この愛を選びたい

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 翌日も雨。長登が出かけたので、大夢は勇気を出して公園にいった。やはり常和は待っていた。 「大夢さん」  嬉しそうな笑顔に胸が痛む。 「もう待たないでください」  常和は頷かない。逆に首を横に振られてしまった。 「今日みたいに、待っていれば大夢さんがまたきてくれるかもしれないから」  縋る瞳に言葉が詰まるが、突き放さないといけない。そもそも自分は常和に近づいていい人間ではない。 「もうきません」 「それは仕事でこられないから? それとも俺に会いたくない?」  問いかけになにも答えられない。常和に会いたくないなどという気持ちはない。むしろもっといろいろ話をしてみたい。常和を知りたい。  だが長登はそれを許さない。大夢が選ぶのは、やはり救ってくれた長登だ。そう思っているのに口にできない。この瞬間も、もしかしたら長登に見張られているかもしれないけれど、交わった視線を絶てない。 「あの日はすみませんでした」  常和の言う「あの日」を思い出し、頬が熱くなった。 「自分でも、どうしてあんなことをしたのかわからないんです。でも気がついたらキスしてました」  大夢の手をとった常和は眉を曇らせる。 「嫌でしたよね」  どう答えていいかわからず、それでも自分の気持ちに正直になって小さく首を横に振ると、手を握る力が強くなった。 「もしかしたら俺、大夢さんのことが――」 「それ以上言わないでください」  言葉を遮り、頭を振る。強く握られた手が心臓になったように脈打っている。 「それは、だめです」  もう一度頭を振って顔を背けた。  それを聞いてはいけない。大夢は長登の――怪盗の手伝いをする立場になろうとしている人間なのだ。どちらもまだ気持ちがたしかでないうちに離れたほうがいい。  そっと手を離させ、なにも言わずに公園を後にして長登の家に戻る。 「え……」  リビングには昨夜長登から見せられた絵画が置かれていて、カーテンが開いている。どうしてこんなところに、と思い、とりあえずカーテンを閉めた。どくんどくんと緊張で脈拍が速くなってきたと同時にインターホンが鳴った。  長登の家に人が訪ねてくるのははじめてで、出ていいのかわからない。このまま居留守を使おうと思っていたら続けてドアを叩く音が聞こえてきた。誰がきたのかわからないことも、絵画のことも、なにもかも怖い。恐る恐るインターホンのモニターを見ると、そこに映っていたのは常和だった。  なぜ常和がここを知っているのか――心臓の音が耳に響き、嫌な汗が頬を伝う。ドアを叩く音が止まらないので仕方なく玄関に向かった。ドアを開けると顔面蒼白の常和に両腕を掴まれた。 「大夢さん」 「常和さん……。どうしてここが?」  大夢の腕を掴む手は震えている。 「大夢さんの様子がおかしいように感じたので後をつけました。すみません。それより――」  常和の視線がリビングのほうに向けられ、恐怖に寒気がした。 「どうしてあの絵がここにあるんですか?」 「あの絵?」  声が震えないように意識してしっかり声を出す。常和は眉を寄せて大夢の目をじっと見る。 「俺の実家から盗まれた絵画が置かれているのが窓から見えました」 「……!」 「まさか……あなたが怪盗なんですか?」  呼吸の仕方がわからないくらいに混乱してなにも答えられない。長登にはめられたのだろうか――冷や汗が出た。 「なんで……、嘘ですよね? まさか、そんな……」  つらそうに表情を歪めた常和が大夢をまっすぐ見る。 「もし本当に大夢さんが怪盗なら自首してください」  胸が切り裂かれるような縋る瞳を向けられ、違う、そう言おうとして、違うのだろうか、と大夢は考えた。大夢は怪盗ではないが、怪盗のアシスタント志望として長登のそばにいた。本当になんの罪もないのだろうか。  その表情が答えだと思ったようで、常和は震えたままの手で大夢の頬に触れた。思わず身体が竦み、視線を逸らしたいのに逸らせない。交わった視線で捕まえられる。 「本当にあなたが怪盗なんですか……?」  やはりなにも答えられない。答えないことで常和の表情はさらに悲痛なものになり、強く抱きしめられた。 「……まさか絵を盗んだ本人に相談していたなんて」  苦しそうに呟くその声にはやるせなさが滲んでいて、大夢の心を貫いた。  盗んだのは自分ではないが、それを言っていいのかわからない。それならばなぜこの家にその絵があるのか、この家は誰の家なのか、怪盗は誰なのか――すべて説明しなければいけなくなる。 「今は見逃します。でもきちんと考えてください。……またきます」  抱擁をといた常和は、これ以上ないくらい傷ついた顔をしていた。  常和が帰って、カーテンを閉めたことをもう一度確認してからリビングで絵を茫然と見つめる。  この絵が常和の実家から盗まれたものだなんて――大夢はまだ信じられなかった。傷ついたせつない常和の表情を思い出し。胸をかきむしりたいほどに苦しくなる。  常和は大夢が怪盗だと思っている。どうしてこの絵がこんなところに置かれているのだろう。長登にはめられたか。アシスタントとは名ばかりで、スケープゴートにされたのだろうか。  大夢があれこれ考えていてもどうにもならない。とにかく長登が帰ってくるまで待とう、とソファに腰をおろした。  常和に抱きしめられた温もりを思い出す。それは優しくて痛かった。彼の手は震えていた。自分のこれからもどうなるかわからないけれど、それ以上に常和のことが気になる。きっと常和は大夢を信用していた。絵を盗まれた話をするときも、「大夢さんだから話しますね」と言っていた。まったくの誤解というわけではないこの状況は、常和を裏切ったことになる。 「常和さん……」  胸が引き裂かれるように痛くて心と身体がばらばらになりそうだった。今までに感じたどのつらさも比べものにならないくらいに心が軋んで悲鳴をあげる。会社で心と身体を痛めつけられていたときのほうがまだましだと思えるほどの痛みとせつなさ、苦しさにシャツの胸もとをぎゅっと握る。  だがこれは大夢が選んだことだ。追い詰められていたとはいえ、自ら怪盗のアシスタントに志願し、長登と接触し世話になっていた。だからまったくの無関係ではない。  絵を盗んだのは大夢ではなく長登だが、それを言うことはできない。自分はどうしたらいいのか。悩んでも答えなど見つかるはずがなかった。 「早く帰ってきてください……」  長登が帰ってくるのを待つしかない。それで相談しよう。なにかいい解決があるかもしれない。  ふと頭に怖い予想がよぎる。長登が帰ってこなかったら――そんな想像が脳内に広がり、不安と心細さに頭を振ってひとつ息を吐き出した。  自分が選んだことなのに、常和の顔を思い出すと後悔が襲ってくる。こんな形ではなく出会えたらよかった、そう思ってしまう。  帰り際、今は見逃すと言っていたが、警察に通報なり情報提供なりはしているかもしれない。長登にそのことも話さなければいけない。やはり常和は関わってはいけない男だったのだ。胸が絞られるように痛む大夢は、自分の気持ちがわからず唇を噛んだ。  待っても待っても長登が帰ってこない。いつもならとっくに帰ってきている時間なのに、車の影さえ見えない。嫌な汗が頬を伝い、それを乱暴に手で拭った。  本当にスケープゴートにされたのかもしれない。長登は最初からそのつもりでアシスタントという聞こえのいい方法を使っていたのかも――そんな考えが浮かんで深くため息をついた。  深夜になっても長登は帰ってこなかった。仕方がないので客室からブランケットを持ってきてソファに横になる。この絵を置いたまま二階の客室で寝ることが怖い大夢は、リビングで瞼をおろした。眠れるかはわからない。ずっと心臓が早鐘を打っている。  ここから逃げてしまおうか。そんな考えが脳裏に浮かんだ。だが大夢は逃げたところでいく場所もなければ、現金も持っていない。逃げることなどできないのだと思い知る。  長登が早く帰ってきてくれることを願ってリモコンで照明を消したが、暗闇に恐怖を感じてすぐに照明をつけ直した。今の大夢には、なにもかもが怖かった。
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