この愛を選びたい

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「おはようございます」  朝起きて誰かがいるということが不思議で仕方がない。しかもそれが怪盗だなんて、ますます信じられない。  長登はベージュのスーツに身を包んでいる。スーツも緩く結ばれたブルーのネクタイも高そうだ。 「大夢、これな」 「え……?」  長登に言われてソファに近寄ると大きな紙袋を三つ渡された。 「なんですか?」 「見ればわかる。昨日と同じ服なんて見てられないから着替えてこい」  言われたとおりに紙袋の中を見ると、洋服や寝間着など衣類のセットが入っていた。驚いてその場で広げてしまう。 「俺にですか?」 「他に誰がいるんだよ」  どこか呆れたような目で見られて縮こまる。  広げたダークグレーのシャツはシンプルなのにおしゃれで、明らかに高級品だ。メタルボタンも珍しい形をしていて、ひとつめのボタンがワンポイントでデザインが違う。 「さっさと着替えてこい。そしたら朝食」 「わ、わかりました」  客室に戻って着替えると、どこか洗練されたような雰囲気になりくすぐったい。四着のシャツのボタンはすべて珍しい形のものを使っていて、オーダーメイドのようだ。どれもひとつめのボタンは同じデザインで重厚感がある。 「……っ」  会って間もないのにこんな短時間で、しかも大夢のために用意してくれたのだと思うと感動で言葉が詰まる。長登の役に立ちたい――そう強く思った。 「長登さん、本当にありがとうございます。こんないいもの着るの、はじめてです」 「ふうん」  着替えた大夢を一瞥した長登はタブレットに視線を戻す。 「これってオーダーメイドですよね? こんなに早くできるものなんですか? サイズもぴったりでびっくりしました」 「知り合いに急ぎで作らせた。サイズは見ればわかる」  そこまでしてくれたのかと思うとやはり感動してしまう。見ただけでサイズがわかってしまうことに驚きを隠せない大夢には目を向けず、贈り主はタブレットを見ている。 「朝はどんなものを食べますか? 洋食とか和食とか」 「なんでもいい。けど軽く」  長登はコーヒーを飲みながら長い足を組み替えた。  なにを作ろうか、と冷蔵庫の中身を見る。卵とウインナーをとり出し、ついでにレタスも見つけたのでそれも出した。あとはカウンターに食パンが置いてあるので、軽くならばこれで充分なものが作れるだろう。  ウインナーを焼いているあいだに、もうひとつのコンロで目玉焼きを作る。 「長登さん、目玉焼きはどのくらい焼きますか?」 「オーバーハード」 「なんですか、それ」 「両面焼き、黄身固め」  そういう意味か、と「わかりました」と答える。片面焼きしか作ったことがないができるだろうかと心配になったが思ったより簡単だった。大夢は片面焼きの半熟だ。  目玉焼きとウインナーをワンプレートで盛りつけ、レタスをちぎり調味料ラックにあったハーブソルトを振る。オーブントースターで食パンを焼いたら完成だ。 「できました」  声をかけると長登がソファから立ちあがり、ダイニングにきた。 「おまえ、メシスタントになるか」 「してくれますか?」 「なんでもいいのかよ」  呆れられてしまった。  正直、やることに固執しない。一番の目的はあの会社から逃げることだったので、それが達成されたら他はなんでもいい。それに。 「俺になにか特別なことができるとも思えないので」 「なるほどな」  長登はおおげさなため息をついてウインナーをフォークで突き刺した。どこかいら立ちを感じさせる動作に大夢は条件反射で謝った。向かい合う長登はもう一度ため息をつく。 「まあいいけど」  なにか気に障っただろうか、と心配になった。突き放されるとそのまま見捨てられるような恐怖に陥る。この人に捨てられたら大夢にいくあてはない。  気分が重くなり俯くと、大夢の皿のウインナーを長登がフォークで突き刺した。 「辛気臭い」 「すみません」 「昨日言ったこと忘れたのか」 「すみません……」  長登は「悪いことをしたら謝れ」と言っていた。今は間違いなく、長登の気分を害するという悪いことをした状況なので謝ったのだけれど違ったようだ。どうしたらいいかわからない。こういうときはどう返せばいいのか。会社では謝る以外の言動をすると侮蔑の眼差しを向けられた。  悩んでいたら長登がまた大夢の皿からウインナーを奪った。 「追加で焼きましょうか?」 「おまえが食べたいならそうしろ」  食べたいなら――考えてみても答えが出ない。自分は食べたいのだろうか。 「俺は……」  自分はどうしたいのだろう。ウインナーを食べたいのか、食べなくてもいいのか。ただそれだけのことがわからない。 「おまえ、自分の意志はどこに置いてきた?」 「……意志……」  意志とはなんだろう。やりたいと思う気持ちだというのはわかるが、大夢自身の意志とはなんなのだろう。自分はなにをしたいと思っているのだろうか。 「失敗したかなあ」  長登が深いため息をつき、それが大夢を不要と言っているようでぐっと腹の奥が重くなる。鉛を呑み込んだような感覚に既視感がある。会社にいたときと同じような感じだ。  やはり会社を辞めなければよかっただろうか。あそこではめちゃくちゃなやり方でも自分を必要としてくれた。都合のいいように利用されていただけだとしても、それでよかったのではないか。いつも鉛の塊を呑んでいるような重さで苦しかったが、それをもっと耐えればよかったのでは――そう考えて長登の視線がまっすぐ自分に向けられていることに気づく。 「おまえ、やっぱ仕事辞めなきゃよかったって思ってるだろ」  見破られたことに焦りと気まずさを覚え、脈が速くなる。 「大夢は人間関係失敗だらけって感じだな」 「そのとおりです……」  まったく否定できない。だから親しい友人もいなかったし、心から信頼できる相手がいない。思わず俯く。 「でも、ここにいるってことは大夢が自分で選んだからだろ。逃げるな」  顔をあげると真剣な視線で射貫かれた。こんなふうにまっすぐ真剣に自分を見てくれた人はいなかった。やはり大夢が選んだことは間違いではなかった、と思って立ちあがる。 「ウインナー、追加で焼いてきます」  大夢の意志はどこにいったか。わからないけれど、でも残った意志のかけらでここにきた。自ら選んだのだ、と自分に言い聞かせた。  朝食後、長登はリビングのソファでくつろいでいる。片づけを終えてもまだ七時で、のんびりした朝に感動した。  大夢は長登に近づき、思い切って尋ねた。 「なにか盗みにいったりしないんですか?」  少し緊張しつつ問いかけを口に出すと、ちょいちょいと手招きをされた。さらに長登に近寄る。 「馬鹿」  耳もとで言われて一瞬ぽかんとしてしまう。なにかおかしなことを聞いただろうか、と考えて、どう考えてもおかしいことを聞いたような気もしてくる。 「すみ――」  思わず謝りそうになり、言葉を呑み込む。長登は試すような視線を大夢に向けていた。ごくりと謝罪を嚥下して、はあ、と息をつく。謝らないというのは力を使う。なんでもかんでも謝っていたほうが楽だと感じるのは感覚が麻痺しているからかもしれない。そんな大夢に長登は片眉をあげ、もう一度「馬鹿」と言った。 「毎日盗んで歩いてるわけじゃねえんだよ」  どこか呆れを含む声音に、そういうものか、と力が抜ける。いきなり現場に出るのかと緊張していた。 「それに今は足手まといがいる」  つけ足された言葉に、うっ、と言葉が詰まる。まったく間違っていないのでなにも言い返せない。 「じゃあ俺はなにをしたらいいですか? 掃除とか?」  大夢が室内を見まわすと、長登がリモコンを操作する。その先を視線で追うと、ロボット掃除機が掃除をはじめた。はっきり言って大夢より有能そうだ。 「掃除……は必要なさそうですね」  肩を落とすと、長登はくっと口角をあげた。 「他になにか――」 「寝てろ」 「え?」 「寝てろって言ったんだよ」  寝ると言ってもまだ起きたばかりだ。 「朝ですし、昨日たくさん寝たので――」 「寝ろ」  言い募る大夢の言葉を遮った長登の冷たい視線が向けられる。これ以上余計なことをしゃべらせるな、と言いたげな面倒くさそうな顔をしている。  この人の指示ならば仕方がない、と階段に足をのせるとリビングから声が追いかけてきた。 「食事の時間には起きてこい」 「わかりました」  客室に入ってひとつ息をつく。そんなに眠れるものでもないだろう、と思うが、ベッドに入った。起きて食べてすぐにまたベッドに戻る――こんな時間の使い方をしたことがないので、本当にいいのか、と不安になってしまう。 「……」  長登に言われた「意志」という言葉が耳に残っている。  大夢の意志はどこに置いてきたのだろう。
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