この愛を選びたい

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「常和!」  ナイフを投げ捨てて常和に駆け寄る。常和は立ち尽くして表情を変えない。その瞳は見開かれたまま固まっていた。 「きゅ、救急車……!」  慌てる大夢の肩を常和が掴み、首を横に振る。 「大丈夫」 「だって、刺して……っ」  常和は険しい表情で長登を見据える。怒りを隠さない様子に、大夢は状況がわからず混乱した。 「どういうことだ」 「面白いだろ」  常和が憎らしげに長登を睨むと、長登はほくそ笑んだ。 「常和……?」  なんのダメージも受けていないように見えるので恐る恐るその身体に触れると、常和はナイフを大夢に見せた。それは変わらず銀色に輝いている。 「これはおもちゃだ」 「え……」 「本物だなんてひと言も言ってねえ」 「え……?」  常和の言葉も長登の言葉もわからない。大夢が常和の腹に触れると、彼が自ら貫いた場所から血が出ていない。 「どういうこと……?」  長登を見ると、大夢が落としたナイフを拾って切っ先に触れた。その刃の部分は手で押すと引っ込んだ。  ぽかんとする大夢に長登は声をあげて笑う。 「馬鹿だな、おまえ達」 「こんなことをして、なにがしたいんだ」  怒りに顔を歪める常和に長登はさらに笑う。大夢はまだ事態が呑みこめない。 「言っただろ。退屈が嫌いだって」  忌々しそうに眉をひそめた常和が大夢の肩を抱いた。そこにサイレンを鳴らした警察車両が近づいてくる。 「な、長登さん……っ」  長登が捕まってしまう――焦る大夢に当人はまだ笑っている。大夢の肩を抱く常和の手に力がこもった。 「こんなふざけたことをしてなければ、逃げられたかもしれないのに」 「へえ、逃がしてくれるんだ?」 「大夢さんが悲しむなら逃がしてもよかった。でももう無理だ」  警察車両が家の前に停まり、勢いよくドアが開いて制服を着た警察官とスーツ姿の刑事と思われる男性がなだれ込んできた。鍵もかけていなかったのか、と茫然としている大夢をかばうように常和は背に隠す。長登が捕まる、それだけははっきりわかった。 「梶井(かじい)警視⁉」  刑事が声をあげて長登に駆け寄る。 「どうしてここに……」 「先についただけだ」  刑事に答える長登は、もう先ほどの冷たさを秘めていなかった。 「怪盗は?」 「逃げられたけど、絵は置いてった」  長登がリビングのすみに置かれた絵を示し、大夢はその絵に違和感を覚えた。 「ナイフ⁉」  床に転がるナイフに気がついた刑事が慌てると、長登が「それおもちゃ」と言い捨てた。 「いい大人がふたりで遊んでたらしい。紛らわしいって説教してたんだ」  なにがなんだかわからない。常和を見あげると、彼も大夢と同じような顔をしている。  梶井と呼ばれたのは長登で、「島江長登」はやはり偽名だったのだ。だがそれ以上の謎は、梶井の後に「警視」がついたことだ。  茫然としている常和と大夢を長登は一瞥する。 「盗まれた絵を見て忍び込んだ一般人達。おもちゃ見つけて、誰もいないからって遊びはじめたんだとさ」  どういうことか。長登に聞きたいけれど聞ける状況ではない。長登は用意していたかのようにすらすらと状況を刑事達に説明している。だがあまりにもめちゃくちゃすぎる説明だ。 「どうして盗まれた絵だとわかったんですか?」 「俺の実家から盗まれた絵だからです」  刑事のひとりがこちらに向き直り、常和が答えた。常和のほうが先に状況が呑みこめたようだ。置いていかないでほしい、と大夢は混乱してぐるぐるする頭に手を添えた。 「おふたりとも、事情を聞かせてもらえますか?」 「必要ない。なにも知らなかった。勝手に家に入ったことについては厳重注意した」  長登に背を押され、常和と一緒に追い出される。 「邪魔だからさっさと帰れ。通報はありがとう」  尻ポケットを叩かれ、首を傾げる。まわりの刑事達はいろいろ言っているが長登はまったく聞く耳をもたず、常和と大夢を家の外に出した。 「まったく。梶井警視はいつもあの調子だ」 「それでも手柄をあげるから誰もなにも言えないんだよなあ。なんだかんだで怪盗もあの人が捕まえるんだろうな」  ぶつぶつ言っている刑事達に見送られて常和とその場を離れようとする。いろいろ調べられたら長登と大夢があの家で生活していたことがばれるのではないか。そんな大夢の心配や不安を追い払うように常和が「大丈夫」と告げる。その根拠もわからないが、常和がそう言うならそうなのだろう、と妙に納得できた。 「ちょっと待て」  慌てた様子で長登が追いかけてきた。常和が大夢の前に壁のように立つのを押しのけて、長登は大夢のシャツの台衿ボタンをむしりとった。 「は……?」  ぽかんとする大夢と眉をひそめる常和に、長登は最上ではないかと思うほどの満面の笑顔を見せた。 「GPS兼ボイスレコーダーつけたままの生活、ご苦労さん。盗聴器も使いやすくなったな」 「とうちょうき……」  わけがわからず茫然とする大夢の手を長登がぎゅっと握った。 「え……」 「さっさといけ」  背中を押されて、今度こそ長登の家を後にした。 「盗聴器……」  まさかそんなものを身につけて生活していたとは――今さら血の気が引く大夢の肩を常和がなだめるように抱いた。GPSがついていたから大夢の行動がわかったのだ。絶対に自分で洗濯をするな、と長登から言われたことを思い出し、そういうことか、と力が抜けて座り込んでしまいそうになった。長登は洗濯時に大夢の服についているボタン型盗聴器からデータをとっていたのだ。それ以外にも常和との会話を聞かれたり、ふたりでいるところを見られたりしていただろう。  手を開いて、長登に握らされたなにかを見る。それは小さく折り畳まれた紙だった。ゆっくりと開くと右あがりの走り書きがあった。 『自分を見失うな。おまえのこと結構気に入ってたよ』  メモの右下にシマエナガのイラストが描かれている。  なにもかもがわからず首を傾げる大夢に常和は微笑んだ。 「もう忘れましょう」 「忘れる……」 「俺達が出会った。それ以外は余計なことです」  その言葉に迷わず頷いた。 「いこう」  肩を抱かれて歩き出すが、大夢はどこにもいく場所がない。長登に尻ポケットを叩かれたことを思い出してそこを確認すると、大夢のスマートフォンが入っていた。いつの間に、と思うが深く考えないようにした。  結局長登は何者だったのか。本当は梶井なのか、長登が本当の姿なのか。なにもわからないけれどそれでいい。  常和と手を繋ぐ。 「大夢さんはいくあてがあるんですか?」 「それが……ないんです」 「じゃあうちにおいで」  ふたりでのんびり歩きながら常和の自宅に向かった。大夢は一度も振り返らなかった。
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