この愛を選びたい

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 インターホンが鳴った。一瞬長登が帰ってきたのかと思ったが、あの人は帰ってきたらそのまま入ってくるだろう、と思い直す。誰だろう、とモニターを見ると常和が映っていた。苦しい胸もとを押さえてから玄関に向かう。 「逃げなかったんですね」 「……」 「まだ通報はしてません。大夢さんに――」  言葉が途切れ、常和は深く嘆息した。次に彼の口から出るものがなにかわからず、大夢は身を固くした。 「――大夢さんに、会いたくて」 「……っ」 「腹が立つし悔しい。それなのに、きてしまいました」  常和自身、自分の行動が納得できていないようだ。 「本当は大夢さんは怪盗じゃないんですよね? 怪盗は他にいて、大夢さんはその人を庇ってるんですよね?」  それは彼の願いのように感じた。縋る瞳になにも答えられずわずかに俯く。大夢の目に映る常和の手はこぶしを握り、震えていた。怒りなのか絶望なのか、遣る瀬なさが透けて見える。 「どうしてなにも言ってくれないんですか? 違うって言ってください。ただそのひと言でいいんです。大夢さんは怪盗なんかじゃ――」  両肩を掴まれ、身体が竦む。大夢をまっすぐ見る瞳はせつなく揺れていて心が痛む。 「――怪盗なんかじゃないって、言ってください……っ」  なにを答えたとしてもそれは裏切りでしかないと大夢は感じた。たしかに怪盗は大夢ではない。そう言ったら常和は安堵するかもしれない。だがそのために真実を告げる勇気がなかった。  玄関の中に一歩足を入れた常和に抱きすくめられ、どくんと鼓動が跳ねる。大夢が感じることは許されない温もりに包まれ、縋りつきたくなるのを必死で堪えた。長登が帰ってこないことへの不安も心細さも、なにもかも崩してしまうような落ちつく体温だった。 「……こんなの、どうしろって言うんだ……!」  絞り出されたような声が鼓膜を貫く。脳までびりびりと響くような悲痛な声音は大夢の心を揺さぶった。  真実を言いたい。そうして常和にしがみつき、すべての恐怖を吐き出したい。長登にはめられたかもしれないこと、自分が後悔していること、常和を――――こんなにも大切に思っていること。 「大夢さん……」  せつない表情が徐々に近づいてきて、瞼をおろしそうになりはっとする。これを受け入れてはいけない、と常和の唇を手で覆った。 「……だめなんです」 「俺のあなたへの気持ちも……だめ、なんですか?」 「……」  だめだ――そう答えたいのに言葉は喉に引っ掛かって出てこなかった。自分は常和にふさわしくない。頬に涙が伝い落ち、慌てて常和に背を向けた。 「その涙を信じたら、俺はまた傷つきますか?」  背後から包み込むように抱きしめられ、こらえた涙で視界が歪んだ。  これ以上常和を傷つけたくない。そのためには大夢が彼から離れなくてはいけない。それなのに力強い腕を振りほどけない。 「あなたの気持ちが知りたい」  震える声が杭のように大夢の心臓に打ち込まれた。  翌日も常和がきた。ここにきてはじめて眠れない夜をすごした大夢は赤い目をごまかすように瞼を伏せる。 「大夢さん、お願いです。真実を教えてください……!」  両肩を掴まれて懇願され、触れられた部分が燃えるように熱くなった。常和は大夢の心に触れようと手を差し伸べてくれている。正直にすべてを話してその手に縋れたら、どんなに気持ちが楽になるだろう。わかっているのに大夢が選んだのは沈黙だった。 「もしかして、誰かに脅されてるんじゃないんですか? 大夢さんみたいな優しい人に怪盗なんてできるはずがないです」  そうではない。自分は優しくなんてない。首を横に振ることもできず、ただ常和の視線から逃れるように俯く。そんな大夢の頬に触れた常和は眉を寄せた。 「眠れないほど悩んだんじゃないんですか……?」  目の下をなぞられ、大夢は慌てて手でそこを隠す。 「俺は大夢さんの優しさを知ってます。あなたは盗みなんてできる人じゃない」  心を隠す壁を揺らす常和の声が痛い。  常和は大夢に夢を見ているようにも感じた。自分の中で大夢を理想化しているような、そんな危うさを感じさせる。  大夢は常和が思うほど綺麗な人間ではない。どの人よりずるく汚く、弱い人間だ。その弱さで常和に縋りたくなってしまう自分を必死で抑え込んだ。 「大夢さんの話が聞きたい」  強い瞳に捕まり、呼吸の仕方さえわからなくなった。常和は大夢をまっすぐ、これ以上ないくらい真剣に見つめる。 「いつも俺の話を聞いてくれた大夢さんにお返しがしたい。だから今度は俺が大夢さんの話を聞きます」 「……話なんて」 「やっと声が聞けた」  ふわりと笑みが咲き、心が甘く揺れた。 「どんな話でも聞きます。受け入れられるかは――場合によってはわからないけど、でも、大夢さんが俺を救ってくれたように、俺もあなたを救いたい」  言い切った後、「過分だとはわかっています」と言葉をつけ足して眉尻をさげた常和は、それでもまっすぐ大夢を見つめる。 「大夢さん、大丈夫です。真実を話してください」 「……」  長登は家にいない。今なら話しても大丈夫かもしれないと思ったが、あの人は大夢が常和と会っていることを知っていたと思い出す。今もどこかで見られているかもしれない、と口を噤んだ。 「あなたが話してくれることが聞きたい。話してくれないと俺はなにもわからない」  大夢だってわからない。今の状況も、自分の気持ちも。頭の中にぐるぐるといろいろなものがまわり大夢はただ首を横に振る。 「あなたを救い出すのは、俺には無理なんですか……?」  大夢の動きを常和は拒絶ととったようで、手が震えている。 「常和さ――、んっ」  強引に唇が重なり、気持ちをぶつけるように貪られた。 「ふぅ、っ……ん、ぁ……っ」  口腔内で舌が暴れ、息ができない。思わず常和にしがみつくと、舌先を吸った唇がゆっくりと離れていった。つうと銀糸が伝い、大夢は慌てて唇を拭う。顔を覗き込まれてその視線から逃げるように顔を背けた。 「……すみません。帰ります」  肩を落とした常和は背を向けた。その背に縋りつきたくて手を伸ばしかけ、ゆっくりとおろした。自分にその資格がないことは大夢自身が一番よくわかっている。 「明日までに、決めてください」  言い残して去っていく後ろ姿に、常和を選ぶことを決めると答えられたなら――自身の弱さを激しく悔やんだ。  その日も長登は帰ってこなかった。
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