仕掛けの痕跡を拭き取ったのでしょうが、それでそこだけ埃が溜まっていない不自然な状態を作ってしまったんです」  美夜子は「さて……」と区切り、 「フォックスさん殺しの密室トリックについてはこんな感じですかね。疑問がある方は? いませんか? いませんね? ――さっきから黙ってるタミアスさん、あなたはどうですか?」 「ッ……!?」  冷ややかな笑みと共に言うと、タミアスが怯んだように息を呑む。前座に時間をかける必要もない、一気に決めてしまおう。 「フォックスさんが自殺ではないとすると、彼を殺すことが可能だった人物は限られます。フォックスさんの生存が確認されているのは、監禁部屋で彼が気分を悪くして退出していった時が最後。その後の時間、アリバイのない人物が犯人候補です。  あたしはガニーさんとずっと一緒に調査をしていたので、まずガニーさんは除外されますね。次に監禁部屋の見張りを二人で行っていたキーパーさんとフレイムさんも除外。ついでに、一緒に監禁部屋で捕まっていた彼にも当然、犯行はムリ」  美夜子はグッドラックに目を向けながら言った。次に、スパークを見据える。 「スパークさんはどうでしょう? ブリッジさんの死を伝えるため、マンティスさんへ知らせに行ったタイミング……あの時に、フォックスさんを殺したんでしょうか?」  スパークが「え……?」と声を漏らし、緊張した表情になる。美夜子はかぶりを振って、続けた。 「外にいた仲間の報告によれば、スパークさんが監禁部屋を離れてから外に出てくるまでにかかった時間は5分ちょっと、少し時間がかかりすぎていたようでした。本人から話を訊いたところ、外へ出ていく前に一度自室に寄って、軽く食事をしたということです。果たしてそれは本当でしょうか? 正直それはわかりません。ですが、それはどうでもいい。どちらにせよ5分から10分程度の時間では先ほど説明したようなフォックスさん殺しの密室トリックは不可能です。  ではその後は? マンティスさんと外の見張りを交代した後……こちらも、犯行は不可能でした。同じくあたしの仲間たちからの報告で、見張り中のスパークさんが3分以上姿を消すタイミングはなかったと。あの報告を受けたのはあたしが一階北廊下を調査中のことで、既にフォックスさんは死亡していた時間です。あたしの仲間たちが監視している場所の都合上、死角になるポイントはあるので短い時間姿が見えなくなることはあったようですが、屋内に入って密室トリックを弄するほどの時間はなかったと判断できます。よって、スパークさんも犯人ではありません」  スパークはホッとしたように息を吐く。 「ここまでに残った犯人候補は誰でしょう? そう――マンティスさんと、タミアスさん。マンティスさんはスパークさんと見張りを交代し、監禁部屋にやってきてあたしと話をした後は、自室に戻っていました。一方タミアスさんも、監禁部屋で話をした後はすぐ自室に戻っていましたね。二人とも、あたしがフォックスさんの死体を見つけるまでの間の動向はわかりませんし、充分な時間があったはず。フォックスさんを殺せるチャンスがあったのは、この二人だけです」  マンティスとタミアスは互いに顔を見合わせる。どちらにも焦燥の色が見て取れた。 「それで?」  キーパーが焦れたように言う。 「そのうちどちらが犯人なのか。それもわかっているのか?」  美夜子はゆっくり頷いた。答えはイエス。 「決定打になったのは、フォックスさんのスマホに遺されていた遺書です。自殺ではなく殺人である以上、あの遺書ももちろん犯人の偽装工作だった。その中に、犯人を特定する大きな手がかりがある。あの浅はかな偽装工作で、犯人は見事に墓穴を掘ったんですよ」  美夜子は挑戦的な目つきで言う。 「おそらく、犯人は今もなおその致命的ミスに気づきもしていないでしょう。――ですよね、マンティスさん?」  今日も良いお天気ですね、とでも言うような軽い調子で同意を求める美夜子。声の調子とは裏腹に、眼には獲物を仕留める機会を窺う狩人の気迫を漂わせる。 「遺書……だぁ……? それが……何だってんだよ……マジでさ……?」  マンティスは明らかに動揺していた。手は震え、表情は引き攣っている。アンバークラウンの皆もどうしたことかとマンティスを見ていた。何ならもう説明せずとも彼は犯人として扱われ、仲間たちから罰を受けることになるのかもしれない。  だが、そんなことにさせるつもりはない。なぜなら、彼を完膚なきまでに叩きのめして情報を引き出さなければ、こちらが望む次の一手は打てないからだ。  だから、悪いが――さっさとトドメを刺させてもらう。 「遺書の一文――『あの帽子の男の仕業に見せかけるつもりでした』という部分がありましたよね。帽子の男、というのはもちろん彼のことでしょう」  美夜子はグッドラックに手を向け言う。 「あの一文、タミアスさんが書いたはずはないんです」 「は……はぁっ!? なんでだよ!?」  動揺を誤魔化そうとするかのように激昂するマンティス。美夜子はあくまで冷静に切り返す。 「単純な話です。タミアスさんは、〝彼が帽子を被っていたという事実を知らない〟。だからそんな文章は書かないし、書けないんです。  ブリッジさんの事件が起こる前、一階で彼がガニーさんの悪質極まりない嫌がらせを受けるトラブルがありました。その結果、彼はフレイムさんによって腕を撃たれた上に頭を殴られ昏倒してしまったわけですが……その時、被っていたキャップ帽を床に落としてしまい、以後、調査中にあたしが拾うまでそのままでした。タミアスさんは事件発覚まで二階にいて、彼を初めて見たのは監禁部屋でブリッジさんの死体を発見した時。帽子を被っているところは見ていないんです。リビングに落ちていた帽子を見かけた可能性はありますけど、それだけで彼の持ち物だとわかったとは思えません。そもそもタミアスさんなら『帽子の男』などと書かずに名前を直接書けば良い。フォックスさんもそうですが、ブリッジさんの死の検証時に彼の名前は何度も聞いているんですからね。  一方、マンティスさんの方はどうでしょう? あたしたちが最初にここへ入ってきてガニーさんたちへ挨拶していた時、あなたはトイレに行っていて少し遅れてやってきましたよね。その後、あなたは外の見張りへ出て、さっき言ったトラブルはその間の出来事。それからブリッジさんの事件が起こって、あなたはそこでも遅れて到着する立場だった。あたしの記憶では……あなたがいた場では、それまで一度も彼の名前を知る機会がなかった。だから遺書にも『帽子の男』と書くことになったんじゃないですか? もっとも、他にも書きようはあったと思いますが……『金髪の男』と書く選択肢だけはなかったでしょうね。だってあなたも金髪なんですから。文脈で誰を指しているかわかるとはいえ、そう書くには抵抗があったはずです」 「……あんたが見ていないところで奴の名前を知った可能性もあるだろ?」 「そうですね。例えば見張りの交代時、スパークさんから事情を聞いているわけですから、知っていた可能性もありますね。じゃあマンティスさん、答えてください。彼の名前はなんですか?」 「…………」 「残念、時間切れです。正解は『グッドラック』。覚えといてあげてくださいね?」  マンティスは舌打ちして美夜子を睨みつける。 「お……俺が殺ったって証拠があるわけじゃねぇだろ? 遺書のことだって、タミアスが実は全部知っていて自分への疑いを逸らすためにそう書いたとも考えられるんじゃねぇか!? なぁ!?」 「うーん……じゃあ他の皆さんにも聞きますけど、タミアスさんにグッドラック君の帽子のことを教えた人がいますか?」  誰も名乗り出ない。 「マンティスさん、もう諦めてください。実は決定的な証拠ももう掴んでいるんです」 「な、何を……?」 「犯人は密室を作る際に使った針金やロープをどうやって処分したんでしょう? 外へ捨てに行ったということはありません。もしそうしていたら監視していたあたしの仲間が気づいていたはずです。つまり、犯人はそれらの証拠を屋内に隠している。では最も安全だと考えるのはどこか?」  美夜子はガニーへ目配せをする。ガニーは頷き、持っていた麻袋を開いた。その中から、数メートル分のワイヤーロープと、使い古したガーゼ、そして針金――『C』の字形に切られたものも沢山ある――を床に放り投げていく。それを見てマンティスは「ヒュッ……」と息を呑み、顔を青ざめさせた。 「すみません。あなたの部屋で見つけました」  美夜子は苦笑いを浮かべて言う。 「いつの間に……」 「ここへ来る前。あなたが部屋を出ていったのを見てから、あたしたちでドアの鍵を壊して入りました」 「はは……そんなんアリかよ……」  マンティスは床に座り込み、力なく項垂れた。もう抗弁する気力は失せたらしい。 「どうしてフォックスさんを殺したのか、説明してもらえますか?」 「…………」  マンティスは目を逸らし、答えようとしない。そこまで明らかにさせる気はないということか。 「おいてめぇ――」  ガニーがマンティスへ掴みかかろうとするのを、美夜子は手と目線で制止した。ガニーはため息をつきながらも引き下がる。 「いいですよ、わかりました。どうせならもっと良いタイミングまで黙っていてください。きっと自分の方から話したくなるはずです」  マンティスは美夜子の言葉の意味が理解できなかったようだが、それを無視して美夜子は続ける。 「では、もう一つの大きな謎――ブリッジさんの事件について話しましょう。フォックスさんの死の謎もその過程で明らかになるでしょうから」  キーパーが口を開く。 「まさかと思うが、そちらも――ブリッジも、マンティスが殺したと言うつもりか?」  その言葉にフレイムが反応した。 「いやいや、あり得ねぇだろ? マンティスはその時間、外の見張りをしていたよなァ? それは外にいるっていうこのお嬢ちゃんの仲間だって見ていたはずだろ? それに何より、他の連中と同じく南京錠を開けられねぇじゃねぇか。部屋に入ることすらできなかったんだよ」 「うむ……だとすると、やっぱり疑わしいのはその男一人ということになるか」  一同の視線がグッドラックに集まり、彼は焦ったような表情になる。 「まぁまぁ、そう先走らずに」  美夜子はパンと手を打って話を再開する。 「ブリッジさんの死体が発見された時の状況から、グッドラック君が犯人として疑われ拘束を受けてしまったわけですけど……そもそも彼に本当に犯行が可能だったのかという点から検証してみましょうか」  美夜子はブリッジの遺体が腰かけている椅子の後ろへ回りながら話す。 「あたしたちがブリッジさんが殺されていることに気づいた時、現場であるここ――監禁部屋の唯一の出入り口であるドアには鎖が巻かれ、更にそれを固定する南京錠が付けられていました。南京錠の鍵は一階にいたガニーさんが持っており、誰かが盗むチャンスはなかった。南京錠はロックする際にも鍵がいる特別な代物であることから、フレイムさんが鍵を掛けてからガニーさんが解錠するまでの間、南京錠は鎖に付けられたまま動かされていないと考えられます。また、あたしが確認した限りでは鎖の方にも不審な点はありませんでした。  それだけでも充分に堅固な密室と言えますが、それに加えて、グッドラック君がブリッジさんをナイフで刺すところを見たというフォックスさんの証言まである。普通に考えれば部屋の唯一の出入り口であるドアが厳重に閉じられていた以上、同じ室内にいたグッドラック君にしか犯行は不可能。ですが、それは真犯人によって誘導された間違った結論です。  まずはフォックスさんの目撃証言について。実は、あれは嘘だったということが既にわかっています。彼は一時的に見張り部屋を離れてしまい、その間にブリッジさんが殺された。そのミスを隠すために嘘の目撃証言をでっち上げたんです。――そうですよね、タミアスさん?」  タミアスは気まずそうにしながらも頷く。 「あ、ああ。あいつは、フォックスは確かに見張り部屋を離れていた。俺は酔い覚ましのために廊下に座ってたから見てたんだ」  それからタミアスは、フォックスの部屋の前で美夜子たちに聞かせたのと同じ話をしていく。いつもより大きなタイマーのアラーム音が休憩室から聞こえてきたこと。フォックスがそれを止めに行ったこと。その後休憩室から見張り部屋へ戻ったフォックスが、ブリッジの死に気づき急いでガニーへ知らせに行ったこと。そして事件発覚後、口裏を合わせてずっと見張り部屋にいたことにしてくれとフォックスに頼まれたこと……。 「ひひ……フォックスの野郎、よくやるぜ」  フレイムが面白がるように言った。 「タミアス、てめぇもよくそんな大事なこと隠してやがったなァ?」 「だ、だから正直に言ってるだろ!? 反省したんだよ、俺は!」  ……まぁ、その反省をさせるまでに結構な手間をかけさせられたのだが。美夜子は咳払いをして続ける。 「タミアスさんが誠実な証人であることに感謝しつつ、話を進めましょう。これでフォックスさんの目撃証言が真っ赤な嘘であると判明しました。彼もまた、現場の状況からグッドラック君しか犯人はあり得ないと考えたからこそああいう証言をしたそうです。ですが、それは誤りで、あたしはグッドラック君にはブリッジさんを殺すことはできなかったと考えています」 「殺すことは……できなかった?」  スパークが疑問の表情を浮かべる。 「流石にそれは無理があるんじゃないか? 実際にやったかどうかはこの際置いておくとしてもだ。同じ部屋にいた彼は、部屋に落ちていたナイフに隠し持っていた毒薬を塗って、ブリッジを刺すことができた。それは覆らないだろう?」 「いいえ。否定できます」  美夜子ははっきりと言いきった。 「さっきの説明の中に出てきたリビングで起きたトラブル。その際、床に落ちたのはグッドラック君のキャップ帽だけじゃないんです。まず、フレイムさんによって腕を撃たれた彼は派手にテーブルに倒れ込みました。その拍子にテーブルに置いてあったトマトが幾つか転がり落ちてしまったんです。それから彼は一度立ち上がって、ガニーさんを殴りつけようとした――が、逆にフレイムさんに殴られて気絶。それから監禁部屋に連れて行かれる――という流れでしたね。  後であたしがリビングを調べた時、床に落ちたトマトが踏み潰されていたんです。かなり強く踏みつけたのか、それはもうぐっちゃぐちゃでしたね。ガニーさんの話によれば、踏んだのはグッドラック君だそうです。――ね?」  同意を求められ、ガニーは渋々「ああ」と頷く。 「重要なのは、気絶したグッドラック君をフレイムさんは〝抱えて〟運んだことです。ということはですよ? トマトを踏みつけたのが彼であり、そして本当にブリッジさんが殺された間もずっと気絶したままだったのなら――」  美夜子は部屋の端へ歩いていき、グッドラックの足首を両手に掴むと、それを引っ張り上げた。グッドラックは「うおっ!?」と驚いた声を出す。 「――その靴底には、今もなお哀れなトマトの残骸が残っているってことです」  グッドラックの靴底を皆に向けて掲げるようにする。右の靴底――そこにはトマトの種などを含んだゼリー質がべったりと付着していた。   「遺体周囲の床を調べてみましたが、トマトが付着したような痕跡は見当たりませんでした。靴底のトマトの残り具合から見ても、この状態になってから彼は歩いていない。ブリッジさんに近づくことすらしなかったんです」  スパークはグッドラックの靴底と床を見比べながら、 「なるほど……だが例えば、靴を脱いでから刺したとか――」  美夜子はグッドラックの足首を離し、向き直る。 「そうですね。靴を脱いでから刺しに行った。あるいは膝立ちや匍匐前進で近づいた。無理矢理にでも彼を犯人として扱うならそんなところでしょう。でも所詮は無茶なこじつけですよ。誰かがこの靴底のトマトに気がつくことを見越して、そんなことをやるでしょうか? 最初の方にも似たようなことを言った覚えがありますけど、そんな小手先の偽装工作を施すくらいなら、そもそもこんな状況でブリッジさんを殺しません。それ自体が大きな矛盾だと思いませんか?」 「……まぁ、それもそうか」 「とはいえ、別の誰かに犯行が可能だったことを証明しない限り納得しきれないというのも理解できます。ですから、そっちの話に移りましょう」  ここからが本番だ。 「この事件の犯人は、巧妙な手口でとある罠を仕掛けていました。事件の難解さの大半はここに起因していると言っても良い。しかしそこさえ取り払ってしまえば、意外とシンプルなトリックで説明が付くんです。  少し長くなりますが順を追って説明しましょう。犯人は事前に――おそらくブリッジさんを誘拐する前夜あたりに、この部屋で準備をしました。その時は部屋の見張りもなく、誰でも立ち入れる状況だったということはガニーさんに確認済みです。皆さんの認識でも、それは間違いありませんか?」 「ああ、確かに誰でも入れただろう。基本的に用がないときは誰も近寄らない部屋だからな」  キーパーが頷く。 「で、犯人が行った準備というのは?」 「大きく分けて二つです。一つは、ここにある机。その天板の下の面に、ガムテープを貼り付けた。こんな風にね」  美夜子は机を傾け、ガムテープの貼られた面を見せた。天板裏の中央あたりに貼られた、長さ10センチ程度のガムテープだ。 「フレイムさんたちは見ていたと思いますが、これは現場を調査した際にあたしが見つけたもので、調べるために一度剥がしてありますが、また同じように貼り直しました。よく見てほしいんですけど、ここ、真ん中のところだけくっついていないのがわかりますか?」  ガムテープは中心部分だけ接着しておらず、天板裏との間に高さ3センチほどの隙間を作っている。 「実はここにはラミネートフィルムのようなものが貼り付けられていて、あえて完全にはくっつかないようにしてあるんです。これだけでは意味がわからないと思うので、次へいきましょう」  美夜子はブリッジの遺体が座る椅子の後ろへ回り込む。 「皆さん、見える位置にどうぞ」  各々が椅子に近寄る。マンティスだけは不貞腐れたようにその場に座り込んでいたが。  美夜子はその場に屈んで、椅子の座面後ろ側を指差す。 「ここ、左右の背もたれ付け根のところ。座面の後ろ端に細い糸を縦に引っ掛けて擦ったような跡がありますよね?」 「強く引っ張ったように見えるな」  キーパーが顎を撫でつつ言う。 「その通り。犯人は糸を強く引っ張った。何のためにかは、もうわかりますね? これらは密室の外にいながらブリッジさんにナイフを刺すための仕掛けなんです」  美夜子は机の上に置かれていたナイフを手に取り、刃が椅子の方向を向くようにして、その柄をガムテープの隙間に差し込んだ。 「このガムテープは、こんな風に机の下にナイフをセットしておくためのものでした。犯人はある程度の長さの糸を用意しておき、その真ん中あたりで輪を作ります。ここに仕掛けたナイフの柄に糸の輪を引っ掛けておき、糸を引っ張ったら連動してナイフが飛び出してくるようにしたんです。ガムテープの隙間部分にフィルムを貼って接着面を塞いでいたのは、スムーズにナイフを飛ばせるようにですね。  糸の両端はそれぞれ椅子の背もたれの左右の隙間を経由して下へ……そしてブリッジさんの両足の間にある床の穴に通します」  マンティスが発砲して開けてしまったという、あの穴だ。 「ここまでの準備をした後は、下の倉庫へ移動します。そして倉庫天井にある点検口からここの床下に侵入し、穴から出しておいた糸を引っ張る。椅子を経由したことで糸の動く方向は固定されていますから、ナイフは椅子に座っている人の腹部に突き刺さる形で飛び出します」  美夜子はその動きを再現するように、ナイフを持って机の下からブリッジの遺体までを動かしてみせた。それからナイフを再び机の上に置いて言う。 「おそらく、犯人はこれを誘拐の前夜までに練習しておいたと考えられます。だから椅子に糸で擦った跡が残っていたんでしょう」 「ちょ、ちょっと待ってくれ。だとすると…………」  スパークが何か深刻なことに気づいたように言う。口元を片手で覆い、思考を整理しながらといった様子で続ける。 「だとすると……マンティスには犯行が可能だったはずだ」 「……は?」  ブリッジ殺しの段に入ってからは話を聞いているだけだったマンティスが、そこで初めてリアクションを示す。戸惑いの表情だった。彼はふらふらと立ち上がって言う。 「な、なんで俺なんだよ?」  スパークは疑いの視線をマンティスへ向ける。 「いいか? その方法でブリッジを殺すには二つの条件がある。犯行の前に監禁部屋に入り準備をする機会があったこと、そして殺しを実行するタイミングで倉庫に入れたこと、この二つだ。  一つ目に関しては、南京錠の鍵を預かっていた者……つまり見張り部屋の担当になった奴ならクリアできる。フォックスの前がタミアスで、更にその前の担当はマンティスだったよな。その時にナイフと糸の準備をしておくことが可能だったはずだ。ナイフは机の下に隠れているわけだし、糸も細く見えづらいものを使っていたとしたら、見張りを引き継いだタミアスとフォックスが気づかなかったとしてもおかしくはない。  そして二つ目。お前、外の見張り中に電話してきて、裏口を開けるように俺に頼んできただろ。俺は言われた通りにドアを開けた……。あの時お前はトイレに行きたくなったからとか言っていたが、本当は倉庫に入るのが目的だったんじゃないのか? 殺しが発覚した時刻ともタイミングはほぼ一致するしな」 「な……ちょっ……おかしいだろ!? なんでそんな……っ」  マンティスは狼狽して周りを見るが、彼を擁護しようとする者はいなかった。それどころか美夜子はスパークの説に補足するように言う。 「グッドラック君が監禁部屋に連れてこられることになったトラブル……あれを外の見張り中だったマンティスさんがコントロールできたとは思えませんし、おそらく本来は鍵を持っているはずのフォックスさんに罪を被せる予定だったのでしょう。毒薬の瓶を残しておいたのも、部屋に入ることができた者が犯人だとわかりやすく説明するためだった。  それに、さっき話した休憩室のタイマーについてですが、あれはブリッジさんを殺す瞬間をフォックスさんに目撃されないようにするため犯人が仕掛けた陽動だったと考えられます。マンティスさんにはそれも可能でしたよね?  裏口横の室外機を足場に雨樋を伝って二階の窓まで登る……外の見張り中でもその方法であれば休憩室に入り込むことができた」 「それは……タイマーを隠しておくくらい、俺以外にもできたやつはいるだろ!?」 「タイマーを隠しておく、と言いましたね? 確かにあなたの言う通り、犯人はタイマーを休憩室のキャビネットの下という見えづらい位置に隠していたことがわかっています。でもそれはあたしが調査中に見つけた手がかりなんですよ。なぜあなたが、タイマーが隠されていたことを知っているんですか? タミアスさんの説明ではそんな話はなかったはずですけど」 「あっ……」  マンティスは「しまった」と声には出さなかったが、ほぼ言っているようなものだった。 「あなたは外の見張り中、休憩室に忍び込んだ。室外機や二階の庇に靴の跡があったので実際にそうした人物がいたことはわかっています。あたしたちが調べた時、休憩室の窓の鍵は掛かっていましたが、それはあなたが見張りをスパークさんと交代して戻った時にでも掛け直したんでしょう」  美夜子は畳み掛けるようにマンティスを追い詰める。 「マンティスさん以外の人でも可能性を検討してみましょうか。まずガニーさんとキーパーさんはあたしと一緒にリビングにいたので犯行のタイミングで倉庫に行けませんでした。  次、スパークさんは犯行の時間トイレに行っていたので倉庫に入ることはできたはずですが、仕掛けの準備をするために監禁部屋に入るチャンスがありませんでした。  そしてフレイムさんとタミアスさん、そしてフォックスさんの三人。この三人は監禁部屋に入ることができた。ですが犯行前に二階にいたことがはっきりわかっているので、倉庫までどうやって移動したかが問題です。一階の廊下は床が腐っている関係で立入禁止にされている区間がありますよね。そのため北側の廊下に繋がる部分が防火扉によって塞がれています。あの防火扉を開けるとかなりの音が響くので、リビングにいたあたしたちが必ず気づく。調べてみましたが防火扉が開けられた形跡もありませんでした。となると倉庫へ行くには必ずリビングを通らなければなりませんが、この三人が通っていないことはリビングにいた全員が保証できるでしょう。  ただし、例外的なルートが一つあります。一度外に出てから裏口を経由して一階北廊下に入るという方法です。この三人は二階の休憩室の窓から外に降りることはできたでしょう。しかし裏口のドアはセンサー付きの厳重なオートロックになっており、一本限りの鍵はガニーさんが持っていた。屋内側から誰かがドアを開けてくれない限り、外にいた人が裏口から入ることはできないんです。だからやっぱり三人には不可能ということになる。  さて――結局、残るのはマンティスさん一人になりますね?」 「ま……待ってくれよ。俺は……違うんだって……」  マンティスは否定こそすれどそれ以上の言葉が続かない。事態に全く対応できず頭が真っ白になっているという様子だ。 「はぁ……」  美夜子は呆れたようにため息をつくと、頭を掻きながらマンティスへ向かって言う。 「えーと、マンティスさん。そろそろ本当のことを言ったほうがいいんじゃないですか? でないと――犯人にされちゃいますよ?」  美夜子の言葉に、事情を知らない者たちが困惑の表情を浮かべる。 「犯人にされる? どういうことだ? マンティスがブリッジを殺したんじゃ……」  スパークが言うと、美夜子はかぶりを振った。 「いいえ。マンティスさんはフォックスさんを殺した犯人ではありますが、ブリッジさんを殺した犯人はまた別にいます」 「そう……なのか? だが探偵さん。あんたが説明した方法だと――」 「――犯人はマンティスさんしかあり得ない。確かにそうかもしれません」  美夜子はそこで得意げな顔をして言う。 「でもあたしは、〝誘拐前夜までに犯人がそのトリックを練習したはずだ〟と言っただけで、本番でも同じトリックを使ったとは言ってませんよ?」 「は……?」 「もっとも、練習という言い方は不適切だったかもしれませんね。トリックの成功率を上げるためというよりは……また別のところに犯人の狙いがあった可能性があります。つまり、ナイフを仕込んでおけそうなガムテープを机の下に貼り付けておいたり、糸の痕跡を椅子に残しておいたりすることで、偽の手がかりを残すこと。そうしてあたしたちが誤った推理に誘導されることを期待していたのだと思います」  フレイムが肩を揺らして笑う。 「ひひ……面白くなってきたじゃねぇか。だけどよ、マンティスが本当に二人を殺した犯人だという可能性だって否定できねぇんじゃねぇかァ?」 「いいえ。そもそもの話……実は先ほど説明した糸を使ったトリックには大きな欠陥があるんです。あの方法でブリッジさんが殺されたということは、絶対にあり得ない。よってマンティスさんがブリッジさんを殺したということもあり得ないわけです」 「おうおう、いいねぇ、そうこなくちゃ。で、欠陥ってのは?」 「ガムテープは机の下を覗き込まない限り見つからない位置にありました。あれは誘拐前夜あたりに仕掛けておいてそのままだったとしても問題はないでしょう。一方で、糸はそうはいかない。ブリッジさんを椅子に拘束した時、マンティスさんだけでなくガニーさんとキーパーさんが同じ場所にいました。先に糸を仕掛けていたらこの二人に気づかれてしまう。だから二人が立ち去った後で仕掛けたと考えられそうですが、そこにも問題があります。  仕掛けの構造上、糸は両端を椅子の背もたれにある左右の隙間に通す必要があります。ですが、このブリッジさんの身体を見てください。体格が大きめのブリッジさんでは、座ると椅子の座面を殆ど埋めてしまいます。だからこの状態で糸を仕掛けようとすると、どうしてもブリッジさんの身体に接触してしまう。その違和感を次の見張り担当者に伝えられたらそこで計画は破綻してしまいます。  それに、タミアスさんはフォックスさんへ見張りを引き継ぐ少し前、ブリッジさんの……その、トイレのお世話をしたそうです。ペットボトルを使って処理をしたそうですが、その時点で糸が仕掛けられていたとするとこれも気づかなければおかしい」  タミアスがこくこくと頷く。 「た、確かに糸なんてなかったと思う……」 「糸がブリッジさんの身体に接触せざるを得ない以上、このトリックが実行された場合、糸が擦れて身体に傷跡を作ったと考えられますが、ブリッジさんの身体にはそれも見当たらない。以上の理由で、このトリックではダメなんです。実際発生している状況に対して説明がつかない」 「なるほど……言われてみれば、その通りだな。俺の思い違いだったようだ。先走ってしまって、すまない」  謝るスパークにガニーが笑って言う。 「まあなんだ、お前もなかなか良い着眼点だったとは思うぜ? ちょっと足りなかったってだけでよ」 「ガニーさんもまったく同じ答えに辿り着いていましたもんね――いでっ」  美夜子の背中をガニーがはたく。 「るせぇ。言わなくていいんだよ、んなことは」  美夜子は叩かれた背中を擦りながら、マンティスに向かって言う。 「あなたはブリッジさんを殺した犯人じゃない。真犯人によって利用され、疑わしい行動を取らされただけ。おそらくですけど……フォックスさんの殺害に関しても、そう誘導された部分があるんじゃありませんか? そうでしょう?」 「…………」 「……あたしたち、さっきあなたの部屋に行ってきたと言いましたよね。そこで見つけたものが、針金やロープだけだと思いましたか?」  ガニーに目配せをすると、彼は麻袋の中からそれを取り出した。アイリーン・ヘンリクスの刻印が施された腕時計である。マンティスは「あ……」と絶望の表情を浮かべる。 「あのー、そろそろ本当のことを話してもらわないと、もっと素敵な方法をガニーさんに試してもらわないといけなくなっちゃいますよ?」  マンティスがハッとして視線を向けた先には、冷めた表情で見下ろしてくるガニーがいた。 「わ……わかった! 全部話す! 話すから殺さないで!」  マンティスはとうとう観念して、自分がやったことについて自供を始めた。 「……どうしても金が必要だった。借金の返済日が近くて……昔一緒に仕事をした仲間が金を貸してくれる予定だったんだよ。それが一昨日の夜になって突然断られて……なんとかして他に金を調達する方法を考えなきゃならなかった。でも額が額だからそんな簡単には思いつかなくて、困っていたら……そこにBlockadeで連絡がきてさ。『Mr.B』っていう、知らないアカウントからだった」  Mr.B……この事件の黒幕と思われる人物だ。 「Mr.Bなんて変な名前を名乗っちゃいるが、メッセージの内容からして俺たちの中にいる誰かだってことはわかった。奴は俺が金に困っていることを知っていて、指示通りに動いたらアイリーン・ヘンリクスの腕時計をくれてやると言ってきた。プラマーが持ち去ったことになっていた、あの超高級腕時計だよ。  正直怪しいとは思ったさ。プラマーが盗んだはずの腕時計をなんでそいつが持ってるのかとか、何のために俺に渡そうとするのかとか、理由がわからなかったからね……。  でも腕時計の写真が送られてきて、そいつが本当に持っているってことはわかった。腕時計もそうだけど一緒に映っていた入れ物の箱のデザインが実際に盗まれたものと同じだったから。それに、俺が断ったら腕時計は別の相手に渡すって言うし……まぁ、その指示ってのも何の意味があるかはよくわかんなかったけど、大した内容じゃなかったから従ってみてもいいかって……」 「はぁ~? 無警戒すぎるだろ。金に困ってると、こうもバカになんのかね……」  ガニーが頭を抱えてため息をつく。マンティスは居心地悪そうに目線を逸らすだけだった。  美夜子は次の質問をする。 「具体的にはどういう指示だったんですか?」 「俺が外の見張りに出てしばらくしたら、合図のメッセージを送るから待っとけって。合図が来たらそれから10分以内に二つのことを順にやってほしいと頼まれた。一つは倉庫に隠されている鍵を探すこと。ここで言う鍵っていうのは腕時計が入っている箱を開けるやつね。それからもう一つが、休憩室に忍び込めってやつ。外から休憩室に入る方法も書いてあって、それはさっきあんたが説明した通りだよ」 「腕時計がどこに置いてあるかは教えてもらえなかったんですか?」 「最初はね。二つ目の『休憩室に忍び込む』を達成した後で教えてもらうことになってたんだ」 「……なるほど」  美夜子は手を向けて続きを促す。 「倉庫の方は何の問題もなかった。鍵の場所は予め教えられていて、指定された棚の裏にテープで貼り付けてあったから。すぐに見つかったよ」 「裏口のドアをスパークさんに頼んで開けてもらったのも、指示に含まれていましたか?」 「そうだよ。ああでも……先に出されていた指示ではMr.Bがドアを開けてくれることになってたんだよね。それが実行直前……合図が来るのと一緒に変更があって。なぜか、俺から電話でスパークに頼んで開けてもらうことになってた」 「おそらく……始めからあなたの元にMr.Bとして姿を現す気はなかったのだろうと思いますが」 「……そうだと思う。始めから俺を騙すつもりだったんだ」  マンティスは苦み走ったような顔をする。 「――鍵が手に入ったら、次は休憩室だ。俺は身軽な方だから窓まで登るのは難しくなかった。窓の鍵は開いてたよ。誰もいないことを確認してから部屋に忍び込み、俺はMr.Bへ無事に入れたことを報告するメッセージを打った。  それから少しして、Mr.Bから返事があった。そこでやっと俺は額縁の裏に腕時計を入れた箱が隠されているって教えてもらった。でも額縁を外して、あとは鍵を開けるだけってところでトラブルが……」 「タイマーが鳴り出したんですね?」  マンティスはこっくりと頷いた。 「そう……あれには参った。心臓が飛び出るかと思ったよ。最初はあのバカでかい音の正体が何かもわからなかったし。ただでさえ既に休憩室に入って数分経っていたから、もう誰が入ってきてもおかしくなかった。俺は急いで箱の鍵を開けて、腕時計を持って逃げようとした。でも……あいつに見つかっちまったんだよ。フォックスの野郎にさ」 「フォックスさんに見つかって、あなたはどうしたんですか?」 「口止めしておかねぇとマズいと思った。俺が腕時計を持ってるところも見られたからさ。もし他の仲間に話されたら、それはなんだって話になるだろ? そうなりゃ当然調べられて、腕時計がアイリーン・ヘンリクスだってこともバレる。  とにかく、やかましいアラームを切らないと話なんかできないし、他に人が寄ってくるかもしれない。フォックスと二人でタイマーを探して、急いでアラームを切ったよ。それから、『俺がここにいたことは絶対誰にも喋るな』ってフォックスには強く言っておいた。後で小遣いやるからってのも添えてね。その後は窓からまた外に出て、見張りを再開したよ。  ブリッジが殺されたって知ったのは、それからしばらくしてスパークが知らせに来た時だった。これは本当だよ」  今のところ、彼は自分の身に起こったことを正直に話しているようだ。嘘をついたり誤魔化そうとしたりという気配はない。 「あなたは腕時計を入れたウェストポーチを一旦自分の部屋に置いてから、監禁部屋にやってきた。間違いありませんか?」 「ああ。その途中で休憩室に入って、窓の鍵も掛け直しておいた。フォックスに頼んどけばよかったんだけど、慌てていて忘れてたから。  監禁部屋であんたと話した後、部屋に戻ったら……Mr.Bからメッセージが届いた。内容は、フォックスを殺せという指示だった」  やっぱりそうだったか……。 「フォックスは俺が腕時計を持ち出すところを見ていたってことを、奴はなぜか知っていた。見張り部屋を離れたっていう後ろめたさがあるから今は黙っちゃいるが、ガニーあたりに強く詰問されたら吐くのは時間の問題だって言われた。  奴の言うことはもっともだと思った。気弱なフォックスがあんなおおごとに絡んでしまっている以上、俺がした口止めにどれほどの効力があるか……。もし俺がアイリーン・ヘンリクスを持ってるってことがバレたら、そもそも持ち逃げしたのはプラマーじゃなくて俺だってことになるかもしれない。そしたらガニーは俺を殺すに決まってる。  それに、奴はフォックスが自殺したように見せかけるための計画まで用意していたんだ。あんたが説明した、ロープと針金を使ったトリックのことだよ」 「Mr.Bなる人物が、ブリッジさんの殺害に関わっている可能性は考えなかったんですか? そのためにあなたが利用されたということは?」 「考えたさ、考えたし……絶対、何かあるとは思ったけど! それに気づいた時には、もう俺は引き返せないところに来ちまってたんだ! 奴の目的なんて考えたところで意味ねぇ……。まずは自分の保身だろ? でも正直に話したところで信じてもらえるはずがない。万が一、信じてもらえたとしても、俺が抜け駆けして腕時計を手に入れようとしたことをガニーは不快に思うだろうよ。その時の気分次第じゃ殺される。忠誠心もない上に騙されるような馬鹿はいらねぇってよ。どのみち腕時計が取り上げられちゃ借金も返せねぇし、詰んでるだろ!?  だから俺が助かるためには、あいつを――フォックスを殺してでも口封じしないといけなかったんだよ……!」  ここでも犯人は、メンバーが抱えるガニーへの恐怖心を利用したというわけだ。それを考慮してもマンティスのそれは身勝手極まりない犯行で、同情の余地もないが……。 「トリックは用意されていたと言っていましたが、遺書の内容も指定されていたんですか?」 「いや……内容までは指定されていなかったから、あれは俺が即興で考えた」  マンティスはブリッジが殺された状況について充分な説明を受けていない。遺書の杜撰さはそこに起因しているのだろう。 「フォックスさんを殺し、密室を作り上げた後はどうしたんですか?」 「仕掛けの痕跡をできる限り消してから、部屋に戻ったよ。それから先はガニーから呼び出しがかかるまで、じっとしていた。Mr.Bからの連絡もきてない」 「そうですか……」  彼が嘘を言っている気配はなかったが……。美夜子は手を差し出して言う。 「スマホを見せてもらえますか? あなたとMr.Bが行ったやり取りを確認したいんですけど」  マンティスは悔しそうに舌打ちをすると、首を横に振った。 「無駄だよ……。あいつとのやり取りは、お互い30分で消えるように設定してあったんだ。もう一つも残ってない……」  「Blockade」の時間設定付きメッセージ機能か。犯人はこうなることも想定していたのだろう。これではマンティスが自供したことの裏付けは取れない。しかし…… 「……わかりました。あなたの言う事を信じます。もちろん根拠もなしに言っているのではありません。あなたの証言が、あたしの推理した内容と概ね一致していたからです」  美夜子は軽く手を打ち合わせて言う。 「Mr.Bを名乗る人物がこの事件の真犯人だとして、彼がマンティスさんを操った方法について補足をしておきましょうか。  Mr.Bが、倉庫からブリッジさんを殺害したと誤認させるような痕跡を残しておいたことはさっき説明した通りです。その人物は、マンティスさんが二つの事件に共通した犯人であると見せかけたかった。そのために腕時計の入った箱を開けるための鍵を倉庫に隠し、マンティスさんに取りに行かせたんです。スパークさんに裏口のドアを開けさせたのは、それが証言されることを期待してのことでしょう。  また、休憩室でタイマーが鳴り出したトラブル。あれも真犯人であるMr.Bによって仕組まれたものです。マンティスさんの話では、彼が休憩室に侵入したことをMr.Bに知らせた後、腕時計の隠し場所が記されたメッセージが返ってくるまでには少しの時間差があったとのことでしたね。そしてメッセージがきて、マンティスさんが額縁を外そうとしたところでアラームが鳴り出した。Mr.Bはアラームが鳴り出す時間を計算していたのでしょう。そして、アラームを聞いて駆けつけてきたフォックスさんと鉢合わせになる状況を設定した。そんなことをしたのはもちろん、マンティスさんに動機を作るためです。フォックスさんを殺す動機をね」 「少し、いいか?」  キーパーが挙手して質問をする。美夜子は教師のように彼に手を向けた。 「はいキーパーさん、何でしょう?」 「事実として、マンティスとフォックスは休憩室で鉢合わせになったんだろう。だが……マンティスがもっと手早く腕時計を回収していたり、フォックスが様子を見に来るのがもう少し遅れていたら、そいつらが出くわすことはなかったはずだろう? 誘導されたせいでそうなる確率は高かったかもしれないが、確実に鉢合わせになるという保証もない。犯人はそれを理解していて博打を打ったのか?」 「もし鉢合わせにならなかったとしても、大した支障はなかったんですよ。その場合、マンティスさんが気づかなかっただけで、ドアの位置からフォックスさんに目撃されていたということにしてメッセージを送れば良いんです。マンティスさんもアラームが鳴り出すのは聞いているはずですから、誰かに見られていてもおかしくないと考えるでしょう。そう言われてしまえば心は揺らぐ。  おそらく、犯人も二人が上手く鉢合わせしたか確証は得ていなかったはずです。その場にいて目で見たわけではなかったんですからね。だから後でフォックスさんを殺すよう指示を出すときも、どちらの場合でも矛盾しないような言い方をしていたんだと思います。最初はそうしておいて、相手の反応を見ながら話を合わせつつ誘導すれば良い。どうですか、マンティスさん?」  マンティスはハッとしたような表情になる。 「あ、ああ……言われてみればそうだったかも。奴は最初『お前が腕時計を取るところをフォックスが見ていた』としか言ってなかった。部屋で鉢合わせした、フォックスがドアから覗き見していた、どちらとも取れる内容だったよ。『口止めに意味はないから殺せ』っていう話になったのは、フォックスに口止めした話を俺が先にしたからだと思う」  そこへキーパーが割り込んだ。 「マンティスの方はそれでいいとして、フォックスはどうなんだ? 仮に二人が鉢合わせしなかった場合、フォックスは休憩室にマンティスがいたとは知らないことになるよな。そこにリスクがある。マンティスが誘導された通りにフォックスを殺しにいったとしても、話を聞いて、本当は目撃していなかったということがわかれば殺しを中断してしまうかもしれない」 「確かにそうですが、Mr.Bはそれに対する予防策も用意していたとあたしは考えています。その場合、Mr.Bはマンティスさんとのやり取りを通じて二人が鉢合わせにならなかったことを察するでしょう。そうしたら『臆病なフォックスは知らないふりをするだろう』とでも言ったんじゃないでしょうか。  それに加えて、予めフォックスさん側にも布石を打っておいた。『知っていることを隠している』のと『本当に知らない』のでは反応に差が出てしまう。だからMr.Bは、フォックスさんが見ていなかった場合に備えて、マンティスさんがやったことを教えたんです。その証拠に、フォックスさんのBlockadeにMr.Bからメッセージが送られた痕跡が残っていました。テキスト自体は消えてしまっていましたけどね」 「だがMr.Bが自らメッセージを送って知らせていたとしたら、フォックスがそれをマンティスに伝えてしまう可能性もあるよな? こいつに教えられたと」 「あります。ですが、それは殆ど問題にならなかったと思われます。そうなったとしてマンティスさんは『Mr.Bは、自分がフォックスを殺すように仕向けている』と察するのが精一杯でしょう。一方で、実際に目撃していたかどうかはともかく、自分が腕時計を持っていることを知っているフォックスさんは殺しておかなければならない相手であることに変わりはない。マンティスさんが殺しを中止することはないとMr.Bは考えていたのではないでしょうか」  休憩室で二人が鉢合わせになったか、ならなかったか。どちらの場合でもマンティスがフォックスを殺すための筋書きはできていたのだ。 「さて……マンティスさんを操っていた人物がいたということは説明した通りです。ではいよいよ、その人物――すなわちこの事件の真犯人は誰か、ということを話していきましょうか」  美夜子が言うと、その場にいた全員の表情に、程度の差はあれ緊張の色が浮かぶ。  一方で美夜子の心中には、燃え立つような昂揚感があった。幾重にも連ねられた欺瞞をかいくぐって、ようやくその喉元に刃をつきつける。数年かけて追い求めていたものが、すぐ目前にある。  美夜子は一度深く呼吸をした後、話し始めた。 「Mr.Bを名乗る人物がマンティスさんを操ってフォックスさんを殺害させた……そこには大きく分けて三つの理由があります。先ほど言った、マンティスさんが二つの事件に共通する犯人であると見せかけたかったというのはその一つです。グッドラック君に濡れ衣を着せるだけでは疑問点が多く残ってしまうため、そこを疑われた際に逃げ道となるストーリーが必要だった。そのため犯人は、ブリッジさんが倉庫から殺害されたという風に誘導した。  二つ目はシンプルな理由で、アリバイの確保。フォックスさんが殺されるタイミングでアリバイを確保しておけば自分をより確実に安全圏に置ける」  指を三本立てていたのを一つ、二つと折る。 「そして、残るもう一つ。これは、〝真犯人にとってもフォックスさんは邪魔だったから〟。そう――マンティスさんと同じく、真犯人もまた、フォックスさんによって見られていたんです。それを証言されては都合が悪いものをね」 「見たって、いったい何を……?」  スパークが尋ねる。 「それが証言されたとしてもすぐに致命的なことになるわけではありません。しかし、その裏に隠された意味を探られると犯人にとっては都合が悪い。フォックスさんは極力排除しておきたい存在であったことは確かでしょう。そして犯人にとっては不運なことに、同じものを見ていた人物がもう一人いました。それは……あなたなんです。スパークさん」 「お……俺か!?」  自分を指差しながらスパークが驚く。美夜子は頷いて、 「ただし、フォックスさんと違ってあなたは〝それ〟を一瞬しか見ていませんし、それ自体は異常な光景というわけでもありませんでした。よってはっきり記憶していない様子でしたので、犯人も胸をなで下ろしたことでしょう。しかし、後になってあなたは教えてくれましたよね。『具体的にどこがおかしいかはわからないが、現場を見たときに違和感があった』と」 「あ、ああ」 「その時に覚えた違和感……おそらくですが、これのことではありませんか?」  美夜子はゆっくり歩き出し、そして机の前の床に落ちていたタオルを拾い上げた。古い血が付着したまま凝固してしまっているスポーツタオルだ。 「あなたは床に落ちていたこのタオルを見て、おかしいと思った。なぜなら、〝あなたが最初に見た時、このタオルは別の場所にあったから〟。……どうですか?」  スパークは少しの間沈黙し、顎に手を当てながら何かを思い出すように唸っていたが、やがて「ああっ!?」と大きな声を上げた。 「そうだ……! 俺が、腹痛の薬持ってないかフォックスに訊きに行ったときのことだ。見張り部屋の窓からブリッジの姿を見て――その時、〝タオルは机の上にあったんだ〟! ほんの数秒見た程度だが、そうだったと思う」 「机の上にあったはずのタオルが、ブリッジさんが殺された後、現場に踏み込んだ時にはなぜか床に落下していた。これこそ、些細なようで極めて重要な――犯人が隠したかった事実なんです」  それがいったい何だと言うんだ? そんな表情で何人かが美夜子を見つめる。 「それが何を意味するかは後で説明するとして……先に、皆さんが最も気になっていることを教えましょう。もちろん、犯人の正体です。ここまで来たら、答えはもう明らかですよね」  美夜子はその人物を見ながら話し出す。 「この中で唯一、タオルのことを隠そうとした人がいます。その人はこう言っていました。『監禁部屋に入った時、タオルはいつも通りチェストの上に置いてあった。グッドラックを連れてくる時に彼の涎がついたからそれで拭いた、だから覚えている』、と。机の上にタオルがあったのなら、これは真っ赤な嘘ということになる。本当はその人が机にタオルを置いていたんです。そんな嘘をついてまでそれを隠したかったのは、その人が犯人だからに他ならない。  つまり――フレイムさん。あなたがブリッジさんを殺した犯人です」  驚愕、疑問……そんな感情を乗せた一同の視線がフレイムに集まる。 「…………」  フレイムは一瞬、何の感情もない醒めた目つきで美夜子を見た後――すぐに普段の不気味な笑いを浮かべた。 「ひひ……言ってくれるねェ。ま……いいぜ? 名探偵様の戯れに興じてやるよ。たまにはこういうのも面白いよなァ」  スキンヘッドを撫でながら余裕そうに言ってみせると、フレイムはこう切り出した。 「まず訊かせてくれよ。タオルのことで俺が嘘を言っているとなぜ言い切れる? スパークが嘘を言っている可能性は?」  美夜子は毅然として反論する。 「スパークさんがそこで嘘をつく理由がありません。何のメリットがあるかもわからない意味不明な嘘をついていると考えるよりは、事実をありのまま話していると考えた方が自然だと思います」 「ふん……じゃあフォックスがそのことを証言しなかった理由はなんだ? フォックスだって同じものを見ていたはずだろ。犯人はマンティスを使ってフォックスの口封じをしたって話だったが、その前……死体を見つけた直後、あんたはあいつからも話を聞いていたよなァ?」 「おそらく、あなたは机にタオルを置いて出てきたことをそれとなくフォックスさんに伝えておいたのでしょう。そうすれば、少なくとも見張り中はタオルがそこに置いてあることを疑問に思わない。  問題はその後……現場に踏み込んだ時、タオルが床に落ちていることにフォックスさんが気づいて、それを証言するかどうか。そこがあなたにとって一番の正念場だったかもしれませんね。フォックスさんはひどく動揺していたので、タオルが元々机の上にあったことを冷静に証言できるか怪しい部分はあったにしろ、賭けだったはずです。  監禁部屋の中にいたグッドラック君が殺したはずだとフォックスさんは考えていたわけですから、タオルが落下していること自体は、殺害の際に触れて落としたと考えればそう不思議なことでもありません。だからフォックスさんがそこに違和感を覚えることはなかったかもしれませんが、時間をかければかけるほど証言されるリスクは高まる。あたしが先にタオルについて質問をする可能性だってあるわけですからね。  だからあなたは、そのことを証言されないようになるべく早い段階でフォックスさんを部屋の外に追いやった。顔色が悪いと指摘して、彼が部屋で休むようにさりげなく仕向けたんです。フォックスさんをその場から排除してしまえば、あなたはタオルについて自由に嘘がつけた。フォックスさんは死ぬから二度と証言は取れないと、大胆にも決め打ちして振る舞ったわけです。スパークさんも見張り部屋を訪れていたのはあなたには誤算だったかもしれませんが、彼は見たものをはっきりとは覚えていなかったから問題はありませんでした」 「ハッ……もしそうだったとしても完全に証言をコントロールできるわけじゃないだろ? 部屋に戻らせるより先にフォックスが証言していたかもしれない」 「もちろんそうです。ですが、先ほど言ったようにそれを証言されてもすぐに致命的なことになるわけじゃない。チェストから取ったタオルで涎を拭いた後で机の上に置いたと、それ自体は不審な行為ではありませんからね。もしフォックスさんが先に話していたら、あなたはそれを認めてその後の言動を合わせて修正しただけでしょう。最良の形ではなくなるでしょうが、すぐに計画が破綻するような失点じゃない。むしろ、その程度の証言を阻止するためだけにフォックスさんが殺されるように仕向ける計画を立てているところに異常性を感じます」 「随分と危ねぇ橋を渡るじゃねぇか、大したギャンブラーだなァ? あんたの言う俺はよ」 「はい。正直……見事だと思っています。マンティスさんを操る手腕といい、この事件全体を通した犯人の動きは熟練の領域にありながら、際どいポイントで自分の運を信じる豪胆さもある。もしくはそれすらカバーできるという、機転の良さから来る自信なのかもしれませんが」 「褒めてくれてありがとうよ、俺じゃねぇけどなァ」  美夜子は小さく首を振りながら微笑する。 「でもね……どれだけ見事な犯行でも、謎は解かれるんです。そしてその奥に隠されたものを引きずり出すのが、あたしの役目。今回も同じ……犯人に言って聞かせたいですよ。逃げられると思うな、ってね」  淡々と口にする美夜子を見て、フレイムは面白いものでも見るように目を細めた。 「話を戻そうか……。スパークが見た、タオルが机の上にあったという話。仮にそれが事実だとして、イコール俺が嘘をついていることにはならないだろ? 俺が部屋を出た後で誰かがチェストの上にあったタオルを動かしたのかもしれないよなァ?」 「その場合、あなたが部屋を出た後で誰かがタオルを机の上に置き、スパークさんがそれを目撃した後で更にタオルを床に落下させる必要があります。ブリッジさんは足元のしっかりした椅子の上で四肢を拘束されていたので、彼が暴れて落としたはずはありません。よって犯人が二度に渡って部屋の中のものに干渉したことになるわけですが、それは不可能でした。  最初の、チェストの上にあったタオルを机の上に置くという動きはどう考えたって部屋の中に入らないと無理なんです。再三確認されてきたように、南京錠の守りがある限り誰も部屋に侵入することはできない。グッドラック君を連れて入った際、あなたが置いたとしか考えられません」 「おかしなことを……。あんたの言い方だと、机の上にタオル置くことはともかく、机の上に置いてあったタオルを床に落とすことは部屋に入らずともできるみてぇだが?」 「ええ、そう言っています。部屋に侵入することなくタオルを机から落とす方法はあった。それが、ブリッジさんを殺したトリックとも密接に関係しているんです」  フレイムが吹き出すように笑った。 「くっ……! 笑わせんなよ! 俺の正体は実はエスパーで、サイコキネシスでも使ったってのか? それとも幽霊の相棒に動かしてもらったとか? そんなの無理に決まってるだろ?」 「いいえ。あなたはエスパーでもスタンド使いでもありません。物理的な仕掛けによってブリッジさんを殺したんです」 「ひひ……じゃあ教えてもらおうか。いったいどうやったっていうんだ?」 「最初の手がかりは、ブリッジさんの遺体に刺さっていたナイフでした。刺さりが甘く、致命傷にはほど遠かった。ナイフの傷よりもそこに塗られた毒こそがブリッジさんの命を奪った主要因だったわけですが、そもそも、犯人が直接ナイフを突き刺したのならなぜそんなことになったのでしょう? 毒が塗ってあるからって、刺す力を手加減する理由はない。  逆に、犯人には深く刺すことができなかった理由があったんじゃないか……あたしはそう考えました。例えば直接刺したのではなく、遠隔操作でナイフを飛ばしたとか」 「さっき言ってた倉庫から糸を使う方法もそうだったなァ。でもあれは違うんだろ?」 「そうですね。犯人はまた別のものを使ったんです。――糸ではなく、銃をね」  美夜子は手をピストルの形にして言う。 「銃?」 「銃は仕掛けを作動させるためのアクションです。その仕掛けというのは――」  美夜子は床に落ちていた30センチほどの長さの鉄パイプを拾い上げる。 「これを使います。この鉄パイプを机の上に……〝部屋の入口から見た時――すなわち正面の北側を時計の12時として〟、鉄パイプの両端が『2時と8時』の角度になるように置く」  鉄パイプを置き、次に凶器のナイフを手に取る。 「そして毒を塗ったナイフ。刃先がブリッジさんの身体に向くようにして、鉄パイプの『8時』側の端から右横……そこから少し奥へ寄せた位置に置きます」  ナイフを置く。 「次に……タオルを鉄パイプの左側へ、ある程度膨らみを持たせるようにして置く」  タオルを折り、鉄パイプを隠すような位置で置く。そしてフレイムを見上げて言った。 「――ここまでの仕掛けを、あなたはグッドラック君を監禁部屋に連れてきた際に準備した。ただし、当然その作業は誰にも見られないようにする必要がありました。ブリッジさんは目隠しをされていましたから問題はありませんが……適当に話しかけたりして、作業の音を誤魔化すくらいはしたかもしれませんね。部屋を出る際に毒薬の瓶を置いて、監禁部屋内での工程は終わりです」  毒薬の瓶は衣服の山の上に置かれていた。この偽装工作の巧妙なところは、だからといって監禁部屋に入れた者が瓶を置いたとは限らないと思わせる点にある。事件発覚後に現場に踏み込んだ際、どさくさに紛れて瓶を投げ捨てたとも考えられるからだ。服の上であれば瓶が落下する音を誤魔化せたはずだと、おそらくそういう思考をするところまで計算されている。 「仕掛けの準備をする上で、最大の障害はやはりフォックスさんでした。だからフォックスさんにカップラーメンを作るように言いつけて、見張り部屋から遠ざけたんです。タオルを置いたのも、フォックスさんが見張り部屋へ戻った後でバレないようにするため。見張り部屋の小窓を通して見ると角度が限定されてしまうから、タオルの奥にある鉄パイプとナイフは隠れて見えなかった。  そして事件が起こった時間――あなたは南京錠の掛かった鎖で閉じられたドアの前に立っていた」  美夜子はドアを指差す。 「ドアノブに鎖が巻かれた状態でも、ほんの少しの隙間であればドアを押し開けることができました。手の指が2本差し込めるかどうかという程度ですが、あなたはそのたった数センチの隙間を利用したんです」 「ま、まさか……」  キーパーが先を察して――おそらくはその異様な発想に対して――息を呑む。美夜子は頷いて続ける。 「そうです。鎖の巻かれたドアを押し開け、銃口を隙間に向けた。狙うのは、先ほど言った鉄パイプの右端――『2時』にあたる部分です。ドアの隙間から覗き込んだ時、机はちょうど直線上にありますから不可能なことではありません」 「しかしそんな曲芸のような真似が……」 「自信があったんでしょう。犯人はそれを一発で決めたはずです。フレイムさんは銃の腕が良かったそうですからね。それだって、まだ本当の実力は見せていなかったかもしれない」  フレイムは黙ったまま美夜子の話を聞いていた。未だ表情には余裕があり、追い詰められたようなそぶりはなかった。――構いやしない。余裕ぶってみせたところで、どのみち、お前はもう終わりだ。 「ドアの隙間から銃を撃ち、弾丸を鉄パイプに当てた。『2時』の部分に弾丸が当たると、その勢いで鉄パイプは机の上で逆時計回りをしながら奥へ吹っ飛んでいくという動きをします。それによって、鉄パイプは『2時』側でタオルを机の外に押し出しつつ……『8時』側でナイフの柄頭を叩いた! ナイフは右側に弾き飛ばされ、ブリッジさんの身体に刺さりました。ナイフは深く刺さらずとも傷さえつければ強力な毒がその命を奪う……。タオルと鉄パイプは床に落ちてしまいますから、後からその状態を見ただけでは何があったかを察するのは困難です」  美夜子はフレイムを真っ直ぐ見つめて言う。 「――これが犯人の使ったトリックです。いかがですか?」 「……オーケーオーケー、確かに糸でどうこうってのよりは面白いかもなァ? だけど、問題が幾つかあるようだ。あんた、それ全部説明できんのかい?」  フレイムは美夜子へ手を向けながら言う。 「受けて立ちましょう」  美夜子は腕組みをし、不敵な笑みで返す。フレイムは鼻で笑うと、最初にこう切り出した。 「犯人は銃を使ったって話だが、発砲音の問題があるよなァ? 一階までは聞こえなかったとしても、同じ二階にいたフォックスとタミアスはその銃声を聞いたはずだ。だが二人ともそんな証言はしていない」 「犯人はサプレッサーを使って発砲音を抑えたんです。あくまで音を軽減する装置なので、無音の空間ではそれでも目立つ音だったでしょうが、犯行があった時間は大音量でタイマーのアラームが鳴っていました。銃声はそれにかき消されたのだと考えられます。それに犯人が使ったのは、元々発砲音が小さい銃だったはずです」 「発砲音が小さい銃? なぜそんなことがわかる?」 「部屋の中で弾頭と薬莢が見つかりました。あれは22口径ロングライフル弾で、他の9mm弾や45ACP弾のような拳銃弾と比べると威力が抑えめな分、発砲音も小さい。  あの弾頭と薬莢……以前にマンティスさんが撃ったものが放置されていたという話でしたが、あたしの考えでは、薬莢の方はともかくとして、弾頭の方は犯人が鉄パイプを動かすために撃ったものです。  なぜそうなるのか、理由はこうです。ドアの鎖と南京錠はそのままなので、犯人には部屋の中に撃ち込んだ弾頭を回収するチャンスがありません。現場に踏み込んだ際に拾うことはできるかもしれませんが、床に落ちているものを拾う動作は目立つのでリスクが大きい。それにあたしが実際そうしたように、身体検査をされる可能性だってある。よって、犯人はマンティスさんの弾頭を予め回収しておく必要があった。そうしておかないと、もし誰かがマンティスさんの弾が部屋に放置されていることを覚えていたら、現場で2発分の弾頭が見つかるのはおかしいということになるから。だから犯人は少なくともマンティスさんの弾頭を部屋に入った際に持ち去ったはずです。それがグッドラック君を閉じ込める際のことだったのか、それとも誘拐以前のことだったのかはわかりませんが。  回収された弾頭は既に簡単には見つけられないような場所に隠してあるでしょう。例えばキッチンの排水溝などに流されたら絶対に見つかりません。  そうして監禁部屋から弾頭を予め回収した犯人は、自分も犯行時に同じ種類の弾丸を使うことで、それがマンティスさんの撃った弾丸だと誤認させることを狙ったんです。  この部屋の床は僅かに傾いています。そのせいで犯人の撃った弾頭が勝手に壁際まで転がっていったので、放置されていた弾頭と区別がつきづらかった点は犯人に有利だったと言えます。寝ていたグッドラック君の身体に弾頭が引っかかってしまう恐れもありました。その場合発砲のタイミングが限定されてしまってマズいのですが、そうなっていた場合は現場に踏み込んだ際、犯人がさりげなく蹴飛ばすなどして誤魔化すことができたでしょう。  一方、薬莢の方はどうなのか? マンティスさんの弾頭と一緒に薬莢も回収しておけば、犯行時に銃から飛び出した薬莢をドアの隙間から投げ入れて証拠を隠すと同時に辻褄を合わせるということもできたでしょう。しかし、今言ったように転がした薬莢が壁際に辿り着く前にどこかに引っかかってしまうリスクもあるので犯人がどうしたかはわかりません。弾頭だけを回収して、薬莢はそのままにしておいたかもしれない」 「ふぅん……長々とご説明をどうも。確かに辻褄は合う……が、それだけだな」 「それだけ、とは?」 「あんたが言ってんのはさっきから全部、仮説に過ぎないって話だ。トリックに銃が使われたってとこからして、その裏付けになるもんは何もねェ。それで一応の説明はつくのかもしれねぇが、証拠がない以上、他の方法があった可能性は否定できない。違うか?」  フレイムの指摘は的を射ている。これまでの推理は各所の疑問点にそれらしい解答を当てはめていっただけで、それを裏付けるだけの証拠は出せていない。実体のない影のようなものだ。 「……銃が使われたことを示唆する出来事ならありました。フォックスさんから聞いて現場に駆けつけたとき、あたしはこの部屋のドアの前で、妙な匂いを嗅いだんです。後でわかりましたが、それはブリッジさんの衣服そばに落ちていたポケットサイズの消臭スプレーのものでした。  犯人は、それを発砲した際の火薬臭を消すために使ったのでしょう。そしてその後、身体検査や部屋の調査をされた際にスプレーを持っていることがバレたら怪しまれてしまうと考えた。ガニーさんの話では、消臭スプレーを普段から使っているようなメンバーはいないそうですからね。だから犯人はドアの隙間からスプレーを投げ入れて、床の傾きを利用してブリッジさんの衣服そばに転がした。そうすることでブリッジさんの持ち物だと見せかけたんです」  フレイムは声を上げて笑った。 「わかってねぇなァ、探偵さんよ。そりゃ単に、その近くで銃が使われた可能性が高いってだけの話だろ。何か別のもんの匂いを消すためだったかもしれねぇし、トリックと直接結び付けられるもんじゃない。あんたが言うそのトリックが確かに実行されていたという証拠、あるいは俺が犯人だっていう証拠……そいつを出してみなって言ってんだ」  推理通りなら……ドアの合わせ目を調べれば、犯人が発砲した際の発射残渣が検出されるだろう。だがそれには科学的な調査を行うだけの準備と時間が必要だから、今は無理だ。 「…………」 「ひひ……出せねぇんだろ? なんなら俺のスマホを確認するかい? 犯人はMr.Bを名乗って、マンティスやフォックスを操っていたんだろう? 誓ってもいいが……調べたところでなにも出てこないぜ」  怪しいメッセージのやり取りを行った痕跡は、既に抹消済みなのだろう。そんな単純な隙を晒す相手ではない。 「それに、おかしな点ならまだある。  犯人はタイマーのアラームを仕掛けておいて、フォックスが休憩室へ向かった間にブリッジを殺したって話だったよなァ? それならどうして、廊下にいたタミアスは犯人を見てないんだ? 知ってるか? 見張り部屋の前……廊下が交差する場所は床が軋んでて、でけぇ音がなるんだよ。犯人が監禁部屋を離れようとしたら、絶対にあそこを通る羽目になるからタミアスが気づいたはずなんだ。タミアスに気づかれることなく犯人が現場から逃げる方法はなかったんだ。それだけは確かだと言えるね」 「……本当にそうでしょうか?」 「あ?」  美夜子はフレイムを見据えながら静かに言う。 「本当に、犯人が現場から逃げる方法はなかったんでしょうか?」 「ねぇよ、んなもんは」 「じゃあ、そもそも逃げなかったのかも」 「おいおい……あんた、後で現場に駆けつけたときに怪しい人物を見たのか?」 「いいえ。そんな人は見ていません。廊下突き当りの窓もしばらく開けられていないようでしたから、そこから逃走したというのも違うでしょう。それとは別に、一つだけあるじゃないですか。現場のすぐ近くに、犯人が身を隠せる場所が」  スパークがハッとして言う。 「もしかして、突き当りにあるあのロッカーか? 掃除用具なんかが入ってる……」 「そう、それです」  美夜子は指を鳴らして言う。 「あのロッカーは右側に洗剤などが入ったバケツ、左側に持ち手が収納式のモップが入っていました。バケツの奥にはまだ半分ほど隙間が残っていたので、軽いモップを右に移してしまえば、犯人は左側のスペースに隠れることができた。  おそらく犯人は、犯行前からそこに隠れていたんだと思います。あそこなら、フォックスさんが見張り部屋を出たかどうかを通気用の穴から見て確認できる。  フレイムさんは休憩室でカップラーメンを食べ終わった後、タイマーのアラームを仕掛け、一度部屋に戻った。そこで犯行に必要なものを手に、ロッカーへ隠れたんです。タミアスさんが廊下に出てきたのはその後のことだったのでしょう。だから部屋を出ていくフレイムさんを見ていない」  フレイムは呆れたような表情を浮かべた。 「ハッ、また根拠のない言いがかりか?」 「あなたが部屋にいたという証言は、誰かが見て確認したわけじゃありません。本当は部屋にいなかった可能性はある。  フォックスさんが見張り部屋を出ていったのを確認後、あなたはロッカーから出てきて銃を使いブリッジさんを殺害した。それから火薬臭を消すための消臭スプレーを噴き、部屋に投げ入れた。手早くやればここまで1分もかからないでしょう。それからあなたは再びロッカーに隠れ、見張り部屋に戻ったフォックスさんが事件に気づきそれを一階へ知らせに行ったのを見た。  そうして安全を確認してから部屋に帰ろうとしたのでしょうが……ここであなたにとっては予想外の障害があった。タミアスさんが廊下にいたせいで、部屋に戻れなかったんです。南京錠の問題があるとはいえ、流石にそのものズバリのタイミングで監禁部屋の方向から出てきたところを目撃されるのは危険すぎた。  あそこは廊下の角から覗き込むようにすれば、床が鳴らないギリギリのところで様子を窺うことができるようになっているので、そうやってあなたはタミアスさんに見つかる前に察知できたんでしょう。タミアスさんの方も、急に走って一階へ向かったフォックスさんの方を見ていて、音が鳴らない限り誰かがそこにいるとは気づけなかったんです。  部屋に戻れなかったあなたは、仕方なくまたロッカーに隠れた。そうしてあたしたちが皆で駆けつけた後、騒ぎを聞きつけてやってきたふりをして合流したんです」 「……よく考えるもんだ」  フレイムの表情が僅かに曇る。――そうだ。やっと気づいたのか? あたしはもうお前の心臓に刃をつきつけている。 「あなたはとても用心深い人です。だからあたしたちと合流した時にあんなことを言った」 「あんなこと、というのは?」  スパークが尋ねる。 「フレイムさんはこう言ったんですよ。『さっき、誰か俺のこと呼んでたか? 声がした気がする』って。実際にはそうしなかったわけですが、あたしたちが駆けつける途中でフレイムさんの部屋に呼びかけた可能性はあった。ブリッジさんに何かあったようです、フレイムさんも一緒に来てください……って感じでね。  ロッカーに隠れていたフレイムさんは、実際にあたしたちがどうしたかわからない。わかるのはそこでタミアスさんと合流するだろうというくらいで、だから『声がした気がする』と言っておいた。もしあたしたちがフレイムさんを呼んでいたら、寝ていて出て来られなかったけど声は聞こえていたと主張することができるし、逆に呼んでいなかった場合は、単に部屋の中からタミアスさんとあたしたちのやり取りを聞いただけだろうと解釈できる。どちらにしてもあのとき部屋にいたことをアピールできるんです」 「あの一言にそんな意味が……」  美夜子は全員を見渡しながら、人差し指を立てて言った。 「ここで、あたしの推理にはもう一つの疑問点が浮かんできます。犯人は銃を使ってブリッジさんを殺害した。そして、現場近くのロッカーから動くことができなかった。この二つを踏まえてフレイムさんが犯人だと考えると、明らかにおかしい部分がある。  フレイムさんはあたしたちと合流した時、銃を持っていませんでした。22口径仕様のM&Pはフレイムさんの部屋で見つかりましたが、彼が犯人だとすると、部屋に戻れなかったはずなので銃を置きにいくことができない。では、犯人はフレイムさんではないのか?  ……あたしはその話を聞いた時から少し引っかかっていました。フレイムさんは騒ぎを聞きつけて監禁部屋にやってきたはずです。それなのに、銃を持ってこないのは無用心すぎやしないかと。素人上がりのフォックスさんとは違って、フレイムさんは数多く場数を踏んできた犯罪のプロのはずです。あの振る舞いには違和感があった。――どうですか、フレイムさん?」 「どうですかって言われてもなァ……まさかあんなことになってるとは思いもしなかったのさ。俺だって気を抜く時くらいある」  浅い言い訳だ。もっとも、それくらいしか言い返すことができないんだろう――そこが急所であることを誰よりも理解しているから。 「なぜ銃を持っていないのか。犯人の立場になって考えてみると、その答えがわかります。犯人は身体検査を恐れたんです。発砲後、充分な時間が経っていない銃口は火薬の匂いですぐにわかる。それを調べられたら、まさに犯行があったタイミングで銃を使ったと自白しているようなものです。だから――隠した。ひとまず手離しておいて、頃合いを見て回収するつもりだったのでしょうが……それもできなかった。ガニーさんに現場の見張りに任命されてしまったからです。  しかし、あなたはその状況を利用してあたしに罠を仕掛けた。あなたは22口径の銃を2丁用意していたんです。普段の仕事でもあなたは銃を自分で用意してくるそうですが、今回もそうだった。殺害に使ったのはおそらくそれ用にチューニングされた銃で、一階でグッドラック君を撃ったM&Pは別物。そこで、銃が実際に部屋の中にあることをあたしに確かめさせて、殺害に使った銃の存在を隠そうとしたんです。あたしは一階であなたがM&Pを使っているのを見ているから、2丁目があるかもしれないと発想を飛躍させない限りそれに気付けない」 「…………」  フレイムはもはや美夜子を睨みつけるばかりで、反論もしてこない。 「あらら……どうしましたか? 静かになっちゃいましたね。言っておかなくていいんですか? 犯人呼ばわりするなら証拠を出せと。――いいでしょう。少し待っていてください」  そう言うと美夜子は監禁部屋のドアから出ていき、〝それ〟を取ってから戻ってきた。重たいプラバケツを手に提げ、皆に見せる。 「これは先ほど説明したロッカーの中に入っていた、洗剤の容器です。業務用のかなり大きなサイズで、粉末洗剤が中にたっぷり入っています。お見せしましょう……決定的な証拠ってやつをね!」  美夜子はプラバケツをひっくり返し、床に洗剤を全部ぶち撒けた。白い粉末が舞い上がるように広がり、そして―― 「あっ!?」  気づいた者が声を上げる。洗剤の粉末の中に、黒い金属の塊――もう1丁のM&Pがあった。取り外されたサプレッサーもある。取り付けたままではバケツに入らないため外したのだろう。他にはハンドガン用のタクティカルライト。これは薄暗い監禁部屋内で確実に鉄パイプに狙いをつけるためのものだろう。 「犯人が銃を隠せるとしたら、ここしかなかった。計量スプーンを使って奥に沈めてしまえば手を汚すこともありません。それから――これ」  美夜子は粉の中から、22口径ロングライフル弾の薬莢を見つけ出し、拾い上げた。 「この薬莢は、犯人がドア越しに仕掛けを作動させるために銃を撃ったときに排莢されたものだと考えられます。やはり犯人はマンティスさんの薬莢はそのままに、弾頭だけを先に回収していたんですね。だから自分で撃った弾の薬莢はどこかに隠しておく必要があった。部屋には戻れないから、隠せるのはここしかない。弾頭がなく薬莢だけがここに残っていることからも、あたしが説明した通りのことが行われたと立証するには充分かと思います」  美夜子は今一度フレイムに向けて言った。 「そしてあたしが説明したトリックを実行できたのは、犯行の直前に監禁部屋に入ることができ、鉄パイプとナイフを机の上に準備できた者に限られる。つまり、フレイムさん……あなたが犯人という結論しかあり得ないんです」 「…………」  長い沈黙。張り詰める緊張感。やがて、それらを吹き消すように大きなため息が聞こえた。 「…………やれやれ」  フレイムは頭を振りながら両手を上げてみせる。 「参ったよ。こうまでされちゃ認めないわけにはいかねぇよなァ……」 「全て認めて降参した……ということでいいんですね?」  フレイムは手を上げたまま微笑し、頷いた。 「ああ……あんたの推理は見事なもんだったぜ。でも、勝負はまだ終わってない――」 「――ッ!」  フレイムの右手が瞬時に懐へ伸ばされる。目で追うのもやっとという驚異的な速さで腰からM&Pを抜くと、それを――ガニーの頭部に向け、引き金を引いた。  がちゃん、と音が鳴る。弾は発射されず、引き金が空回ったような音がしただけだった。 「ハッ……やってくれる」  フレイムが苦笑する。 「貴様……ッ!」  殺気立ったキーパーをはじめ、スパークとタミアスが続いて銃を構え、一斉に銃口をフレイムに向けた。 「おい待て! やめろ!」  ガニーが一喝し、キーパーたちに銃を下ろすように指示する。 「しかし、ガニー! こいつは……」 「心配すんな。撃てねぇようになってんだよ、こいつの銃は。代わりに身動きできねぇようにしとけ」 「…………わかった」  ガニーの指示に従い、キーパーは他のメンバーの補助を得ながら保管されていたロープを使ってフレイムの四肢を縛り始める。フレイムも銃を床に落とし、それ以上の抵抗を見せることはなかった。 「しっかしよぉ…………お、俺を狙いやがったぜ、こいつ……。なんで俺なんだよ……狙うなら、お前だろ、普通!」  ガニーは冷や汗を浮かべながら、美夜子を何度も指差して言う。 「あたしに言われても……部外者のあたしよりこの場のリーダーであるガニーさんを殺したほうが場を混乱させられると思ったんじゃないですか? その方が逃げやすいでしょ」  フレイムは両手両足をしっかりと拘束された状態で、グッドラックとは反対側の、見張り部屋の小窓がある方の壁際に座らされていた。美夜子は彼を見下ろしながら話しかける。 「残念でしたね。最後の抵抗すら失敗に終わって」 「ああ。あんたが素直に銃を渡してくれたことをもっと怪しむべきだったよ。あの時点で俺が犯人だってわかってたはずだろうに」 「内部の部品を抜いておいたんです。いくら引き金を引いても弾は出ません」 「罠に掛けられたのは俺の方だったか……。意外と悪女なんだな、あんた」 「気づくのが少しだけ遅かったですね」  そこで乃神から通信が入る。 『ここまでは上々だ、禊屋。あとはフレイムから可能な限り情報を引き出せ。優先すべきは動機だ。奴がなぜブリッジを殺したのかを明らかにするんだ』  言われるまでもないことだ。「オーケー」と小声で返事をした。  フレイムは身動きを封じられ、もはや逃げ出すこともできない。  やっとここまで来た……重要なのはこれからだ。フレイム……この刺青の男が、いったい何者なのか? それを訊き出さなければならない。 「あなたには訊きたいことが沢山あります。答えてくれますね?」 「……どうだろうなァ。俺の気分次第じゃ答えてやってもいい」  美夜子は眉をひそめる。 「偉そうに言える立場だと思っているんですか?」 「おお怖い怖い。ま、いいからとにかく……質問してみろよ」  どうも気が急いてしまっているようだ。美夜子は一旦落ち着こうと深く呼吸をし――それから質問した。 「なぜブリッジさんを殺したんですか?」 「そういう計画だったから」 「計画というのは?」 「全部さ。そうだなァ、例えば……マンティスの昔の仲間が急に借金を断ったのもそうだし、グッドラックがこうなることも計画されていたことの一つだ。ガニーが自分で思いついてくれたから楽ができたが、そうでなければ俺がグッドラックを挑発して監禁部屋に閉じ込める流れを作るつもりだった。  状況に応じた殺し方が全部で四案まであって、それぞれが細かなパターンを想定してあった。鍵の扱いによってはフォックスを犯人に見せかけるという想定もあったし、もっと大きくズレていた場合、ガニーは毒を塗られたトマトを食って死んでいた。俺とあんた以外全滅するシナリオだってあったんだぜ。  そして今回、アドリブで修正した部分は山ほどあるが……大枠としては第一案『監視された部屋』のパターン2に該当する」  何を言っている……? いや、待て。まさか……。 「状況次第で誰をどんな風に殺すかが変わっていた……ということですか?」 「そういうこと。立案は別の人間だが、俺はその全パターンを頭に入れて動いていた。すげぇだろ?」  フレイムは自慢話をするように軽く言う。 「立案者というのは……Mr.Bのことですか?」 「……なんだ、そこまで気づいてたのかい」  そこまで計画を作り込めるのは、人の心理をほぼ完璧に理解しそこから起こされる言動を先読みする力があってこそだ。そんなことができる者は……。  そこでガニーが割り込んできて言う。 「おい、どういうことだ? こいつがMr.Bじゃねぇのかよ?」  フレイムが答えた。 「俺がMr.Bの名義でメッセージをやり取りしていたのはその通り。だが、あくまで俺は名前を借りていただけ。今回の一件に関して裏から状況を整えていた、〝本物のMr.B〟がいるのさ」  「これを送ってきたのはあなたですか? それとも……本物の方?」  美夜子はスマホをフレイムに向け、例の『読者への挑戦状』を見せる。フレイムは肩を揺らして笑った。 「なんだこりゃ? ああ、俺じゃない。本物が送ったんだろう。相変わらずふざけた奴だ。金払いがいいのは素晴らしいが、それ以外は終わってるな……俺が言えたことじゃないか」 「あなたは本物のMr.Bに雇われて、指示に従っていた?」 「そういうことだ。最初から今回の計画のためにアンバークラウンに潜入していた」 「Mr.Bとは……『黒山羊』と呼ばれている犯罪者のことですか?」  それを尋ねた瞬間、アンバークラウンのメンバーが一様に顔色を変えたのがわかった。もしやとは思っていたが、やはり……。  フレイムはゆっくり頷いて言った。 「正解だ」  ガニーが怒声を上げる。 「ふざ……っけんなッ! なんでそこで……〝俺たちの依頼人〟の名前が出てくるんだよ!?」 「簡単な話だろ? ガニー……あんたらは利用されたんだよ。ブリッジから目当ての情報を訊き出した時点で目的の半分は達せられていた。そしてもう半分は……探偵禊屋の実力を図るというものだった。あんたらはそのテストの舞台装置として使われたのさ」 「……わっけわかんねぇよ。くそったれが……」  ガニーは困惑と怒りを飲み込めずにいるようだ。  疑問は一つ一つ確認しておかなくてはならない。美夜子は今度はガニーに尋ねる。 「ブリッジさんを誘拐するように依頼してきたのは、黒山羊を名乗る人物だったんですね?」 「あ、ああ……」  ブリッジは狼狽したように言う。 「お前は、黒山羊のことを知ってんのか?」 「正体は知りません。でも……大きな借りがあります。ガニーさんはどうなんですか?」 「メッセージでのやり取りをしただけだから、俺もどういう奴かは知らねぇよ。男か女かもわかんねぇ。  黒山羊の依頼は2つ……ブリッジを誘拐してある情報を訊き出すことと、ナイツの注意を引くために身代金の交渉をすることだった。ブリッジの誘拐にあたって、具体的な計画は奴の方から送られてきた。なんで奴がブリッジの行動予測なんてできたのかはわかんねぇが……その計画のお陰で誘拐自体はとくに苦労もなく遂行できた。その後、交渉の結果手に入れた金は俺たちが全ていただくという約束だった。しかもそのためのサポートもするという話で、悪くねぇと思ったさ。  それとは別に奴からの要望で、ナイツの人間には依頼人の名前を伏せるように言われていた。俺らが自発的にやったことだと見せかけてほしいってな。そのことについて、交渉相手が決まってから補足があった……交渉担当である禊屋、お前に対しては注意しろと」  名前を隠したがった理由は、必要以上に警戒させないようにという目的もあるだろうが、わざわざ名指しでそう強調したのは……。 「……あたしを挑発するためでしょうね。最後の最後でバラして、自分の存在を強烈にアピールしたかったんだと思います」 「……異常者だな」  そう、異常者だ。何を考えているのか、常識の範疇では測れない。 「倉庫で話した時にも訊いたことですけど、黒山羊の依頼を引き受けた理由はあったんですか? よほど金払いが良かったとか?」 「それもあるが……仲介役がいたんだよ。そいつが俺と黒山羊を引き合わせた」 「それは……誰ですか?」  ガニーはしばらく考え込んでから、首を横に振った。 「…………それは言えねぇ」 「っ! どうして? 黒山羊とその人物はグルだったかもしれないんですよ? 共謀してあなたを利用した相手をどうして庇うんですか?」 「そうじゃない、別に庇おうってんじゃねぇよ。価値のある情報だからな、使い時を見極めなきゃなんねぇ。少なくとも、今お前に提供してやれるもんじゃないってことさ」 「……わかりました」  おそらく、一定以上の立場がある相手……だからガニーはそれを何らかの交渉材料として用いようとしているのだろう。なんとも歯がゆいが、今ここで説得して訊き出すのは難しそうだ。 「じゃあ、別の話です。確認なんですけど……ナイツとの取り決めの際、交渉相手にあたしを指名したりしましたか?」 「いや? あんたを交渉担当にってのは、ナイツの方から提案された話だぜ。少なくとも俺らは何もしてねぇ」  乃神も本部からの指名だと言っていたし、それは本当なんだろう。だが、黒山羊が絡む事件に自分が割り当てられたことが偶然だとは思えない……。  すると、フレイムが思案する美夜子を見てニヤニヤしながら言う。 「やっぱりおかしいと思うよなァ? 実は俺もそうなんだ」 「……どういうことですか?」 「黒山羊はあんたをこの事件に誘い込むために、何らかの手を打つつもりだったらしいぜ? だが、それは必要なくなった。何もしないうちからナイツの方が先にあんたを出すと提案してきたんだとよ。そこがどういうことだか、俺にもよくわかってねェ」  そこに黒山羊の介入はなかった? じゃあ……本当に偶然だったというのか? ……とにかく、この件は一旦後回しだ。  美夜子は再びガニーに尋ねる。 「ところで、ブリッジさんから訊き出した情報というのは何だったんですか?」 「……ある男の居場所についてだ。ブリッジに見せるための写真しか用意されてなかったから、俺らもそいつが何者なのかは知らん。写真では偏屈そうなジジイだったぜ。黒山羊はブリッジがそいつの居場所を知っているという手がかりを掴んでいたらしく、直接問い質すために俺らを使った。ここに連れてきてから尋問を始めたんだが、ブリッジは脅したらすぐにそいつの居所を吐いたぜ」 「その写真、見せてもらうことはできますか?」  ガニーは手を振り答える。 「残念だが無理だ。尋問が終わったら写真のデータは消して復元できないようにするってのが黒山羊との約束だったもんでな」  偏屈そうなジジイ……手がかりがそれだけでは誰なのかわかるわけがない。 「そのお爺さんの居場所、ブリッジさんはどこだと言っていたか覚えていますか?」 「あー、吐いたって言っても声に出させたわけじゃねぇんだ。自殺防止用に布を噛ませたままだったからな。スマホを渡して黒山羊にメッセージを送らせたんだよ」 「そのメッセージは今……?」 「もちろん残ってねぇ。黒山羊とのやり取りは終わったら全部消すように言われてたからな。――だが感謝しろ。なんて書かれていたか、俺はきちんと覚えている」 「素晴らしいですね」  ガニーは得意げにその住所をそらんじてみせる。この住所は阿科市の……たしか、高級住宅街のあたりか? 「黒山羊はそのお爺さんに対して何を行うつもりだったんでしょうか?」 「さぁな。予想もつかねぇよ」  ガニーも今更隠そうとはしないだろう。本当に知らないと思って良い。 「あなたは知っているんですか? 黒山羊がなぜその人物を探していたのか」  美夜子はフレイムに問いかけた。フレイムはやや迷うようなそぶりを見せたが……。 「知っている……が。それは言えねぇなァ」 「なぜですか?」 「なんとなく」  真面目に返事をしているとは思えない。おちょくっているのか……? 美夜子は半ばうんざりしながら言う。 「あたしが思うに、少しでも黒山羊の情報を提供して助命を乞うのが得策じゃないですか? 手荒な真似をしたくはないんですけど」 「へぇ、手荒な真似? お嬢ちゃんにそんなことができるのかい?」  美夜子はコートのポケットからコルト・ディフェンダーを抜き、その銃口をフレイムの耳に向けて構えた。そして声を落として言う。 「……できないとでも思った? あんたがあたしの何を知っているっていうの?」 「……それはこちらの台詞だな」 「どういう意味?」 「いや、別に。そう焦るなよ。その爺さんを探した理由は……多分、すぐにわかる。……他の質問はないのか?」  はぐらかされたか……まぁいい。それは後で訊き出すとして、最も気になっていることを尋ねる。 「あたしの実力を図るために事件を起こした……そういう風に言っていましたね。黒山羊はなぜそんなことを?」  フレイムはそれを訊かれるのを待っていたかのように、薄笑いを浮かべた。 「黒山羊は待ちわびているのさ。あんたと対決する、その日を」 「……黒山羊が、あたしと?」 「きっとあんたが黒山羊に対してそうだったように、黒山羊も三年前のその日から一日だってあんたのことを忘れちゃいなかった。この数年、奴は密かに準備をしていたんだよ。あんたとやり合うに相応しい舞台を用意するためになァ」  準備……? 相応しい舞台を? 今まで姿を消していたのは、そのため? 「それはそれとして、あんたの力が衰えちゃいないかと心配もしていた。偽物になっていないか、確かめたかったんだろうぜ」  偽物? 何を言っている。意味不明……。  フレイムはそこで「さて」と区切るように言った。 「俺が話せるのはここまでだ」 「え……? 待って。まだ訊きたいことが――」  美夜子が引き留めようとするのを無視して、フレイムは言う。 「なぁガニー。アンバークラウンはこれからどうするつもりだ?」  ガニーは疑念の目でフレイムを睨んだ。 「なんでそんなこと訊く?」 「あんたのことだ、わかってんだろ? 黒山羊とその組織は元々あんたらを切り捨てるつもりでいた。だからあんたがあてにしていたサポートは受けられない。その仲介をしてきた奴も怪しい。そして今回の事件……ナイツの幹部が死んだ。いくらあんたが伏王会大幹部の実弟だからといって、それだけで切り抜けられるほど甘い状況じゃない。保証しておいてやるよ。今後あんたの口を塞ぐためなら、幾らでも得体の知れない力が動く」 「……それで?」 「俺を助けろって提案だよ。これまでの話でわかったと思うが、俺は黒山羊のことに詳しい。それに仲介役に関する情報だって掴んでいる。俺を助けてくれたら、全部包み隠さずあんたに教えると約束しよう。あとは……そうだな。別の場所に隠してある本物のアイリーン・ヘンリクスだってあんたにやるよ」  マンティスが「偽物だったのか……」と小声で呟く。美夜子自身も見て確かめているが、あれはよくできたイミテーションだと思われた。細かく美しい細工ではあるからそれなりの値段はつくだろうが、本物とは比べるべくもない。  ガニーは忌々しげに鼻で笑う。 「こんな状況に俺らを追いやったのはお前だろうが……。どうして俺がお前みてぇなクズ野郎を信用できると思った?」  フレイムが苦笑する。 「そう言われるとなんとも……。だけど、俺だってこんなところで死にたくはない。情報くらい幾らでも渡すさ。それを上手く使えるかはあんた次第だが……。それとも、いっそナイツを頼るかい? 俺よりは信用できるかもなァ?」 「…………」  ガニーは腕を組み、真剣な表情で考え込み始めた。 「が、ガニーさん? まさか、この男の誘いに乗るだなんて言わないですよね?」  美夜子は焦って尋ねるが、ガニーは答えない。  キーパーがガニーに向かって言う。 「ガニー。こういう時の判断力はお前が一番だ。俺たちはお前の決めたことに従う」  周りのメンバーは不安げにしながらも、頷いた。ガニーは深くため息を吐くと、髪を掻きながら言った。 「……わかった。フレイムを連れてここを離れるぞ。お前ら準備しろ」 「待って!」  美夜子はガニーの袖を掴んで制止する。 「なんだよ?」 「本気なんですか!? そいつは――」 「わかってる。クソみてぇな裏切り者だが、頭が回ることは認めざるを得ねぇ。こいつの言う通り、俺らが助かるには手を組んだほうが得策だと判断した。それだけのこった。それとも、ナイツなら俺たちを助けてくれるって保証でもあんのか?」 「それは……」  黒山羊に騙されていたとはいえ、彼らが自らの意思でナイツに極めて敵対的な行為を働いたのは事実だ。その結果、支部長が一人死ぬような事態にまでなった。大人しく投降したとしてどのような処遇になるか、美夜子にはわからない。だが、このままガニーを行かせることだけはだめだ。 「あたしが……説得します。皆さんに危険が及ばないようにしてみせますから。ナイツ夕桜支社の支社長はあたしの友人だし、あたしだって多少は本部に認められるような功績がある。手を尽くせばきっとなんとか――」 「もういい、禊屋」  ガニーは美夜子の手を振り払って言う。 「甘っちょろいお前の言うことだ、本当に俺たちのために尽力してくれるのかもしれねぇが……やっぱりナイツだけはねぇよ。フレイムの言う通り、こんな状況じゃ俺と淵猿の血縁なんて大した後ろ盾にはならねぇ。ナイツに降ったところで奴らは、俺らを拷問にかけて情報を搾り取ったらあっさり殺す……そんなとこだろうぜ。だからもう――」 「だめです……」 「おい、何のつもりだ?」  美夜子はコルト・ディフェンダーをガニーに向けていた。  こんなことをして何になる? わかっている。でも、方法が他に思い浮かばない。無茶だとわかっていても――止めなくてはならない、絶対に。 「この男……フレイムにはまだ訊かなきゃならないことが沢山あるんです。連れていかれたら、困るんですよ……!」  ガニーは美夜子が構える銃を冷静に見つめる。 「撃つ覚悟のない奴が持ってる銃なんて怖くねぇよ。手が震えてるじゃねぇか」  そこで乃神からの通信が入る。彼は強く言い聞かせるように言った。 『無理をするな禊屋! 行かせていい。奴らとのやり取りは全て録音している。もう充分だ!』  充分じゃない! 全然、充分じゃないッ! 黒山羊の正体に近づく手がかりが……すぐそこにあるのに! どうすればいい……どうすれば……!  シミズたちを合流させたら、乃神と一緒に食い止められないだろうか? いや、だめだ……それは流石に危険すぎる。戦闘慣れしている上に人数で勝るアンバークラウンを止められるとは思えない。  ……このまま行かせるしかないのか? だけど、この機会を逃したら次はいつになるか……。何か方法が……。 「……意地でも止めてやるって顔だな」  ガニーは呆れたように言うと、美夜子から視線を外し、誰かに目で合図をした。 「禊屋さん、危ねぇッ!」  グッドラックが叫ぶ。間を置くことなく、美夜子の横合いからキーパーが一気に詰め寄ってくる。そしてその太い腕が美夜子を掴もうと動いた。 「きゃっ!?」  美夜子はすんでのところで躱したが、床に尻もちをつき、銃を落としてしまう。更に通信用の無線イヤホンが耳から抜けて離れたところまで転がってしまった。キーパーは勢い余って傍らにあった机にぶつかりひっくり返したが、まるで気にした様子もない。そのまま美夜子が落とした銃を蹴飛ばして、美夜子の手が届かないよう誰もいない反対側の壁際に追いやった。  ガニーが言う。 「厄介な女だ。放っとくとどんな邪魔してくるかわからねぇ。……が、お前の世話になったのも事実だ。だから殺しはしないでおいてやるよ。――キーパー、そいつも縛っておけ」 「わかった」  キーパーが仲間から渡されたロープを手にして、近寄ってくる。逃げようとしても、身体が震えてもう動けなかった。逃げられたとしても、何の解決にもなりはしないが。 「うっ……くっ……」  悔しさで涙が込み上げてくる。ずっと追い求めていたものをやっと掴みかけていたのに、それが手からこぼれ落ちて消えようとしている。あたしの力が足りないから、また失う。どうしようもない無力感で、眼の前が真っ暗になりそうだった。  その時――外のどこかで、音がした。おそらくそれは――銃声だった。立て続けに2発、鳴り響く。 「何の音だ?」  ガニーが警戒するように言う。それにスパークが返した。 「銃声……それも拳銃じゃなくて、ショットガンみたいな音じゃなかったか?」 「その女の仲間が何かやったか?」  キーパーが言うと、一同の視線が美夜子に集まった。わからないが……その可能性もある以上は、何も言わないでおいたほうがいいだろう。 「それだったら敵は大した数じゃねぇ。俺らでどうとでもなるだろう。他の可能性は……」 「じゃあ、別働隊?」  タミアスが言う。アジト周辺を遠くから囲むように待機している部隊のことだろう。シミズたちがその部隊に見張られているという話だったが、何かあったのだろうか? イヤホンが抜けてしまったので何か報告があったとしても受け取ることができない。  ガニーはスマホを確認して言う。 「何の連絡も来てねぇが……当然か。そもそもあいつら、黒山羊の伝手で呼ばれた連中なんだしな。俺たちを狩る側になったとしても何もおかしくねぇ」 「ここに攻めて来るってことか!?」 「それはわからんが……だとしても、わざわざ外で発砲する意味はねぇだろ。フレイム、お前何か心当たりはねぇのか?」  フレイムは「いや、何も」とシンプルに返す。 「……とにかく、様子を見に行ったほうが良さそうだ。場合によっちゃ、そのまま逃げるぞ」  ガニーがドアに向かおうとすると、それをキーパーが呼び止めた。 「ガニー。俺はこの女を縛ってから行く。仲間と先に行ってくれ」  それから付け加えるように言う。 「それと、危なそうなら俺のことは置いていっていい。その時は俺が敵の注意を引き付けておく」  ガニーは「はぁ?」と表情を歪める。 「アホか。お前がいなきゃ面倒くせぇ仕事やる奴がいなくなっちまうだろうが。フレイムはお前が連れてこいよ。いいな、キーパー?」 「……わかった」 「よーし、行くぞお前ら! それとマンティス! 後で殺されたくなかったら死ぬ気で働けよ!」  ガニーと仲間たちは、キーパーとフレイムを残して監禁部屋を出ていった。 「……信頼されているんですね。他の仲間とは違う感じ。あなたが副リーダーだから?」  美夜子はキーパーに向かって言った。 「奴とは古い間柄になる……。あんた、禊屋といったか。悪いことは言わない。抵抗しないでくれ。すぐに助けが来るはずだ」  キーパーがロープを縛ろうと美夜子に近づく。その時だった。 「――らぁッ!!」  グッドラックが走り寄ってくる勢いのまま、キーパーの横面を拳で殴り飛ばした。キーパーの巨体が仰向けに倒れる。その弾みで彼が腰元に挟んでいたハンドガンが転がっていった。 「ぐっ……!? 貴様、なぜ……」  キーパーは殴られた頬を押さえながら起き上がる。そしてグッドラックが先程までいたあたりを見て、納得したようだった。そこには切断されたロープと、ブリッジ殺害に使われた凶器のナイフが転がっていた。さっきキーパーが机をひっくり返した時、その上にあったナイフがグッドラックの近くに転がっていったのだろう。彼はそれを密かに手に取り、ロープを切って拘束を脱したのだ。 「グッド君、何を――!?」  美夜子も突然の出来事に動揺してしまう。グッドラックはキーパーから目線を外さないようにしながら、キャップ帽を深く被り直す。 「禊屋さん。俺、正直この状況よくわかってねぇんすけど……あのフレイムって男を逃がすわけにはいかないんすよね? だったら、奴らが離れた今がチャンスだ。こいつさえ何とかすりゃあ、フレイムを奪えるかもしんねぇ。どうっすか!? 俺、何か間違えてますか!?」 「ま、間違っては……いないけど」 「よっし! じゃあ俺が何とかしますんで……禊屋さんは下がっててください!」 「無茶だよ! だってその人は――」 「Bランクのヒットマン、でしょ? 大丈夫! 俺だって喧嘩はかなりつえーんだ! 負けやしねぇ!」  グッドラックはすっかりやる気で、興奮した雄牛のようだった。止めたとしても聞いてくれそうにない。 「面倒なことになったな……」  キーパーは呆れたように言いながら、腰のホルスターから大ぶりのシースナイフを抜いた。それを右手で逆手に握り構えると、グッドラックに向けて言う。 「邪魔をするなら殺す。文句はないな?」 「へっ……やれるもんならやってみな」  キーパーが飛び出した。 「なっ――はや――!?」  その巨体からは想像もつかないようなスピードでグッドラックに迫る。一瞬で距離を詰めて、ナイフを構えた剛腕を振り抜いた。頸動脈を狙った一撃を、グッドラックはなんとか身を反らして躱した。  キーパーはすかさず腕を引き戻し、相手の胸を突き刺しにいく。 「あぶねっ!」  グッドラックはその腕をギリギリで払いのけ、前蹴りを当てる。しかしキーパーの巨体はその衝撃をものともせず、グッドラックの胸ぐらを空いた手で掴むとその剛力で身体ごと床に叩きつけた。 「ぐあっ……!」 「終わりだ」  キーパーはグッドラックに馬乗りになり、ナイフを胸の上で構えた。このままではグッドラックが殺される――何か……何かできることはないのか!? そして美夜子は、足元にあった〝それ〟を目に入れた。これでどうにかできるのか? いや迷っている時間はない――美夜子は無我夢中でそれを投げた。  キーパーのナイフがグッドラックの胸に突き立てられる、その寸前――美夜子が投げた鉄パイプが、ナイフの刃先に直撃した。 「むっ!?」  不意の攻撃にキーパーの手から弾き飛ばされたナイフが、床を転がっていく。 「うおっ! 禊屋さんスーパーアシスト! サイコーっす!」 「いいから早く起き上がって!」 「了解!」  グッドラックはキーパーの顎に掌底を食らわし、続けてこめかみを鉄槌打ちにした。 「くっ……!」  キーパーの身体がよろけ、その隙にグッドラックは身体をすり抜けさせて起き上がった。 「グッド君! その人、多分左膝が悪い! 狙ったら勝てるかも……!」  美夜子は調査中、キーパーが左膝を庇うような動きをしていたことを思い出して言う。  グッドラックは呼吸を整えながらキーパーを睨みつけた。 「ちっくしょー……悔しいけど。思ってたよりずっとあんたつえーからさ。仲間の助けも借りるし、弱点だって狙わせてもらうぜ」 「……わざわざ宣言するとは、変なところで真面目なやつだな。好きにしろ。その程度で俺は負けん」  お互いが素手で構える。その時――建物が小さく揺れるほどの轟音が鳴った。 「うおっ!? な……何の音だ!?」 「玄関の方、か……?」  グッドラックもキーパーも、その音に驚き困惑しているようだった。今の音……何か大きなものが壁にぶつかってきたみたいな……。  続けて、先程聞こえたのと同じような銃声が鳴り響いた。外でいったい何が起こって……? 「あまりモタモタしてはいられないようだ。さっさと終わらせるぞ」  キーパーが言うと、グッドラックに攻撃を仕掛けてくる。剛腕から次々に繰り出されるパンチをなんとかブロックしていくが、やがてその隙間をすり抜けて、ボディブローが深々と突き刺さった。 「くぁっ……!?」  気道から漏れ出たようなか細い声とともにグッドラックの目が大きく開かれ、そのダメージの深刻さを物語る。キーパーのもう一方の拳が、グッドラックの顔面を狙う。目の前で、巨大なバリスタが矢を引き絞っているかのような圧力。あの力だ。本気の一撃を顔面でまともに食らったら、きっと命がない。 「やっべ……」  とは言っても、グッドラックにそれを避けるだけの余力はなかった。――だからそれは偶然、運が彼に味方したに過ぎない。グッドラックは、彼の足元にたまたま散らばっていた――もとい、美夜子が先程ぶち撒けた――粉末洗剤で足を滑らせたのだった。グッドラックは床に尻もちをつき、キーパーから放たれた太矢のようなパンチは、グッドラックのキャップ帽をかすめて床に落とすだけに留まった。 「チィッ……!」  力を込めた一撃を、予想外の方法で躱されたキーパーは体勢をぐらつかせてしまう。その隙を、グッドラックは見逃さなかった。すかさずキーパーの左膝を狙って押し出すように蹴り飛ばす。 「ぐぉっ……!?」  キーパーの表情が苦痛に歪んだかと思うと、バランスを崩して倒れ、床に手をつく。そして次の瞬間――キーパーは、グッドラックの渾身の飛び膝蹴りを顔面に受けて、吹っ飛んだ。 「はぁ……はぁ。よーっし! 今のは効いたろ」  グッドラックは顔にかいた滝のような汗を袖で拭いながら言う。しかし……キーパーが起き上がるのを見て表情を青ざめさせた。 「えぇ……うっそだろ……」 「思っていたより、やるものだ」  キーパーは鼻に溜まった血を息とともに噴き出すと、残りを手で拭って言った。鼻の骨が折れているようだったが、意に介さずといった様子だ。  グッドラックは再び構えながら、キーパーに向けて言う。 「いや、マジでさ……俺、驚いたよ。色んな奴と喧嘩してきたけど……あんたがぶっちぎりで強い」 「そうか。お前も大したやつだ……と言ったほうがいいか?」 「それは……俺があんたに勝てたら、言ってもらおうかな」  再び二人が組み合おうとした、その時――監禁部屋のドアが勢いよく開かれた。そこに立っていたのは、白いロングコートを着た長身の男だった。 「…………」  男は黙ったまま、部屋にいる者を順に見ていく。グッドラックとキーパーも、突然の乱入者に驚いている様子だ。  美夜子は初めて会う人物だった。歳は20代後半くらいか。髪はグレー色でやや長め、顔は肌白くすっきりとした美形ではあるが、観察するようにこちらを見る目には、どこか澱みのようなものが窺える。そして、彼の左手にはシトリ725――上下2連式ショットガンが握られていた。  男は美夜子に目を留めると、尋ねてきた。 「ナイツ夕桜支社の禊屋さん、ですね?」  言葉は丁寧だったが、薄ら寒さを覚えるような冷たい声だった。 「……そう、ですけど」 「怪我などは……ないようですね。ご無事で何よりです」 「あなたは……?」  尋ねると、男はかしこまった礼をして言う。 「申し遅れました。私は『暗月』に所属する者で――『ダスク』と呼ばれております」 「本部の特殊部隊……!?」  暗月――ナイツの会長及び会長補佐直属で、組織でもトップクラスの実力を持つヒットマンで構成された部隊。ボディガードから特殊工作活動、暗殺まで仕事内容は幅広い――とされているが、実情は美夜子もあまり知らない。暗月の仕事はナイツでも殆どがシークレット扱いだからだ。だが、ダスクという名前は聞いたことがある。 「〝灰狩り〟ダスク……」 「おや、その名前をご存知とは。汚れた名とはいえ、光栄の至り……ですね」 「あっ、すみません……」 「いいえ、お気になさらずに。私自身、その名に誇りを持っております故に」  灰狩りの灰とは……白と黒の中間、つまり裏切りの容疑がかけられた者のことを指す。ダスクは組織の裏切り者を粛清する処刑人なのだ。  ダスクは椅子に座ったブリッジの遺体を見て、僅かに目を細めた。  まずい……乃神はブリッジが死んだことをまだ本部に連絡していない。事件は解決したとはいえ、この場でその経緯を説明して納得してもらえるかどうかは……。  しかしダスクの反応は意外なものだった。 「ブリッジ支部長は助けられませんでしたか……残念ですが、死んでしまったものは仕方ありませんね。詳しい報告はまた後で聞かせてもらいましょう」  それだけ……なのか? 支部長クラスの人間が死んだことを知って、こんなにあっさりなんてことがあるだろうか? 美夜子は何か引っかかるものを感じたが、別の声に意識を逸らされる。 「貴様……ナイツの特殊部隊が、なぜここにいる?」  キーパーが警戒心を剥き出しにして問いかけた。ダスクは表情を一切変えず、答える。ただし、その口調は美夜子に対する丁寧なものとは全く違う。 「アンバークラウンのキーパー、か。決まっているだろう。お前ら害虫を掃除しに来たんだよ」 「なに……?」  キーパーはそこでハッとする。 「待て……。貴様、どこから入って来た? ガニーたちは……」  ダスクは記憶を辿るように目線を浮かせながら言う。 「ガニー……ああ、リーダーだったな。革のジャケットを着ていた……あと、顔は……わからなかったが。あれが多分そう……」  わからなかった……? 「ガニーたちに、何をしたんだ……?」  キーパーの呼吸が早まっている。彼が感じているであろう嫌な予感が、美夜子にも伝わってくるようだった。  ダスクは平然として、答えた。 「当然――全員殺したが?」
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