この愛を選びたい

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 なにもわからず終わって、新たにはじまった生活から四か月が経った。海を見ながら常和が淹れてくれた紅茶をひと口飲んだ。  波のざわめきが聞こえてくる。窓の外に広がる壮大な青はすべてを包んでくれるように今日も輝いている。波打ち際で砂浜に足跡をつけているカップルを見つけて大夢は目を細めた。  あれからしばらくは常和の部屋に居候をしていたが、常和は仕事を辞め、ふたりで海沿いの家に引っ越した。絵が戻ってきた常和の父親からは、もう仕事を辞めなくていい、と言われたそうだけれど、どうしてもやりたいことがある、と常和は答えたらしい。  だが大夢は知っている。あの絵は「右側」だ。サインの綴りが違う、長登が言っていた「偽物」のほう。  常和にその話をしたら「うちの父さんにはそれでちょうどいい」と笑っていた。常和は父親が正規ルートで手に入れたのではない絵を持っていたことにショックを受けていたが、戻ってきたものが「右側」だと知ると吹っ切れたような顔を見せた。今頃本物は長登の手によって本来の持ち主のもとに戻っているはずだ。 「……結局長登さんはなんだったんだろう」 「またその話?」  常和は大夢の口から自分以外の名前が出ると面白くなさそうにする。存外嫉妬深い男のようだ。 「なんでもいいよ。俺と大夢が出会えたことだけが真実だ」  微笑む常和からは、出会ったころの暗さや落ち込みはひとかけらも見えない。 「常和は気にならない?」 「あの人のことを考える暇があったら大夢のことを考えるよ。気にならないって言ったら嘘になるけど、思い出すと腹が立つから」  言葉のとおり不快さを表情に表し、常和が眉を寄せる。 「大夢に危険をおかさせようとしたことも、大夢におもちゃでもナイフを自分に向けさせたことも、短期間でもふたりで一緒にいたことも、全部腹が立つ。大夢の記憶から抹消したい」 「なにそれ」  あのときのことはたしかに怖かったけれど、大夢は常和を守りたかった。結局彼に守られる形になってしまったが、自分にナイフを向けたことは後悔していない。 「……あの人、恰好よかったから大夢には魅力的に見えたんじゃないかと思うと本当に腹が立つし」 「常和のほうが恰好いいよ。俺にはもったいない」 「そんなこと言わないで。俺には大夢だけなんだよ」  常和は家から近い小さな出版社に再就職し、大夢も近所のスーパーのパートで働いている。大夢の以前のブラック企業勤めを知った常和に心配され、せめてパート勤務にしてくれ、と頭までさげられた。嫉妬深いだけでなく、愛情も深い男で驚くほどに心配性だ。 「後で少し散歩しようか」  今日はふたりとも休みで、朝からのんびりしている。大夢が提案すると常和は意味ありげに微笑み、耳もとに顔を寄せてきた。 「散歩より――」 「……っ」  耳朶を甘噛みされ、ぴくりと身体が跳ねる。その瞳を見つめると唇が重なった。 「まだ明るいよ」 「大夢のいろんな表情が見られるね」  意地悪な笑みに、もう、とその胸を軽く叩く。波の音がふたりを包んだ。 「そういえば、常和のやりたいことってなに?」  父親にそう説明したことは聞いたけれど、肝心なことははぐらかされて教えてもらっていない。常和は眩しいものでも見るように目を眇めて大夢を見つめた。 「俺の一番大切な人を守って幸せにすること」  しっかりと手を握り、額を合わせる。 「俺も常和を幸せにしたい」 「もうなってるよ」  ふたりで笑み、もう一度キスを交わした。  ふたりの誓いを祝福するように波のさざめきが室内に響く。ゆっくりとした動作で立ちあがった常和は、大夢を抱きあげてベッドに運んだ。 (終)
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