第五章『後始末』

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 車の後部座席で、どれくらいの時間、俯いていたのかわからない。多分、30分くらいだと思う――美夜子はドアが開く音を聞いて、一瞬で普段の自分に切り替えた。 「もういいの? お説教された?」  ドアを開けたのはグッドラックだった。 「あ……はい。乃神さんにしこたま絞られたっす。帰ったらまだ続きがあるとか言われて……」  グッドラックは気恥ずかしそうにしながら、美夜子とは反対側の後部座席に乗り込む。ダスクに蹴られた鼻にはガーゼを詰めていた。骨折している可能性もあるので帰ったら医者に診てもらった方が良いだろう。もちろん、撃たれている腕の傷も含めて。 「シミズさんのチームは近くをぐるっと周ってるとこみたいです。アンバークラウンの別働隊の気配はもう感じられないけど、何か見つかるかも知れないし一応確認しておくって。シミズさんたちが戻ってきたら帰るって乃神さんが言ってたっす。コトブキさんとあと、ええっと……岸上社長?への連絡も一通りは終わったみたいで」 「そう」  薔薇乃ちゃん、今日中には出張から戻るって話だったかな。今日あったこと、あたしからも相談しておきたいけど……疲れているだろうし、明日のほうがいいかな。  ……少し時間を置いたほうがいいかもしれない。薔薇乃の体調のこともあるが、何より自分がまた冷静じゃいられなくなってしまいそうだから。 「あの……禊屋さん」  グッドラックが緊張したように言う。鼻にガーゼを詰めているせいで鼻声だから、やや聞き取りづらい。 「ん? どうしたの?」  美夜子が尋ね返すと、グッドラックは両膝にそれぞれの手をつき、こちらに向かって深々と頭を下げた。 「この度は……ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした!!」 「え。えぇ……?」 「俺がキレて暴走したせいで、こんな事件が起こるきっかけを作っちまった……全部俺のせいだ!」  グッドラックは膝の上で拳を握りしめ、申し訳なさと不甲斐ない自分への悔しさを堪えているかのように表情を歪ませる。 「それは……あのフレイムって奴が仕組んだことだったわけでさ。あいつ自身も、その裏にいる奴も、かなり頭のキレる犯罪者なんだよ。君がどう動いたとしても、似たようなことにはなっていたかも。少なくとも、全部が君のせいってことはないよ」 「じゃあ、俺の責任を割合で言うならどれくらいになりますか!?」 「ええと……三割?」 「まぁまぁあるな……いやわかってたことっすからいいんです! ――とにかく、禊屋さんが助けてくれなきゃ、俺は今日だけで4回は死んでたっす。本当に、なんてお礼を言えばいいのか……」 「ん……あれ? あたし4回も助けた?」 「はい。事件の犯人を見つけて俺の濡れ衣を晴らしてくれたこと。キーパーとの勝負中、鉄パイプを投げて援護してくれたことと、禊屋さんが洗剤を撒いておいてくれたお陰で、俺が転んであいつの攻撃を避けられたこと! そしてダスクって奴が俺を殺そうとした時、フォローしてくれましたよね。合計4回っす!」  洗剤は君が勝手に踏んで勝手に転んだだけでしょ……と思うが、キラキラした目で感謝の意を伝えてくるグッドラックを見ると訂正するのも気が引けるので、過失的救助――故意ではないため――を認める。 「――あのさ、グッド君。一つ訊いてもいい?」  美夜子が言うと、グッドラックは居住まいを正して聞く体勢になる。 「あ、はい。なんでしょう?」 「ダスクさんに殴りかかっていったでしょ。どうしてあんなことしたの? ――あ、違うの。そんな怖い上司に自分のミスについてねちねち詰問されてる時みたいな顔しないで? 責めてるわけじゃないから」  グッドラックはやや気まずそうに頷く。 「あそこで俺がキレる理由ないだろって話っすよね。わかります。あのダスクって奴はなんだかいけすかねぇ野郎ではあったけど、ただ仕事をしただけ……いや、それどころか俺たちを助けてくれた恩人だ。あれは俺が100パー悪いっす。  ……冷静じゃなかったんです。アンバークラウンみたいな悪党の集まりだ、殺されて当然のことをしてきただろうし、キーパー本人も言っていた通りいつか殺されるって覚悟もしていたんだろう。俺も人伝にそんな奴らが死んだって聞いただけなら何とも思わなかったと思います。でもあの時、キーパーが目の前で――それこそダスクの言った通り害虫みてぇに簡単に殺されて……俺は〝惨い〟って思っちまった。あいつらがどういう連中なのかとか、俺たちが何をされたのかとか、そういうことは関係なくて……あんな簡単に人が殺されたことが俺はショックだった」  グッドラックはキャップ帽を深く被り直し、苦笑した。 「笑っちまいますよね。殺すも殺されもする仕事だって散々聞いてたはずなのに、そのくらいのことであんなに動揺して……情けねぇ」  しかし段々とその声に力がこもる。 「――でも、あんなのはこれっきりです。考えなしに感情だけで動くバカ野郎のグッドラックは今日死んだ。もう一度鍛え直して、今度は禊屋さんの役に立てるように頑張りますから!」  そう言って、グッドラックは握り拳にぐっと力を入れる。落ち込んでいないわけではないようだが、既に彼なりに切り替えていこうとしているようだ。真っ直ぐな心根には危うさを感じるが、意志の強さもあると見える。  美夜子はグッドラックを見て、頷く。それならもう言うことはない。あとは「わかった。今後ともよろしくね」と握手でもすればそれで終わりだ。しかし――口をついて出てきたのは違う言葉だった。 「……殺せるの?」 「えっ?」 「あたしの役に立てるようにって言ったけど…………例えばあたしが任務中に誰かに殺されそうになった時、君はその相手を殺せるの?」  グッドラックの瞳が僅かに揺れたように見えたが、彼ははっきりと答えた。 「……殺します。そういう仕事なんで。仕事に誰のためとかは関係ねぇけど……禊屋さんのためなら俺は、少なくとも迷いなくやれると思います。命の恩人っすから」 「………………そう。なら、いいや」  消え入りそうな声で返すのがやっとだった。目眩がして、美夜子はグッドラックに悟られないようにゆっくりとドアに寄り掛かるように頭を預ける。グッドラックとのやり取りを打ち切りたくて窓の外を見るふりをしながら、息を吐いた。  ……最悪の気分だ。吐き気がする。なんでそんなことを言わせてしまったんだろう。グッドラックの覚悟を確かめるため? 生半可な気持ちでいれば、彼自身が危険だから?――何を偉そうに。その覚悟ができていないのは、他ならぬ自分だ。  事実、この両手は今まで一度も血に塗れたことはない。いつだって誰かに守ってもらいながら、他人の罪を暴いてその相手を破滅に追い込んできた――自らの手は汚さずに。自分は卑怯者だという思いが常にある。それが「禊屋」に与えられた仕事なのだから仕方がない――それを言い訳にして、人の死を背負うことに目を背けているからだ。そうしなければ、きっと続けてはいられなかった。  それでも続けなければならない。願いを叶えるためには悪魔の力が必要だから。それが薔薇乃と交わした〝契約〟だから。彼女のためにこの能力を役に立てられるとしたら、このような形しかないだろう。それに、既に充分すぎるほど身内贔屓をされている自覚はある。  だからこそ、今回の自分の不甲斐なさを情けなく思う。勢いに流されグッドラックに戦わせてしまったものの、彼がキーパーに勝ったとしてもフレイムを連れて無事に脱出できた保証はない。ダスクが来ていなければ、フレイムを捕らえることすらできなかったかもしれないのだ。覚悟を決めていたつもりが、甘かった……黒山羊のことに意識を取られすぎて、隙を作ってしまった。  それに、アンバークラウンのこと。ダスクの任務は理解しているが……それでも、自分が上手くやれていたらもっと穏便に、彼らを死なせない方法もあったのではないかと思わざるを得ない。  美夜子は建物を出る際に見たアンバークラウンメンバーたちの凄惨という他ない死に様を思い出して、表情を更に曇らせる。渋々ながらも調査に協力してくれて、最後には認めてくれたガニー……彼の遺体は、人の形を保てていなかった。 「ごめんなさい」  殆ど息を吐くだけのような、誰にも聞こえない声で呟く。黒山羊は自分をテストするために今回の事件を起こしたと言っていた。それが本当なら、彼らがナイツの敵になりそして殺される結末となった遠因の一つは自分なのではないか。薔薇乃や乃神に話せばきっと、考えすぎだと言われるだろう。それでも謝らずにはいられなかった。  頭を寄り掛からせていたドアの窓を、トントンと誰かが指で叩く。視線だけ動かして見ると、乃神だ。彼は手で「車の外に出てきてくれ」というようなジェスチャーを送る。  気持ちが落ち込んでいて身体も非常にだるかったが、気力で無理やり起きてドアを開けて出た。乃神は美夜子の顔を見てぎょっとする。 「……大丈夫か? ひどい顔だぞ」  知ってる。きっとビリジアングリーンの顔色をしていることだろう。 「ちょっと疲れだだけだから平気。それで、何か話したいことでもあるの?」 「シミズさんたちから連絡があった。アンバークラウンの別働隊――奴らの話では、黒山羊が派遣した者たちということだったな。周囲一帯をざっと捜索したが、既に撤退したと見て間違いないらしい。痕跡らしいものもとくに見当たらず。やはりプロの集団だな」 「そう……」  気になっていることがある。黒山羊は、こちらが調査を終えたのとほぼ同じタイミングであの『挑戦状』を送ってきた。あれが偶然とは思えない。つまり、こちらの状況をほぼ正確にモニタリングできるような仕掛けがあるということだ。  フレイムを含め、アンバークラウンの中に黒山羊はいなかった。――となると考えられるのは一つしかない。今はもう外しているが、美夜子は調査の間、コートの襟に付けた小型マイクを通して自分と周囲の音声を乃神とシミズに共有していた。二人のうちどちらかが黒山羊だとすれば、音声から調査の進捗を把握して、然るべきタイミングであのメッセージを送ることは可能だった。  しかし、その推理は正しくない。ブリッジの誘拐が実行されたのは昨日の夕方――黒山羊も昨日、アンバークラウンと密に連絡を取り合って計画について打ち合わせをしたはずだ。おそらく同時進行で、フレイムにもどのような事件を起こすかプランを伝えていたと考えられる。黒山羊がいくら天才的な頭脳の持ち主だとしても、それに取り掛かっていては他のことなどできたはずがない。  美夜子は昨日も乃神・シミズの二人と一緒に任務をこなした。今日ほどハードではなかったが、合間にメッセージのやり取りなどしていられるほど余裕があったわけでもない。よって、二人が黒山羊だとは考えられなかった。何より、何度も組んで仕事をしている二人からそのような気配を感じたことがないというのも、その説はないと考える大きな理由だった。  では、黒山羊はどうやってこちらの状況を把握していたのか……。気が付かなかっただけで、あの建物内には小型のマイク付き監視カメラなどが幾つも仕掛けられていた? 流石に無理があるか。幾つか部屋を詳しく調べたが、それらしいものは一つも見当たらなかった。他に考えられる方法は…………あるのだろうか? わからない。 「――おい。聞いているのか?」  乃神がムスッとした顔をして言う。何か言っていたようだ。美夜子はハッとして、 「ごめん。考え事してた。なに? シミズさんの話だっけ?」 「それとは別だ。お前が調査している間、俺に電話があったことを覚えているか?と訊いている」 「あー、うん。覚えてるよ。任務とは関係ないことだって言ってたよね?」  だから内容も聞かなかったのだが……。 「そうだ。だが関係ないというだけで、重要な報告には違いなかった。疲れているところ悪いが、お前には伝えておいたほうが良いと思ってな」 「なんだったの……?」  乃神は眼鏡の鼻あてを押し上げ、一呼吸置いてから続けた。 「酒旗秀典(さかばたひでのり)氏……知っているな?」 「え?」  あだ名ではなく本名を聞いたのは久々だが、彼のことなら今日も思い出したばかりだ。 「うん。もちろん知ってるけど……」 「殺された」 「……は?」 「酒旗氏を保護していた阿科支部からの報告だった。阿科支部では酒旗氏が住む邸宅の隣家など近くの複数の地点に、交代制で警備の人員を置いていた。警備担当者が定時確認のため連絡したが電話の電源が切られていて反応がなく、氏の邸宅内へ様子を見に行ったところ、既に殺害されていたとのことだ。警備の隙を突かれて何者かが侵入したと考えられる。遺体は刃物で胸を一突きにされていたらしい。  殺害前後の時間の監視カメラのデータは消されていた。更に、その時間を担当していた警備チームの人間数名と連絡が取れない。おそらくその中の誰かが殺害を手引きしたのだろう。あるいは殺害の実行犯だったかもしれない」  情報の濁流に美夜子は頭が混乱しそうだった。 「ちょ……ちょっと待って? 酒旗さんが死んだって、だって今日……」 「やはりお前も聞いていたか。そうだ、酒旗氏は今日の正午あたりまでは生きていたことが確認されている。アリスと行っている研究について、ネット通話での話し合いを終えたのがその時間。そしてそれから数時間後に……殺されたことになる」 「アリスは……知ってるの? 『ハカセ』が死んだって……」  乃神は目線を外しながらぎこちなく頷いた。 「さっきそれを確認するついでに、伝えてはおいた。アリスがどう受け止めたかはわからないが……。正直俺は彼女らの関係についてあまり詳しくない。フォローを任せてもいいか?」 「わかった……」  『ハカセ』が死んだ……アリスが心の底から信頼を置いていた人だったのに。アリスの胸中を思うと、美夜子自身の胸も張り裂けそうになる。今すぐにでも飛んでいって彼女のそばにいてやりたい。  ……だが、その前に確認しておかなければならないことがある。 「乃神さん。酒旗さんは阿科支部で保護されていたって言った? あたし知らなかった」 「ああ、俺も報告を受けて初めて知った。酒旗氏の所在地を知っていたのは、三年前に保護を手配した岸上社長と、それを請け負った支部長ブリッジを含む阿科支部の幹部数名だけだそうだ。この報告自体も本来は岸上社長へ行くはずだったが、多忙のためか応答できなかったらしく、俺に回ってきたということだった」  夕桜支社内でアリスに接触できる人間は限られる。大多数は彼女があのビルの地下で生活しているということすら知らないのだ。乃神はその数少ない一人であり、彼女に関係することについて裁量権を一部持っている。そのため乃神へ報告が行ったのだろう。  酒旗はアリスと同じく『ある事情』で世間から身を隠していた。アリスと離れた場所で保護されていたのは、それにもまた理由があるのだが……そこが阿科であることは美夜子も知らされていなかった。 「……でも、酒旗さんの所在地を知っていたのがそれだけってことはないでしょ? 交代で警備をしていた人が複数人いたわけだから、少なくともその人たちは知っていたことになる」  乃神は首を横に振る。単に言葉の綾かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。 「酒旗氏は偽名を使って生活していたらしい。だから警備に関わる者は幹部を除いて、酒旗氏を謎の老人男性としか認識していなかったということだ」 「ふぅん……――待って」  美夜子の脳裏に一つの閃きが生まれる。しかし、本当にそうだとしたら……更にわけが分からない。 「乃神さん……その話、本当に今回の件と関係ないのかな?」  乃神はその質問が来ることを予期していたようだった。 「ああ……無関係、報告を受けた時点ではそう考えていたんだがな。俺もガニーのあの話を聞いて、もしやと思った。確信は持てなかったが……つい先ほど、阿科支部に確認してわかった。酒旗氏が阿科支部で保護されながら生活するにあたり使っていた住所は――ガニーが言っていたものと一致した」 「そんな……」 「黒山羊はアンバークラウンを使ってブリッジを誘拐させ、酒旗氏の居場所を特定したんだ。そして、支部長が誘拐されたことによる指揮系統の混乱に乗じて警備チームにスパイを紛れ込ませ、まんまと酒旗氏を殺害した。こんなところだろう」  自分の考えとも一致していた。美夜子は髪をかき乱しながら思案する。 「でもそれなら、黒山羊はなんで酒旗さんを狙ったの……?」 「さぁ、わからないが……酒旗氏といえば、やはり例の研究に関係することなんじゃないのか?」  黒山羊は酒旗の研究を妨害したかったのか? それとも、その成果を奪いたかった? 現場を調べてみなければそれはわからない。だがもし研究関係だというのなら、どちらにせよ一つだけ言えることがある。  黒山羊はその研究内容を知っているのだ。かつて存在した、『理想郷のためのプログラム』――人工知能『ALICE(アリス)』を再現するための研究を。
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