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深夜。とある高級ビシネスホテル、高層階の部屋――
「――淵猿の処理は問題なく終わったんだな?」
スーツ姿の男が二人、話していた。一人は痩せ型の白髪頭に眼鏡を掛けた初老の男で、アームチェアに座っている。もう一人は背の高い黒ニット帽を被った30代くらいの男で、手を後ろに組んで眼鏡の男の前に立っている。
眼鏡の男の問いかけに、ニット帽の男が口を開く。
「はい。淵猿は独自の銃器及び爆薬の入手ルートを持っており、かねてから主戦派で知られていました。淵猿は実弟でもあるアンバークラウンのガニーを便利に使っていましたが、ガニーの方は待遇に不満があったようで反抗的でした。扱いに困った淵猿は、ガニーを体よく使い捨てる方法を思いついた。黒山羊と共謀し、アンバークラウンを動かしてブリッジを誘拐させたのです。その後、アンバークラウンとブリッジをまとめて抹殺することでナイツとの戦争のきっかけを作ろうとした。――が、それを実行する前に目論見が露見してしまったため、逃亡。しかし逃げ切れないと悟った淵猿は自ら命を絶った……そういうストーリーです。そろそろ捜索部隊が死体を見つけた頃でしょう」
「余計な痕跡は何も残していないのだろうな?」
疑り深く尋ねる眼鏡の男にニット帽の男は大きく手を広げ、薄く笑って答える。
「お言葉ですが九曜(くよう)様。私が貴方の依頼でこのような汚れ仕事を何度やってきたとお思いですか? この『クロウ』に失敗は一度だってなかった。そうでしょう?」
「うむ……それはわかっている。つつがなく終わったのならそれでいい」
「では、早速報酬の話に移らせていただきたいのですが……」
そこで、九曜の携帯が鳴り出す。ポケットから携帯を取り出すと、九曜は「少し待て」と言って立ち上がり、窓際へ移動した。この部屋は南側が床から天井まで続く一面の窓ガラスとなっており、無数のビルが立ち並ぶ街の夜景を存分に見渡せるようになっている。ただし九曜が窓際に立ったのは夜景を楽しもうとしたわけではなく、単に会話をクロウに聞かれたくないと思ったからだ。ディスプレイに映った番号には見覚えがあった。
「……私だ」
『こんばんは。九曜総本部長。ご機嫌いかがですか?』
緊張感のない挨拶に九曜は顔をしかめたが、言葉には出さなかった。
「黒山羊。約束通り私は貴様とアンバークラウンを引き合わせ、その後の欺瞞工作まで手を貸してやったぞ。次は貴様が約束を果たす番だ」
『承知しています。約束のデータの残り7割は、今から送る場所に既に置いてありますので。どうぞご自由に』
黒山羊から地図の画像と複数の番号の組み合わせが送られてくる。暗証番号式ロッカーの位置と解除番号を示すものだろう。
『これであなたは前払いで渡した分と含め、ナイツ幹部24名分の個人データを手に入れたことになります。ナイツ全体からするとほんの一部ではありますが、そのデータだけでも先方との交渉は非常に有利になることでしょう』
九曜は当然前払いとして受け取ったデータを検証したが、信憑性があるものだった。そのデータには、ナイツ幹部の居住地及びセーフハウスとして利用している場所の位置まで含まれている。黒山羊が一体どうやってそのデータを入手したのかは気になったが、黒山羊にそれを明かすつもりはないようだった。
九曜は黒山羊に尋ねた。
「――なぜ私を選んだ?」
『と、言うと?』
「貴様はブリッジの誘拐にあたって完璧な計画を立てていた。あれならアンバークラウンを使わずとも、貴様の私兵で事足りたはずだ」
『アンバークラウンを選んだのは、程々の実力があり、且つ使い潰せる駒が欲しかったという需要に一致しただけのことです。それに、伏王会総本部長という立場にありながら野心家でもあるあなたと縁を結んでおきたかったというのもあります。あなたほどの人にコンタクトを取るのは少々骨が折れましたが、価値はあった』
「私に何を期待している?」
電話向こうの声が「はは」と軽く笑う。
『そう警戒しないでください。あなたはそのデータを使ってナイツの注意を引いてくれればいい。使い方は任せますよ。そうしてくれればこちらも目的を果たしやすくなりますから』
「私がすぐに動くとは限らないぞ」
『それならそれで構いません。あくまで万全を期すためのちょっとした調整のようなものですから。あなたの協力がなくとも、止まる気はありません。実際に、今夜にも3つの花火を打ち上げる予定です』
「花火……?」
『明日になればわかりますよ』
黒山羊は、何か大きな事件を起こすつもりのようだ。おそらくナイツに対する何か……。
『一つだけ約束をしてくれませんか。あなたが協力するしないに関わらず、こちらからはあなたの邪魔をすることはありません。その代わり、あなたにもこちらの邪魔はしないでいただきたいのです』
「……わかった」
九曜は慎重に考えながら答えた。ナイツを掻き乱してくれるというのなら、こちらにとっても都合が良い。ただしもうしばらく様子見をする必要がある。
『ありがとうございます。では最後に、忠告を』
「忠告?」
『伏王会筆頭差配――名前は神楽(かぐら)でしたか。彼女にはご注意を』
九曜は驚いて一瞬言葉に詰まる。思いもしなかった名前が出てきた。伏王会現会長の孫であり、既に死去した前総本部長の娘――若くして筆頭差配、すなわち組織のナンバー2の座に上り詰めたのに彼女の血筋が影響しなかったとは思わないが、間違いなくその実力も本物だった。――疎ましいことに。
「神楽だと? なぜだ?」
『あの勘の鋭さには以前に手を焼かされたことがありましてね……もう随分昔のことになりますが。彼女ならば、あなたの危険な野心を嗅ぎづけるやもしれません』
神楽は黒山羊と接触したことがあるのか……? 昔とは一体いつのことだ?
『それでは九曜総本部長。またこうしてお話できることを願っております』
問い質す間もなく、黒山羊の方から電話を切られた。
……まぁいい。神楽に気をつけろだと? 成果を上げればあの小娘だって文句は言えまい。邪魔をしてくるようなら叩き潰してやるまでのこと。地位はともかく、手練手管ではこちらのほうが上だ。
九曜は携帯をポケットに仕舞い、クロウに向き直った。
「すまなかったな。報酬の話だったか――」
と言いかけたところで、また電話が鳴り出す。クロウは呆れたようにしながらも、「どうぞ」と手でジェスチャーをする。
黒山羊がかけ直してきたのかと思ったが――違った。ディスプレイの表示を見て、九曜は一瞬目を疑う。どうしてこんなタイミングで……?
「……はい、九曜です」
応答すると、静かながらもどこか冷え入るような凄みのある女の声が聞こえた。
『神楽だ。今、どこにいる?』
子飼いの殺し屋と待ち合わせるためホテルに……とは言えないか。
「今日は帰宅したところですが、何かありましたか?」
『行方をくらませていた淵猿が見つかった。奴が使っていたセーフハウスの一つに隠れていたようだが、自殺したらしい』
「そうですか……。本人に事実確認ができたら良かったのですが、仕方がありませんね」
『驚いていないようだな』
「充分予想できたことですから」
疑われているのか? いや、確証があるとは思えない……探りを入れてきている?
神楽はそのまま話を続ける。
『実は淵猿の自殺には不審な点がある。少なくとも半日ほど、拘束されていたような痕跡が身体に残っていた』
そんな痕跡が……? クロウが見逃したか? それとも、ハッタリで揺さぶりをかけて来ているのか……?
「つまり……何者かが淵猿を自殺に見せかけて殺した可能性があると?」
『殺しだったとすれば、その犯人……あるいはそれを指示した者こそが黒山羊との内通者に違いない。淵猿がそうであると見せかけた上で殺し、疑いを逸らそうとしたのだろう。
九曜、お前に心当たりはないか?』
「いえ、私には……」
『そうか』
パキッ――。その瞬間、なにか硬いものが割れるような音が聞こえた。それから間を置かず、後ろで大きな物音がする。九曜が振り向くと、斜め後ろにいたクロウが仰向けに倒れていた。眉間に開いた穴から血がどくどくと噴き出している。
「なっ……!?」
窓を見ると、クロウが立っていた位置から直線上のところに小さな穴が開いていた。
長距離狙撃――!
「うぁっ…………ひっ!」
九曜は慌てふためきながら窓際から離れ、アームチェアをひっくり倒してその裏へ隠れるように身を伏せた。
握り締めていた携帯から神楽の声が聞こえる。
『どうした? 突然撃たれたかのような情けない声を出して』
「かっ、神楽様! これは……ッ!」
神楽はぞっとするほど冷たい声色で続けた。
『そういえば、最近街にはカラスが増えたな。賢しくやかましいだけの害鳥は、駆除すべきだと思わないか?』
「……ッ!!」
九曜は声を押し殺し、空いていた手を握り締め床を力一杯に叩いた。強烈な敗北感と憎悪が彼の心を埋め尽くす。
おのれ……ッ! おのれおのれおのれおのれッ! 神楽め……! よくもやってくれた……ッ!! こんなところで終わってたまるか……! 絶対……絶対に! このままでは済まさんぞ……!
『ところで、もう一度訊きたいんだが……』
神楽は念を押すようにその言葉を繰り返す。
『九曜、お前に心当たりはないか?』
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