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朴念仁①
『スッパァーーーーーーーンッ』
それは候爵家嫡男の寝室から響いてきた音。
時刻は真夜中近く、もう翌日の日付に変わろうかという頃合いであった。
×××
『ああ、ヤダ~ 貴族の娘としての務めとは言っても何で私が・・・』
花嫁衣装のベールで隠された顔は青ざめ、今にも卒倒しそうな面持ちのままで隣に並ぶ美丈夫をそっと見上げるのは伯爵家のご令嬢である。
美しい金の髪に意志の強そうな深い青の眦は目の前に立つ神父の言葉を一言一句聞き逃すまいとしているようにも見えない事はないのだが、彼の心中はきっと穏やかとは言い難いのではないだろうかと考えた彼女はそっと溜息を吐いた。
なんと言ってもこの結婚は王家の肝いり――要は王命で婚姻を結ぶものだからである。
学園に彗星の如く現れた聖女は男爵家の庶子であった。
ゆるいウェーブしたピンクブロンドは特徴的で、アクアマリンの様な薄いブルーの瞳と白い肌と華奢な身体は年若い貴族子息達の庇護欲をそそり、その明るい笑顔と拙い社交術はまるで野に咲く花のようで可憐であり、男女問わず周りの者を虜にした。
低位の貴族子息達だけでなく遥かに身分の高い王子やその側近迄が彼女の笑顔を独り占めしようと目論んだが、結局卒業と同時に彼女は教会に戻っていった。
「王子妃などとんでもないです。神様は私に『与えられた癒しの力を身分等は関係なく全ての人々に与えよ』と仰られたのです。高貴な身分など与えられてしまえばその地位に相応しい仕事をしなければいけなくなります。私にはそんな時間は御座いません」
と。
鼻息を荒げて王子どころか並み居る貴族子息達の求婚を全て振り切って、数人の聖騎士達をお供に従え馬車に飛び乗り巡礼の旅に出て行ってしまったのだ。
残された王子以下子息達は落胆したのは云うまでもないが、ソレを見て呆れ返ったのは彼等の婚約者や婚約者候補だった者達である。
彼女等も彼等が聖女に入れあげていた事は知ってはいたが、神の使徒でもある聖女はいずれ巡礼の旅に向かうことは入学当初から決まっていて、学園長からもしっかりと説明があったのだ――彼女たち全員が、この方たちは頭が沸いてるのかしら? と思ったのは間違いない。
聖女とは言え学生のうちは候補に過ぎず、これから赴く他国の礼儀作法や高位貴族の一般教養を身につけるために貴族学園に通っていたのである。
スポンサーは教会と王家。
男爵家は金が無い――仕方がないので奨学生制度もフルに使った。
しかし所詮は男爵家の令嬢だ。
身分が上の王子や高位貴族、金持ちの貴族子息達を無下にもできず、勉強の時間を削られてしまい夜な夜な徹夜で出された課題や翌日の授業の予習をこなしていた彼女は、ほぼ毎日目の下に薄っすらとではあったがクマが常駐していた。
その事を全く慮れない王子達が、不憫だと彼女に付き纏い更に寝不足を加速させていたと、彼女の卒業後に知らされた男達はほぼ全員が自分の婚約者達からそっぽを向かれた――様々な法的手段はあれど聖女に付き纏っていた子息達は漏れなく婚約は解消と相成ったのである。
ただ廃嫡されてしまうような愚かな行為には全員が及ばなかったのが不幸中の幸いだった。そしてほぼ全員が謹慎処分はあれども貴族のまま家に籍を置く事を許され、人によっては後継ぎのままで残されることになってしまったのである。
そう、やや不良物件寄りの子息が激増したわけである。
但し中にはヨリを戻したという奇特なご令嬢達もいたりなんかして、少しずつではあるがポツポツと婚姻を果たして行った。
今後はカカア天下になるのは間違いないだろうが・・・
そんな中。
王子の側近候補でもあった者達は、厳重注意を王家から喰らったが、側近自体は継続となった。
まだまだ10代の若者、しかも才能ある者達だ――いくらでも優秀な王家の駒として使えるよね、ここまで育てるのに国だって貴族家だって金と時間を賭けたんだよ? 勿体ないじゃん? 情緒面はどうあれ、このまま野に放つのは惜しいじゃん? と王家も考えたのである。
で。
困った事に婚約者達に逃げられた側近達のお相手を結局の所王家が世話を焼くことに相成った訳である――その中の一人のご令嬢が今日まさに婚姻を結んだのである・・・
彼女の内心はどうだったのかは、王家側も知る由もない。
だって王命だし。
血筋と才能さえ続けば良いのだろう。
次代の情緒教育はしっかりと行うようにと、王家から内々で御達しがあったのは内緒である。
×××
侯爵家嫡男はもう来月には23歳。
今も王子の側近で聖女に婚姻を申し出た1人でもあった――婚約者に逃げられた内では比較的身分のお高い子息の一人であり、騎士団所属・・・D神に加護を授けられそうな御方である。
性格はいたって真面目で実直。
思い込みが激しい傾向はあったが顔面偏差値は120%の優良物件だ――但しその評価は過去においてであるが――その彼のお相手は侯爵家の寄り子であった伯爵家の次女。
彼女は当年取って16歳で今だ貴族学園の学生だったが、結局の所『寿卒園』になってしまった。
婚姻を理由に早期卒業は貴族子息子女にとって割と当たり前の世界観なので仕方がないので彼女もハラを括って婚約を結んだ。
のだが。
半年後の婚姻を目標に衣装の取り決めや招待客の選定に席次。
煩雑な下準備の際に同席はしても一切意見を出さず
「君や母上の思う通りに決めて下さい」
と。
花嫁予定の彼女と母に采配を任せてしまい、酷い時には席を立ってしまうという態度だったのだ。
これでは年下のしかも格下の伯爵家の御令嬢が自分は嫌われていると思い込んでしまっても仕方がないだろう・・・。
――結婚式と出産時の夫の失敗は一生つきまとう案件だと言う事を知らないとは恐ろしいの一言に尽きる態度である。
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