第三章『慣れていますから』

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第三章『慣れていますから』

 首筋に触れ脈を診る。……脈はない。次に目隠しの布を取る。うっすら開いた瞼を指で広げ、スマホのライトを当てて瞳孔を確認――散大していて対光反応はなし。 「――ダメだね。間違いなく、死んでる」  美夜子が言い切ると、その場にいたアンバークラウンの面々も息を呑む。  ブリッジが死んだ。それもただの死ではない、殺害されたのだ。ナイフは遺体のほぼ正中線上、臍(へそ)より少し高い位置に、刃を寝かせるように水平にして刺さっていた。  しかも、今診た感触だと、おそらく――いや、これはもう少しじっくり調べてみないとはっきりしたことは言えないか。 「乃神さん、シミズさん。騒ぎが起きる前後に外で不審な動きなかった? 建物を出入りした人とか……」  美夜子は手で抑えながら小声でマイクに話しかける。 『こちらではとくに怪しいものは見ていない』  と乃神。続いてシミズが言う。 『私の方でもこれといった動きは……先ほど報告した件くらいでしょうか』  マンティスがしばらく姿を見せなかったことか。だが彼も監禁部屋に入ることはできなかったはずだ。 「何があった?」  後ろのほうから声。今到着したらしいフレイムが部屋に入ってきたところだった。 「フレイム、お前も来たのか」  スパークが彼の姿を見て言うと、フレイムは眠そうにしながら答える。 「さっき、誰か俺のこと呼んでたか? 声がした気がする」 「いや、これから呼びにいこうと思っていたところだ」 「あっそ……部屋でうとうとしてたのに、騒々しくて目が覚めちまったよ」  フレイムは部屋で休むと言っていた。自室で休んでいるところにこの騒ぎで目を覚ましたのだろう。彼はブリッジの有様を見て、一瞬目を見開いて、興奮したように言う。 「ひひ……おいおいマジか。そりゃ、死んでんのか?」  美夜子は頷く。 「死んでます」 「ふぅん……あんたが確認したのか? 女の癖に度胸あんねぇ」 「死体は見慣れているので。今日は交渉人としてここに来ましたけど、普段は殺人の調査をすることも多いんです」 「ほぉ~、殺人の……。人は見かけによらないなァ。――それにしても大変だなこりゃ……いったい何が起こったんだか」  フレイムは冷ややかに笑った。どこか他人事のような態度である。  ガニーがため息をつく。 「何が起こった――ってか。まったくだぜ。話が違うじゃねぇか。それになんで取引に来たナイツの人間がブリッジを殺すんだよ。ああ?」  一同の視線が、部屋の隅で未だ横になったままのグッドラックに向けられた。  ……まずい状況だ。慎重にことを運ばなければ取り返しがつかないことになる。美夜子はガニーに向かって真剣な表情で言う。 「……彼が殺したって言うんですか?」  ガニーは「当然だろう」とでも言うように鼻を鳴らす。 「禊屋、お前も見ただろうが。ついさっき俺が鍵を開けて入るまで、この部屋ではこいつとブリッジの二人きりだったんだぜ? 火を見るより明らかってもんだ」 「とにかく、彼を拘束したほうが良いだろう。追い詰められたら何をするかわからないぞ」  スパークが提案する。 「待って、まず彼から話を――」  美夜子の言葉をガニーが遮った。 「話は後だ。まずは身動き封じさせてもらう。スパーク、やれ」 「わかった」  スパークは部屋入り口から見て右奥側の隅に置いてあるスチール製のチェストから、拘束用具として使っているのだろう、黒色のベルトを二本持ち出してきた。ブリッジの身体を椅子に固定しているのと同じベルトだろうか。  スパークが傍らに近づくと、グッドラックはびくっと身体を震わせた。 「んぁ……な、なんら? なにっ?」  ろれつの回っていない声。たった今、目を覚ましましたという反応だ。状況を把握できないのか、軽いパニックを引き起こしている。 「悪いが、手と足は縛らせてもらうぞ」 「あ? おい何だよ! こりゃどういう――」  スパークに抵抗しようとするグッドラックに、美夜子が慌てて声をかける。ここで彼が暴れ出しでもしたら、いよいよ収拾がつかなくなってしまう。 「待ってグッド君、落ち着いて。順番に説明するから………とりあえず今は、言うこと聞いて。ね?」 「禊屋さん……? わ、わかりました……」  極力優しい言い方を意識した甲斐あってか、グッドラックは落ち着いたようだった。彼はひとまず指示に従って、手を後ろに回した状態で手首と足首にベルトを巻かれて固定される。撃たれた腕のほうは、止血の処置が効いたようで出血は広がっていない。とりあえずそちらは安心して良さそうだ。  グッドラックの身体をこちらに向かせた状態にさせてから、話を聞くことにした。美夜子は彼の前にしゃがみ込む。 「まず確認なんだけど、君はさっき、リビングで気を失ったってことは憶えてる?」 「あー……」  グッドラックはまだ意識がはっきりしないようだったが、少しずつ思い出してきたように目を開く。 「そうだ。あのフレイムってやつに撃たれて、その後、殴られたんだ! 俺は殴ってねぇのに!」 「うん。憶えてるみたいだね」 「クソっ、なんであんなこと――あっ、てめぇら! さっきはよくも……」  グッドラックは美夜子の後ろにガニーとフレイムが立っているのを見て、いきり立つ。美夜子は手を打って注意をこちらに引き戻した。 「はいストップストップ。かわいそうだけど、今はその話は後。――殴られて意識を失った君は、フレイムさんに運ばれてこの監禁部屋に閉じ込められたの。言っている意味、わかる?」 「監禁部屋ってーと……ブリッジが捕まってる部屋のことっすか? えっ、ここが?」 「そう。ほら、そこにいるでしょ」  美夜子が顎でしゃくってブリッジの姿を見せる。グッドラックの位置からでは、座っている後ろ姿しか見えないだろうが。 「おっ、本当だ……」 「ブリッジさんは、死んでるの」 「……は?」  グッドラックは大層驚いた様子で、目を点にする。 「そこからじゃ見えないだろうけど、ブリッジさんのお腹にはナイフが刺さってる。拘束されていたから、自分で刺したというのはあり得ない。誰かに殺されたってこと。……ここまでオーケー?」 「えっ、ちょ……なに? こ、殺された? なんで?」 「それはわからない。でも、今ここで問題なのは、ブリッジさんが殺された理由よりもまず……監禁部屋のドアには南京錠の掛かった鎖が巻かれていて、あたしたちが来るまで誰も入れない状態だったってこと。部屋の中にいた、君は別としてね」 「あー……そう、なんすか?」 「それに、目撃したという人もいるの。君がブリッジさんを刺すところを」 「へぇ……俺がブリッジを……………………はぁっ!? 俺が!?」  完全に理解が追いつけていない人の反応のように見えるが、どうだろうか。  グッドラックは慌てて弁解する。 「お、俺はやってないっすよ!? 今気がついたばかりで何がなにやらって感じなのに……ってか、誰なんすか? 俺が刺すところを見たっていうのは」 「こちらさん」  美夜子は手をフォックスの方へ向ける。フォックスは、話題が自分に向けられたことで怯えたように後ずさりした。 「見たんですよね? あの見張り部屋と繋がってる窓の向こうから」  美夜子が確認すると、フォックスはこくこくと頷く。 「あなたが見た光景はどういう感じだったのか、再現してみて教えてくれませんか?」 「わ、わかりました……」  フォックスは不安げな表情で再現を始める。 「いきなりだったんです。その人がここからゆっくり起き上がって、ブリッジに近寄っていきました」  そう言って、グッドラックの近くからブリッジの遺体にゆっくり歩み寄る。ブリッジの右腕の側を通って机を挟んで正面に立ち、次の動きを始めた。 「ブリッジの前に立つと、ナイフを構えて――」  ナイフを右手で順手に握っているようなジェスチャーをする。美夜子が口を挟んだ。 「待って。そのナイフはどこから取り出したんですか?」 「えっ……ああ……ナイフは……わかりません。いつの間にか、持っていました」 「……そうですか。すみません、続けてください」  フォックスは気を取り直すように咳払いすると、ナイフを握る右手を後ろに引き、それから、ブリッジの腹にめがけて勢いよく真っ直ぐ突き刺す真似をした。 「――こんな風に、突き刺したんです」 「おいふざけんな! 俺ぁそんなことしてねーぞ!!」  グッドラックが怒号を上げる。 「グッド君」  美夜子は口元の前で人差し指を立て「しー」とジェスチャーをする。例えるなら病院で騒ぐ子どもをたしなめるような仕草だったが、グッドラックは渋々口を閉じた。  美夜子はフォックスに念を押すように問う。 「フォックスさん。ブリッジさんを刺した人物は彼に間違いありませんか? あなたは見張り部屋の覗き窓から見ていた。あなたが再現したグッドラック君の動きだと、ブリッジさんを刺す瞬間はあなたに背中を見せていたことになりますよね?」 「そ、それはそうですけど……。部屋に他の人はいませんし、その人がブリッジに近づいていくところも、刺してから元の場所に戻っていくところも見たんですから。刺す瞬間だけ顔が見えなかったからといって他の人と間違えるはずがありませんよ……」 「……確かにそうですね。わかりました、ありがとうございます」  フォックスを下がらせ、美夜子は入れ替わるようにブリッジの前に立つ。 「このナイフに心当たりのある方は? 誰が持っていたとか、どこに置いてあったとか……」  凶器のナイフを見て、キーパーが言う。 「多分、この部屋に置いてあったものだ。持ち手の部分が丸くなっていて特徴的だったから覚えている」  言われてみると、確かに柄の部分には暗緑色のゴム材が巻かれ円柱のように丸くなっている。  同じようにナイフを見て、他の面子も「あったあった」と頷き合っている。今のところは、このナイフは誰かが外から持ち込んだものではなく元々この部屋にあったものと考えて良いだろう。 「部屋のどの辺りに置いてあったか、憶えていますか?」  キーパーは肩をすくめた。 「さぁな……。この部屋は単に人質を監禁するためだけの部屋ってわけじゃなく、拷問するために使う時もある。そのための道具がこの部屋には色々とあるわけだが、うちの連中はどいつもこいつも使った後で片付けやしねぇ。その辺の床に適当にほっぽっておくから、どこに何があるかなんてわかんねぇのさ。……一応、ひと月ほど前に掃除したばっかだからこれでも片付いてるほうなんだが」  実際にどんな物があるかはひとまず置いておいて、キーパーの言う「道具」は部屋のあちこちに点在するように転がっていた。  スパークが、東側壁際の真ん中あたりを指して言う。 「まあ、その辺りにナイフがあったとすれば、彼は横になったままでもちょっと手を伸ばせばそれを手に入れられたことになる。フォックスが気づかないうちにナイフを持っていたとしてもおかしくはないな」  確かにそうだ。フォックスもずっと窓の向こうを注視していたわけではないだろうし、小さな動きがあった程度では気づかない可能性は充分ある。 「ナイフなんざどうだっていいだろ」  ガニーが吐き捨てるように言う。 「俺たちが来た時まで、ドアには鎖と南京錠が付いたままだった。こいつ以外にブリッジを刺せるやつはいなかったんだ、それは間違いねぇ」 「だから、俺はやってねぇって!」  グッドラックが叫ぶ。ガニーは呆れたような顔をして、 「じゃあ教えてくれよ。誰がブリッジを殺したんだ?」 「それは……わかんねぇけど」 「大体、俺らの中に犯人がいるわけねぇ。殺す動機がねぇからな。こいつは……ブリッジはあくまで身代金目的の誘拐だった。間違っても傷つけるようなことはするなと強く言いつけておいたんだ。そうだよな?」  ガニーの言葉に、他のアンバークラウンメンバーたちが頷く。 「禊屋、お前も言っていたことだ。ブリッジを殺しちまえば、流石の俺でも立場が危うくなる。その辺の線引はしてんだよ、俺らも」  美夜子は「待ってください」と口を挟む。 「動機のことを言うなら、彼も同じことです。ブリッジさんを殺す理由がない」 「それなんだがな、可能性はあるだろ」 「……なんですか?」 「俺らがブリッジを殺せない理由の逆だ。俺らを始末するための言い訳を作るため」  ……やはりそこを突いてきたか。 「……アンバークラウンは取引を反故にしてブリッジを殺害した、その報復としてナイツがアンバークラウンを潰す大義名分を得るためだと。そう言いたいんですか?」 「その通り。そのー……名前なんつったっけ?」 「グッドラックです」 「そう、グッドラック。そいつは多分、上からの指示で動いている鉄砲玉ってところだろう」 「それなら、パートナーであるあたしが知らされていないのはおかしくないですか?」 「それも演技の可能性はある。そうじゃねぇとしても、別におかしかねぇさ。グッドラックがそういう目的で動いていると俺らに知れたら、普通は二人とも殺される。だったら実行する人間以外にはその命令が伝えられてないってのは充分ある話だと俺は思うね」 「あたしたちは巻き添えで殺されてもいい使い捨てってことですか。ナイツはそんなこと…………しない……とは言い切れませんけど」  まぁ……彼らの視点から見ればそう考えるのも無理はないか。グッドラック――彼が実は特命を受けていた殺し屋だったなんて、今までの彼を見ていたらとても信じられない。いや、今日初めて出会った相手の何がわかるのかと言われればそれはそうなのだが。それでも今までの彼がすべて演技だったとしたら、流石にショックを禁じえない。  キーパーがガニーに向かって言う。 「――だとすればマズい状況なんじゃないのか? すぐにでも俺らを殺すための部隊が送り込まれる可能性だってあるだろ?」 「ああ、それはあり得る話だな。すぐに逃げたほうがいい。予定を早めて動くとしよう」  予定を早めて……。やはりこのアジトは元より捨てるつもりだったのだろう。そうでなければいくら有利な状況を作れるからといって取引の場に使うはずはない。 「で、こいつらはどうするんだ?」 「当然、男は殺す。女のほうは爆弾巻いてやがるから今は手ぇ出すな」  それを聞いて、スパークが驚いたように言う。 「爆弾って……また気合の入ったことだ」 「まー、多分脅しとして使ってるだけの偽物だろうけどな。万が一ってこともある」  ガニーの説通りだとすると、外の見張りをしているマンティスを除いて全員が集まっているこの場で美夜子の爆弾を起爆させて一網打尽にするのが最も手っ取り早い。そうしないのは爆弾が偽物だからという論理だろう。過程は全く違うが、結論だけは当たっている。 「しかしリーダー、それなら男のほうも確認しておいたほうがいいんじゃないか? 自爆上等ということもあり得……いや、それならもう俺たちはとっくに吹っ飛んでいることになるわけか?」 「まぁそうだが、念のために確認はしておいたほうがいいな。スパーク、頼む」  危機的状況には慣れているのか、アンバークラウンの面々は比較的落ち着いているようだ。唯一、フォックスだけは未だに顔を青くしているが。  スパークはグッドラックの身体検査を始める。グッドラックは犬の唸り声のような声を上げていたが、身動きが取れないため抵抗もできない。 「他に危ねぇもん持ってねぇかも確かめろよ」 「わかった」  ……どうする。彼はダミーの爆弾すら持っていない。流れを変えないとこのままでは、グッドラックが殺されてしまう。 「……乃神さん聞いてる? 今の状況、わかってるかな? ピンチなんだけど」  美夜子はあえて他の人にわかるようにイヤホンを押さえて話す。 『大体のことは把握した』  乃神の声は少し疲れが出ているような気がした。こうトラブル続きでは無理もない。 「一応聞いておくけど、そっちもブリッジさんを殺す計画なんて知らないよね?」 『当然だ。そんな計画は存在しない。――こちらからも質問だが、グッドラックはお前の感触から言って、クロかシロのどちらだ?』 「シロ。彼はそんな器用な嘘がつけるタイプとは思えない」 『同感だ。仮にそういう計画があったとしても、俺なら奴にだけは任せない」  それも同感だ。 『……禊屋。一つだけ言えることは、俺もお前も、このままでは危険な状態だということだ。これはコードAの任務。現状では如何なる事情があったとしても、上は問答無用で我々にブリッジの救出失敗の責任を取らせようとしてくる可能性が高い』 「それは……困るね。どうすればいい?」 『本部への連絡は可能な限り遅らせる。禊屋、お前は何としてでもブリッジを殺した犯人を見つけ出せ。下手人を挙げて、その正体と動機を明かせば本部への説得材料にできる』 「やっぱそうなりますか。でも乃神さんも悪いこと考えるね。故意に報告遅延させたなんてバレたら余計マズいんじゃない?」 『結果を出しさえすればどうとでもなる。本当に最悪なのは、そこまでして犯人を見つけられなかった場合だが……そうはならないな?』 「ウッ、たぶん……」  信頼からの言葉なのか、それとも無茶振りパワハラ上司なのか……両方かもしれないが。  方針が決まったところで、美夜子は早速動く。 「あの、ガニーさん」 「なんだ、応援の部隊が来るって連絡か?」  ガニーは身体検査の様子を見守りながらこちらにも聞き耳を立てていたようだ。 「違います。仲間もそんな指示は出ていないと言っています。今のは、これからどうするか相談していただけで……」 「わかってる。お前の声は聞こえてたからそういう話じゃねぇってのはわかった。それが演技じゃねぇなら、だが」 「……それを言ったらキリがなくないですか?」 「いいから、相談してどうなったのか言ってみろよ」 「はい。ブリッジさんが死んでしまってあたしたちも困っている状況です。それを踏まえてもう一度言いますけど、彼――グッドラックはブリッジさんを殺す任務なんて受けていないと思います。ブリッジさんを殺したのは、別の人間である可能性がある。あたしにそれを調査する時間をくれませんか?」  ガニーは頭を掻き、面倒そうにため息をついた。 「あのな……さっき言ったけどよ、ありえねぇだろそんなの。じゃあどんな方法だったらあのガキ以外がブリッジを殺せるんだよ。フォックスが見ていたこと、それに部屋のドアが封鎖されていたこと……これはいわゆる密室ってやつだろ?」  そう、密室の中での殺人……これでグッドラックが無実だとするなら、犯人は何らかのトリックを使ったということになる。 「あの、確認しておきたいんですけど」  美夜子は前提の部分から検める。 「あたしたちがここに入るより前、南京錠が掛かっていることを確認した人はいますか?」  フォックスが挙手をする。 「フレイムさんがそのグッドラックって人を部屋に閉じ込めた後、鎖に南京錠を掛けているところは見ましたけど……」 「ちゃんと掛かっていたと言い切れますか?」 「は、はい。近くで見たので……。間違いなく掛かっていたと思います」 「そうですか……」  やり取りを聞いて、フレイムが美夜子を見ながら笑う。 「ひひ……俺が錠を掛けたフリをしたんじゃないかって疑ったのか? ないない、それは」 「いや、疑ったというほどじゃないんですけど……」  フレイムが南京錠を掛けたフリをして監禁部屋を一度離れ、しばらくして戻りブリッジを殺害後に南京錠を掛けた――可能性の一つとしてはありなのではないかと思ったが、グッドラックを運び入れた直後の時点でドアを封じる鎖に南京錠が掛かっていたことは認めざるを得ないようだ。それにこの推理には他にも解決すべき問題がある。フォックスの目撃証言だ。  美夜子は視線を下げ、眉間を指で擦りながら考える。形だけでもいいから、何かグッドラック以外に犯人がいる可能性を提示しておきたい。考えられるのは……。 「どうなんだよ、禊屋。この状況でグッドラックが殺してないってのはどう考えても無理筋じゃねぇか?」  ガニーに改めて問われて、美夜子は答える。 「グッドラックが刺す瞬間を目撃していたというフォックスさんの証言は……まだなんとも言えませんけど。何か誤解があったり、理由があって嘘をついている可能性も……」 「どうなんだフォックス?」  話を振られて、フォックスは怯えたように首を横に振る。 「お……俺は本当に見たんです! 本当です!」 「だとよ?」  強く主張してくるだけの確信があるのか……それとも、何か別の理由があるのか。 「フォックスさんの証言はもちろん無視できるものではありません。でもそこは一旦後で考えるとして……ドアの方を先に検討させてください。そっちは既に考えがあります」 「ほう? どんな?」  簡単なトリックならとりあえず二つ、思いついた。一つは、南京錠はちゃんと掛かっているように見えたが、実は違ったというもの。もっと言うなら、鎖の巻き方や、南京錠の掛け金を通す〝鎖の輪の位置〟によっては、南京錠を掛けたままでも部屋に侵入することが可能というものだ。例えば鎖をごちゃごちゃと複雑に重ねて巻いてわかりづらくしてあっただけで、実はそれをほぐしていくと南京錠を掛けたままでもドアノブから鎖を外せるようになっていた……というようなものだ。外すまではいかなくとも、鎖をずらすことで充分な緩みを作ることができたら、ドアはある程度動かせたことになる。自分が入れる程度の隙間が作れたらそれでいい。  しかし、美夜子は監禁部屋に踏み込む直前、実際にドアノブに巻かれた鎖とそれを固定する南京錠を見ている。あの時点ではまだブリッジが死んでいることを確認してはいなかったが、探偵としての習性、経験によって養われた嗅覚が、あの時、美夜子に注意深く観察させていた。そして彼女の優れた記憶力は、一度目にしたものを写真データレベルで実物と遜色なく脳内で再現が可能だ。  あの時、鎖の巻き方はストレートかつシンプルで、何かしらの作為を感じるものではなかった。それに、南京錠の掛け金が通された鎖の輪の位置もきっちり両端で、緩みも殆どなかったため、鎖をずらして動かすというようなことも不可能だ。よってこのトリックは成立し得ない。  ――なので美夜子は、もう一つのアイデアを口にする。 「例えばですけど、南京錠のすり替え」 「すり替え?」 「グッドラック君を閉じ込めた時、見た目そっくりの別の南京錠を鎖に掛けておくんです。ガニーさんには本物の南京錠に対応する鍵を返す。自分は偽の南京錠に対応する鍵を持っているのでいつでも錠を外して部屋に入れる。ブリッジさんの殺害を実行した後は鎖をドアに巻き直して、今度は本物の南京錠を掛けた。これでドアの問題は解消されます」  一応これで筋は通るはず。しかし、ガニーは苦笑していた。 「聞いたかよ、フレイム? すり替えなんてできるとしたら、そのガキをここに閉じ込めたお前だけだよな? どうすんだ、犯人扱いされちまってるぞ」  ガニーの隣に立っていたフレイムが、肩を揺らして笑う。目を大きく開けて、狂気的な笑い方だ。 「おーおー……怖い怖い。探偵殿は恐ろしい人だ。そんな当てずっぽうで犯人にされたらたまらないなァ……」  怖いのはあんたの顔の方だよ。……とは言えないが。 「さっきも言ったが、それはないんだよなァ……」  何か根拠があるような言い方だ。今度はガニーがこちらを向いて言う。 「――そう。残念だがな、その推理はハズレだ」 「なぜですか?」 「お前の推理は、普通の南京錠は掛ける時には掛け金を嵌め込むだけでいい――つまり鍵は必要ねぇってことが前提のもんだろ。だから俺が本物の鍵を持っている間でも、南京錠を掛けることだけはできたって話だ。でもな、あの南京錠は違うんだよ。ちょいと特殊で、〝掛ける時にも鍵が必要〟なんだ」 「え? そ……そうなんですか?」 「大事な部屋だからな、特別製なんだ。気になるなら試してみろよ」  ガニーがジャケットのポケットから南京錠と鍵を取り出して、美夜子に渡す。色や形状だけでなく、細かな傷の付き方などからも、先ほどドアの鎖から外したものと間違いなく同一のものだ。  南京錠の掛け金はUの字を逆さまにして、片側に引っ掛けるための隙間が開いているオーソドックスな形だ。通常の南京錠ならば、掛け金の隙間を閉じるように押し込んでやればそれだけでロックがかかる。では、こちらはどうか。試しにその掛け金の浮いた部分を受け口に差し込むように押し込んでみたが、上手く嵌まらず、上に押し戻されてまた隙間の空いた状態に戻ってしまう。  今度は鍵を差した状態でやってみる。掛け金の先を受け口に押し込んで……鍵を回す。すると、カチッという音がして、掛け金がロックされたのがわかった。鍵を抜いて、試しに掛け金を触ってみるが今度はびくともしない。先ほど部屋に駆けつけた時、鎖に巻かれていた南京錠はこのようにロックされた状態だった。錠に細工がされた痕跡もないし、間違いなく掛かっていたはず。 「――南京錠のロックを掛ける際にも鍵が必要だから、ガニーさんがその鍵を持っている間は掛けられない。あたしたちがここに駆けつけた時、南京錠のロックは間違いなく掛かっていて、ガニーさんが持っていた鍵で開いたから……それはつまり間違いなくフレイムさんがその鍵で、その南京錠を掛けたということ。そしてフレイムさんがガニーさんに鍵を渡した時点から、この南京錠は動かされていないということになりますね」  確かに、フレイムが細工を施す余地はなさそうだ。 「そういうことだ。錠だけじゃなくて鍵のほうも途中ですり替えたんならできたかもしんねぇけどな。誰にもそんなチャンスがなかったことはお前もわかってんだろ」  ガニーは鍵をジャケットのポケットに入れていたし、その間、誰もそこに触れるような機会がなかったことは美夜子も認めるしかない。 「そっくりな別モンを用意するにしても無理だ。その錠は発注を受けてから作る特別製で、鍵も予備はなし、ディンプルキーだから複製もほぼ不可能。合鍵を作るにゃ、本人確認と俺の設定したパスワードが必要だ。このパスワードは俺の頭の中にしかねぇ」  ガニーの言う通りなら、秘密で合鍵を作るのは不可能と見てよいだろう。 「まぁあるとしたら、見た目だけそっくりで複数の鍵に対応した錠を用意する……とかか? それなら、フレイムが俺にこの鍵を渡した後でも、別の鍵で錠を開けて部屋に入れる。それにしたって相当な手間がかかるだろうから現実的じゃないと思うぜ。そもそも、その南京錠も鍵も本物にしか見えねぇけどな。普段使ってる俺が言うんだから間違いねぇよ」  たしかに美夜子ほどの記憶力がなくとも、普段から使っているのなら細かな傷の付き具合や使用感の違いなどでわかるということはあるだろう。南京錠がだいぶ前からすり替えられていたとしたら、それも意味はないのだが、現実的じゃないという見方には同意する。こんな特殊かつ限定的な状況を想定して手の込んだ偽物を用意するとは思えない。 「リーダー、終わったぞ」  スパークがグッドラックの身体検査を終えたらしい。ガニーと一緒に美夜子は二人へ近づいた。 「衣服の隠せそうなところは全て確認したが、爆弾らしきものは持っていなかった。ズボンのポケットには財布だけ。パーカーの腹ポケットの中には、家の鍵とこれは……バイクの鍵か?――をまとめたカラビナ、それと煙草の箱……」  グッドラックから取り上げ、一度床に置いてあった品々を手に取りながら、スパークが説明する。 「まあ、特に怪しいものはないな」 「そうか。じゃあさっさと殺して――」  美夜子はガニーの言葉を遮るように割り込んだ。 「待ってください。彼を殺す前にもう少し考えてみませんか?」 「あのなぁ……考えるって、なにをだよ!?」 「それは、ええっと」  とにかく今は、彼らに早まった行動をさせないことだ。 「だから、まぁ……例えば、ブリッジさんはどうやって死んだのか、とか」 「ああ? なぜ死んだって……見ての通り、ナイフで刺されたからだろ?」 「そう見えますけど、実はちょっと気になるところが――」  美夜子がそう言いかけたところで、突然、別の誰かが声を上げた。 「な、なぁ。これ、何だと思う?」  声を上げたのはタミアスだ。開かれたドアの右側、部屋の隅あたりに屈み込んでいる。そこには何か布状のものが固まりになって置かれていた。スーツのジャケットのようなものが見えるから、おそらくブリッジが着ていた衣服だろう。 「どうした? 何か見つけたのか?」  ガニーが尋ねると、タミアスは立ち上がってこちらを向いた。彼の手には、高さ5センチくらいの小瓶が握られていた。 「ここの服の上に転がってたんすけど、こんな瓶、見たことねぇし……気になって」 「俺も見たことねぇな……。おい、誰のだ?」  しかし、ガニーの問いかけに答える者はいなかった。この場にいないメンバーはマンティスだけだが、彼の物なのか、あるいは……。  美夜子はすかさずそれに食いついた。 「待って。それ、この殺しと関係があるかもしれません」 「ああ?」 「ちょっと、いいですか?」  美夜子はタミアスから小瓶を受け取る。小瓶は無色透明のガラス製で、上部には黒いプラスチック製のキャップが付いている。瓶の中は、こちらも無色透明な液体で6割ほどが満たされていて、キャップ部分から伸びたブラシの先端が液に浸されているのが見えた。どうやらマニキュア瓶のような構造になっているらしい。それと、瓶の側面には小さいラベルが貼ってあり、黒地の背景で妙にポップなドクロの絵が描かれていた。 「……そりゃドクロか? ……毒?」  ガニーが呟く。その小瓶のラベルを見たら、殆どの人がそう解釈するだろう。 「……気になりますね。確かめてみましょう」 「確かめるって、どうやって……」  ガニーの言葉を無視して、美夜子は小瓶のキャップを回してみた。キャップを引き上げるとその内側に細い棒が付いていて、先端がブラシになっている。やはりマニキュア瓶に似せた構造、いや、そのものを流用しているのかもしれない。液体は水よりは少しとろっとしていて、粘度が高いようだ。 「…………」  美夜子は近くで吸ってしまわないように注意しつつ、瓶の中の液体の臭いを嗅ぐ。薄っすらとだが、青臭さの中に甘さを内包したような独特の匂い……。二、三度試してから、またキャップを閉めた。 「どうなんだ? それが毒かどうかわかったのか?」  ガニーの問いに頷く。 「詳しい検査ができないので、ただの推測であるということは念頭に置いといてほしいんですけど……おそらくシアン化合物の類です。青酸カリとか青酸ソーダとか、そのあたりの。種類によって程度の差はあれど基本的に人体にとって有毒で、ごく少量でも摂取すれば3分と保たないようなものもあります。基本的に水に溶けやすいので、このように液体毒として用いられることもある。元々が強い毒性を持つので、よほど薄めない限りは溶液でも充分に人を殺せる猛毒になります」 「そう判断した根拠は?」 「苦扁桃臭といって、杏仁豆腐や生のアーモンドに近い匂いがしました。これはシアン化合物の特徴です」 「ふん……匂いね。よく聞くアーモンド臭とかってやつか? ……貸してみろ」  ガニーが小瓶を取り、キャップを回して匂いを嗅ごうとする。 「あ、気をつけてくださいね。シアン化合物の多くは揮発性が非常に高くて、空気中の炭酸ガスに反応してシアン化水素という毒ガスを出します。まともに吸引すると中毒を起こしますよ」 「ぬっ……」 「とはいえ、そんな風に溶液の状態ならそれほど盛んに揮発することはないでしょうけど……」 「ビビらせんなよ……」  ガニーは慎重に匂いを確認した後、キャップを戻して小瓶をもう一度見つめる。 「なるほど確かに、お前の説明するような毒薬である可能性はありそうだ。んで……お前、この瓶が殺しに関係あるかもって言ったよな? なぜそう思った?」  美夜子は口元に笑みを作る。 「これで繋がりました。多分、その毒薬がブリッジさんの死因だと思いますよ」 「なに?」 「ブリッジさんの死体はまだざっと調べただけですが、幾つか気になったところがありました。ナイフをお腹に刺されて死んだ……それだけなら死体に現れるはずのない特徴があったからです」  美夜子はブリッジの遺体に近づいて屈むと、 「……やっぱり。遺体の手を見てください」  そう言って、ブリッジの両手に注目させた。  まず、ブリッジの両腕は肩と腰の高さに巻かれたベルトで身体の横に固定されている。また、これは先ほど隣の部屋の窓から覗いた時には机の陰になっていて見えなかった部分だが、ブリッジの両手首はそれぞれを短いロープで、椅子の後ろ足の根本にキツく縛りつけられていた。つまり肘を曲げることすらできない状態だったことになる。手の部分は左右どちらも力んだように拳を握っていた。 「手を拳の形に握っていてわかりづらいんですけど――これ……指先の皮膚が、青紫色に変色しているのがわかりますか?」  美夜子は遺体の手を取りながら、動かせる範囲で動かしながらその手指を確認させる。最初、死亡を確認した時から感じていた遺体の違和感。ただナイフで刺されただけでは表れないはずの特徴。チアノーゼと呼ばれる、血液中の酸素が不足している時、主に身体の末端部に表れる症候だ。 「それと、鼻先や唇にも同じチアノーゼの特徴が見られる。死の直前、呼吸不全の症状があったことはほぼ間違いないです」 「呼吸不全だと? 要は窒息死ってことか?」  ガニーが驚きの声を発する。美夜子は更に続けた。 「シアン化合物の毒が血中に入ると細胞呼吸が阻害され、重要な神経や臓器の機能を急速に低下させます。それによって呼吸麻痺を起こして窒息死、というのがシアン中毒死に多い症例なんです」 「うぅむ……」 「それに、拳を握ったまま亡くなっていることもそう判断できる理由の一つです。人は外からの酸素供給が絶たれて体内の酸素も使い果たすと、意識を消失し、身体に痙攣が生じます。その際、痙攣によって力んだように手の平を拳の形に握ったまま死ぬというのが、窒息死にはよくあるケースで……ただ、この場合は中毒による中枢神経症状としての痙攣もあったと思いますが」  ガニーは未だ飲み込めていないようだったが、今度はスパークが相槌を打つ。 「なるほど。どちらにせよ、ナイフで刺されただけではそんな死体にはならないということか」 「その通りです」  美夜子は屈んだ状態から立ち上がって、目を細めつつ、もう一度遺体をざっと眺める。 「首に絞められた痕や顔面のうっ血がないことからして、絞殺でないことも確かです。ただし、使われたのが神経毒の類なら似たような症状が出る可能性はあります。例えばアコニチンなどであれば粘膜や傷口から摂取すれば微量でも呼吸できなくなって数分内で死に至る可能性が高い。――質問させてください。この部屋、あるいは個人やグループの所有物としてでもいいですが――そういった毒物はここにありますか?」 「いや……うちは毒は使わねぇからな。ガラ拐うのに使う睡眠薬や麻酔薬なら倉庫にあるが、そんくらいだ」  ガニーの言葉に他のメンバーも頷く。毒に心当たりはないらしい。美夜子はガニーが持つ小瓶を見て言う。 「仮に睡眠薬や麻酔薬の過剰投与だとするなら、これほど急速に症状が現れることは珍しいと思います。他にそれらしい毒物がないのなら……その瓶はやっぱり、ブリッジさんを殺した犯人が持ち込んだ毒薬である可能性が高いですね」 「ちょっと待てよ」  ガニーが割り込んでくる。 「じゃあマジなのかよ。ブリッジが死んだ直接の原因は、毒を摂取した結果の窒息死だってのか? ナイフじゃなくて?」 「死の瞬間、呼吸不全に陥っていたことは確かだと思います。そこへ更にナイフによる刺し傷が死期を早めた可能性はありますけど……」 「毒を摂取して苦しんでるところに、ナイフで追い討ちされたわけか?」 「そういう考え方もあるということです。でも、今あたしが考えているのは、また別の可能性で……」 「なんだよ?」 「毒の摂取は、ナイフが刺されたのと同時だったのかも」  それを聞いて、フレイムが笑った。先程から彼は腕組みをしながら黙って美夜子の話を聞いていたが、そろそろ口を挟みたくなったらしい。 「ひひ……同時、ね。ナイフに毒を塗って刺したってことかい? 面白いこと考えるもんだ……」 「あり得ます。死後も口布を噛ませたままだったことを考えると口から毒を摂取させたとは考えづらいし、他に目立った傷もない。お腹の傷口からナイフに塗った毒が入った……それで呼吸不全になって死亡、ということですね。それ以外の方法で毒を摂取させたとしたら、フォックスさんが見ていないのもおかしいですし」  美夜子はフォックスの方を向いて尋ねる。 「フォックスさんが見たのは、彼がナイフを刺したところだけなんですよね?」 「え、ええ。そうです……」 「その直前に、ブリッジさんが苦しむ様子などはありました?」 「なかった……と思います」  どこかそわそわとした様子でフォックスは答えた。フレイムがふんと鼻を鳴らす。 「ま……その線もないとは言い切れんようだね」  美夜子は説明を補足する。 「人って、お腹を刺されただけでは案外死なないものなんです。太い動脈や内蔵を傷つけられたりすれば別ですけど、それにはナイフをかなり深く刺す必要がある。見たところ、このナイフは致命傷になるほど深く刺されてはいないようです。刺さったままで抜かれていないから出血も大した量じゃないし、そういう点でも毒が死因である可能性は高いと考えられます」 「だそうだ。どう思う、ガニー」  ガニーは思案していたようだが、大筋は納得したようだった。 「……一応スジは通ってるか。で、その瓶の毒が使われたって?」 「他にそれらしいものが見つかればともかく、今はこの瓶が圧倒的に怪しいですね。キャップに付いているブラシでナイフに毒液を塗布したんでしょう」  それを聞いて、ガニーは笑い出す。 「クク……じゃあ、やっぱりこいつが犯人で決まりじゃねぇか」  そう言って、グッドラックを足で小突いた。小突かれたほうは悔しそうに相手を見上げている。 「毒薬の瓶が見つかったのは、ついさっきまで密室だったこの部屋の中だったわけだしな。こいつはこの部屋で見つけたナイフに自分で持ち込んだ毒を塗って、ブリッジに刺したんだ。毒を塗るのは、壁側を向いて身体で手元を隠しながらだったら、フォックスが気づかなかったとしてもおかしくはねぇ。ことを終えて毒薬を手放したかったが、閉じ込められていてそれはできない。だからドアの陰になるようなとこに置いて隠したんだろうぜ」  これは予想通りの反応。このままでは調査の許可を取り付けるどころか、グッドラックを殺されて終わりだ。すぐにでも手を打たなければならない。  美夜子はグッドラックの前で屈み込み、ガニーの持つ小瓶を指してもう一度尋ねる。 「質問だけど、あの瓶に憶えはある?」  グッドラックは憔悴した様子で首を横に振る。 「知らねぇっすよあんなの! ってか俺、今さっき起きたばかりだし!」 「そうだよね」  ガニーの主張なら、この毒薬の瓶はグッドラックが自分で持ち込んだということだった。それなら……。  美夜子は次にフレイムの方を向いて、彼に質問をする。 「フレイムさんは、彼の服のポケットなどにこの瓶が入っていたことに気が付きませんでしたか? 下で彼を運ぼうとする前、持ち物を調べていましたよね」 「おー……もちろん気づいていた、と言いたいところだが……正直、俺はその瓶のことは知らなかったね」  フレイムは軽い調子で答える。 「だが、そいつが毒薬の瓶を持っていなかったと断言もできない。調べたといっても、あの時はこいつが持っているであろう通信用の機器を探して軽く探っただけだったしな。マイクとイヤホンはすぐに見つかったし、スマホはズボンのポケットに入っていた。他にも予備の刃物なんか持っていたら取り上げるつもりだったが、さほど入念に探したわけじゃない。本気で探すなら裸にひん剥くくらいはしただろうけどな」 「武器に対する警戒は甘かったということですか?」 「端的に言えばそうなる。だってどうせこの部屋には色々落ちているわけだしな? 仮にこいつがそういったもんを使って暴れたとして、大して脅威とも思えなかったし……最低限、銃だけ取り上げりゃ充分だと思ってたよ」  それを聞いて、グッドラックが小さく舌打ちをする。 「――じゃあ、見逃しがあったかもしれないと?」 「パーカーのポケットの方は、軽く覗いて終わりだったんだ。そのいかにも毒って感じのラベルがはっきり見えていれば、気づいたとは思うが……ポケットの奥の方に入っていたら見逃したかもしれねぇなァ。他にも、訳の分からない場所に隠してあったとしたら俺には見つけられなかっただろうよ。例えば、服の裏地に縫い付けて固定していたとか。毒薬ならそれくらいして隠し持っていても不思議じゃあるまい?」  確かに、ないとは言い切れない。小さな瓶だから見逃すこともあり得るだろう。フレイムの言葉をそのまま受け取るなら、その時点でポケットに小瓶が入っていたかどうかは断定できない。 「……その後、フレイムさんは彼をこの部屋に運んだんですよね。その時、さっきタミアスさんが瓶を拾ったあの辺りを見た記憶は? 瓶があったかどうか、覚えていませんか?」 「ひひ……あの時は部屋のものを注意深く見たりはしなかったからなァ。絶対になかった、とまでは言い切れないねェ」  タミアスが瓶を拾ったのがドアを開けてすぐの右横、ちょうど部屋の隅のところだ。そこから一メートル半ほど奥側にずれたところにグッドラックの身体が横たえられていた。確かにグッドラックの身体を運ぶときは目に入りそうだが、意識していなければ見落としてもおかしくはないか。その時点で瓶が転がっていたとしたら、「グッドラックが毒を自ら持ち込んだ計画殺人である」ということは否定できそうなのだが。 「そろそろ諦めろや、禊屋」  ガニーが腕組みをしながら結論付けた。 「そんなもん確認したって、何の意味もねぇだろ? 毒の瓶なんざ大した問題じゃねぇんだよ。南京錠と鎖のロックがある以上、部屋に入れたやつはいなかった。元々部屋の中にいたそいつ以外にはな」 「……いや、やっぱりそれだとおかしいですよ」  美夜子は立ち上がりつつ言う。ガニーはいよいよ不快そうに舌打ちをして、苛立ったようにまくし立てる。 「あ? どこもおかしいことねぇだろうが、禊屋? 南京錠すり替え説もハズレだって言ったろ。なぁ……これ以上ちゃちゃ入れんなら、お前もタダじゃおかねぇぞ?」 「そうですか。それでも、おかしいものはおかしいんです」  美夜子は毅然として返した。ガニーは美夜子を睨みつけていたが、怯みもしない彼女を見てやがて鼻白んだように言う。 「じゃあ言ってみろよ。何がおかしいって?」 「彼が――グッドラック君がブリッジさんを殺した犯人だったとして、わざわざ毒薬を使う必要があるでしょうか? だって、ブリッジさんは椅子に腕も足もベルトで固定されて、目隠しまでされていたんですよ? それに衣服すら身に着けていなかった。そんな無防備そのものみたいな状態だったのに、ナイフだけでなく毒まで使って殺しにいくのは過剰だと思うんです。ナイフだけでも殺すのは容易かっただろうに。ナイフを刺すのも一回だけじゃなくて何度も突き刺したっていい、首を深々と掻っ切ったっていいんだから」 「……別に、おかしいって程でもねぇだろ? その毒薬はきっと、ブリッジを殺すために用意してきたものなんだろうよ。だから使わずにいるのは勿体ないと思ったんじゃねぇか? それか、単にそういうグロい殺し方は、そいつにはキツかったとか? 毒を使ったほうが出血は少なくて済むし、気持ちとしちゃ楽だったのかもしれねぇぞ?」  そう簡単には納得してくれないか。 「……そういう見方もありますね。じゃあ、もう一つ。ブリッジさんはなぜこの状況で殺されたのだと思います?」 「なぜだぁ? だからさっき言っただろ? その死の責任を俺らにおっかぶせて、ナイツが俺らを潰す理由をでっち上げるためだ」 「動機に関してはそれもありだということは認めます。でも、納得いかないところはある。どうしてこんな、逃げ場のない状況で殺す必要があるんです? 取引を終えて、一旦ブリッジさんを返してもらってからでも問題はないはずですよ。少なくとも、あなた達のアジトを出ていってから殺したほうが確実だし、自分が危険な目に遭うリスクも格段に低い。  そもそも、こんなわかりやすい状況で殺しているのに彼が犯行を否認するのはちぐはぐだと思いませんか? 少なくとも彼は自分が殺される前提の作戦であることを知っていたはずなのに、今になって延命しようとするのは理屈に合いません」  ガニーは少し考えるような素振を見せた後、こう返す。 「殺しが無鉄砲すぎるってのは確かにな。だが、それが狙いだったとも考えられるぜ。お前らの上の連中はブリッジが殺されただけじゃあ足りねぇと考えたんだろう。で、わざとこの男に〝俺らにバレる〟状況で殺しをさせた。俺らは当然、仕返しにお前らを殺そうとする。後に残る状況は、取引に向かった二人と人質の死体だ。誰が見ても、俺らの方が約束を破ったと考えるだろう。そいつが殺しを認めようとしねぇのは……時間稼ぎってところだろうな」 「時間稼ぎ?」 「俺らを始末するための部隊を送り込むまでの時間稼ぎだ」 「いや、それはおかしくないですか? 予め準備されていた計画で別の部隊が動いているなら、もうとっくに襲われていると思いますよ。ただ死体が揃えばいいのなら、あたしやブリッジさんも含め全員まとめてアンバークラウンと一緒に殺すべき。それが一番手っ取り早いでしょ? ――逆に、こちらが被害者であることを主張するためにじっくり証拠固めをするつもりなら、あなた達がアジトを逃げ出してからのほうが都合が良い。どちらにせよ、そんな中途半端な時間稼ぎに意味があるとは思えません」  ガニーは舌打ちする。 「だったら、殺っちまったはいいものの今になってビビっただけだろ! そういうヘタレは沢山見てきたぜ」  細かな指摘をするだけでは考えを変えさせられないか。なら……。 「……ガニーさんの言う通りだとして、ここでグッドラック君を殺せばナイツの策略に乗せられてしまうということになるんじゃありませんか?」 「へっ、どうせ標的にされた時点で大差ねぇよ。せいぜい無惨に殺して奴らへの見せしめにしてやる」  それを聞いてグッドラックが顔を青くする。  これもダメ。やれやれ、頑固だな。  賭けにはなるが、もっと揺さぶってやる必要があるらしい。 「……じゃ、ガニーさん。あなたはこのアンバークラウンのリーダーである……ということを念頭に置いて答えてほしいんですけど」  美夜子はガニーの正面からその顔を見上げる。 「あなたの言う通り、グッドラック君が犯人ならそれで良いでしょう。でも、今までの話を聞いてなお確信を持てるんですか? もし違ったらどうするんです? その場合はグループ内に、グッドラック君に濡れ衣を着せてブリッジさんを殺した裏切り者がいることになります。そんな大きなリスクを抱えて、この先もやっていくつもりですか?」 「それは……」 「犯罪者としてベテランであるあなたなら、それがどれだけ危険なことであるかよく理解しているはずです。裏切り者がそのまま大人しくしていると思いますか? 仲間もきっと不安に思うでしょうし、それがまた別の不和を産むでしょう。やがて組織は崩壊し、あなたも破滅を迎えるかもしれない。  ……ここまで来てなお、あなたが心の底から100パーセント、グッドラック君が犯人で間違いないと思っているのなら、正直言ってあたしにはどうしようもありません。ですが……少しでも疑念があるのなら、あたしに調査することを許可すべきです。――いいんですか? もし真犯人が別にいるのなら……そいつにあなたは、完全に――」  美夜子はあくまで諭すように語りながら一歩ずつガニーへ近づいて、その顔を指差す。 「……舐められているってことですよ?」 「ッ………!」  リーダーとしても、彼の性格的にも、そんなことは許されないはずだった。ガニーは一瞬怯んだようだったが、誤魔化すように頭を軽く振る。それから仲間たちを一瞥した後、しばらく考え込み……顔を片手で覆うと大きなため息をついた。 「………チッ、くそがッ!」  それから後ろを向いて苛立つように髪を掻き乱す。 「ガニーさん。ここは協力しましょう。あたしたちとしても、人質を助ける前に殺されたなんて不祥事なんです。何としてでも犯人だけは見つけ出さないとマズい。だからまだ本部に連絡はしていませんし、応援の部隊が来ることもありません。そこに関しては、信じてください、としか言えませんけど」  しばらく考え込むような時間があった後、こちらを向いて、深く息を吐いた。 「…………少しだけ時間をくれてやる。ただし、条件付きだ」 「聞きましょう」 「まず、調査には俺が同行する。あまり勝手なことされても困るからな」 「構いませんよ。むしろ証人になってくれる人がいたほうが助かります」  証拠を捏造したとか言いがかりをつけられたり、容疑者の証言で言った言わないの水掛け論になるよりずっと良い。 「次。調査の結果に関係なく、取引でこちらが受け取った一億は返さない」  人質が死んだ以上、交換のための一億は丸損になるということだ。これは微妙なところだが……。 『とりあえず受け入れて良い。本部への説得は後で考える』  乃神の声。ま、それしかないか。ここでまた態度を変えられても困る。 「事態が解決したら犯人の処遇はこちらで決める。それも終わったら俺らはさっさとここを出るが、この場を離れてから一時間は報告しないこと。……この条件すべてが呑めるなら調査を許可してもいい」  犯人の処遇……に関してはこれもまた微妙だ。問答無用で犯人を殺されるようなことになれば、上層部を説得するために必要な証言や証拠が手に入らなくなってしまうかもしれない。しかし、それは後で対処を考えよう。今は事件の謎を解くことを最優先に、だ。「 「……わかりました。それで良いです」  乃神がいつまで時間を稼げるかわからないし、モタモタしていてはガニーに調査を打ち切られてしまうこともあり得る。キビキビ動いていく必要がありそうだ。全部の部屋を調べる余裕は……なさそうか。まずは事件と関係のありそうな場所を絞って、それから――  頭の中で調査の優先順位を考えていると、下の方で申し訳無さそうな声がした。 「禊屋さん……すんません。迷惑かけます……」  グッドラックは床に横になったまま、項垂れていた。美夜子は彼の前でしゃがみ込むと、改めて問う。 「グッド君。もう一度、念のために聞いておくけど――君は犯人じゃないよね?」 「は、はい! 俺、さっきまでずっと気を失ってたんです! ほ、本当です、信じてください……!」  下の階でフレイムに殴られてからさっきまで、本当に気絶していたのなら、やはり彼に犯行は不可能だ。それに今にも泣き出しそうなくらい切羽詰まった彼の様子は、嘘をついているようには見えない。  それにしても、と美夜子は内心で苦笑する。また〝これ系〟か……ま、いいけどね。 「うん、わかった。君のこと、信じるよ」  グッドラックを不安にさせないよう、明るく微笑みながら美夜子は言った。 「だいじょーぶ、安心して! 信じられないかもだけどさ。あたし、こういうの慣れてるから」
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