この愛を選びたい

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 朝起きてため息をつく。はじめは焦りや不安、心細さでどうしたらいいかわからなかったが、三日経つと怖いほどに冷静になっていた。常和が続けて会いにくれたことが大夢を冷静にさせた。妙に頭の中がはっきりしている。  スケープゴートの予想があたっていたのかもしれないと考える。それでも長登はやはり大夢の恩人だから、自分なんかでもそのくらいの役には立てた、と心のどこかでほっとした。なにも返せずに終わるのではないことは、大夢に自分勝手な安堵を与えた。  いつか言われた言葉が耳に蘇る。  ――俺はいざというときはおまえを切り捨てるからな。  これが、長登が大夢を切り捨てた結果かもしれない。  いっそのこと自分で警察に連絡を入れようか。だが室内には電話はないし、大夢はスマートフォンを長登に預けたままだ。あったとしても充電が切れていて使えないだろう。つまり、自分では行動を起こせない。ただ状況が動くことを待つしかできない歯がゆさが余計につらかった。  常和はどうしているだろう。肩を落としていた姿を思い出す。  長登に「色ぼけ」と言われたが、たしかに自分は常和に惹かれている。雨の中触れ合った冷たい唇を思い出す。それから、昨日のやるせなさをぶつけるようなキス――。 「常和さん……」  常和が頭から離れない。常和は大夢を信じてくれている。だがそれに応えられない。  常和自身、警察官になれ、と言われていたことはどうなったのだろうか。父親と揉めていることも。  そう考えて、今一番彼を悩ませているのは大夢だと思い至る。昨日も一昨日も、常和は必死で大夢を救おうとしてくれた。それに応えなかったのは自分だ。  あれこれ考えなくてはいけないことがあるのに、一番気になるのはやはり常和のことだった。話を聞いただけでもあんなに嬉しそうにしていた彼の気持ちを考えると心臓が引き攣ったように痛み、呼吸が苦しくなる。縋る瞳で見つめられ、信じたらまた傷つくかと問われたときの大夢の絶望。崖から真っ逆さまに落ちていくほうがまだ希望があるように感じてしまうほどに心が軋んだ。 「……常和さん……」  名前を呼ぶと身体中に針が刺さってくるように全身が痛み、視界が涙で揺らめいた。  妙に明るくインターホンが鳴った。来客を告げる音に身体が強張る。モニターを確認するとやはり常和が映っていた。  昨日言い残していったように、常和は大夢に決断を迫りにきたのだ。覚悟してドアを開けた。 「入ってもいいですか?」 「それは……」  勝手に家にあげていいのかわからず、二秒ほど考えて首を横に振る。 「……どうして怪盗なんてやってるんですか」 「……」  大夢の心を探る問いに答えられない。大夢は怪盗ではないから、なにを聞かれてもわからない。だがそれを言ったらあの絵はどうしてここにあるかを聞かれる。長登の話をすることはできないので、もうここは自分が怪盗だと言うしかない。 「……っ」  常和を見あげて口を開くけれど言葉が出てこなかった。ただせつなさと甘い感情が心に広がって唇を噛んだ。 「今日も答えてくれないんですか……? ……答えてくれないことがあなたの答えなんですか……?」  あまりにつらそうな表情をする常和に、怖いくらい拍動が強くなる。こんな顔をさせているのは自分だ、と思うと申し訳なさで消えてしまいたくなった。  常和が大夢に触れようと手を伸ばし、その手をぎゅっと握り込んで弱々しくおろした。 「……どうして大夢さんが怪盗なんだよ……」  絞り出されたような声に大夢は目を逸らす。常和の顔が悔しそうに歪んだのがわかった。 「なんで違うって言ってくれないんですか? 本当は違うんですよね? 大夢さんは怪盗なんかじゃないですよね?」  何度も投げかけられた問いに、今日もなにも答えられず俯いて顔を隠す。どんな表情も常和を傷つけるだけだ。 「……父は絵が戻ってこない限りは必ず警察官になれ、と言っています。絵が戻ってくるなら、そこまでおおごとにしなくてもいい、とも言っている」 「……」 「大夢さんにも理由があって盗んだんですよね……?」 「……」  なにも答えられない。  怪盗シマエナガは手あたり次第に盗むと噂されていることを常和も信じているのかもしれない。せめて理由があるのだと思いたい気持ちが声音に表れていた。  長登は正規のルートで手に入れたのではない美術品を盗んで本来の持ち主に返していると言っていた。常和の父親もまた、正規ルートではない方法であの絵を手に入れたのだ。だが常和はそのことを知らない。純粋に、ただ大夢の答えを待っている。 「常和さ――」 「あがってもらえば?」  聞き慣れた声のしたほうを見ると、長登が車の窓から顔を出している。グレーのハッチバックからゆっくりと降りた長登は不敵に微笑んだ。いつか見たベージュのスーツにピンクのネクタイをつけた姿は、今の大夢には眩しく見えた。
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